極めて贅沢なトラック。81年の発表。
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バグルズの衝撃があって、
ちょっと違うがYMOが世間を席捲し、
佐野さんが登場してきたり、
ジャーニーを聴かないとならなくなったりして、
個人的にようやく洋楽を
リアル・タイムで聴く習慣ができ始めた頃、
登場してきたのがこのトラックだった。
だからたぶん僕は、ボウイもクイーンも
まず基本的にはこの曲から知ったのである。
いや、確かにFlashの方が先ではあるか。
あとTeo Toriatteも
たぶんこの曲よりも以前に耳にしている。
念のためだけれど、上のこれ、
なんかパスタの種類みたいだけど、
決してイタリア語とかではないよ。
――手をとりあって。日本語。
まあそういう曲もあったのである。
なお同曲は、東日本大震災の後発表された
SONGS FOR JAPANなるコンピレーションに
収録されているようなので、
あるいはお聴きになった方もあるかと思われる。
タイトルからお察しの通り、
これ、歌詞の一部が日本語なのである。
まあとにかく、そんな訳でそもそもが
FlashなりTeo Toriatteなりでは、
申し訳ないが、やはりなかなか琴線に
引っかかってはこなかったのである。
いや、そんなにひどい訳でもないけど、
代表曲とは到底いいがたい。
どうしたって弁解がましくなるけれど、
この二曲でクィーンの魅力を理解するのは
やっぱり逆立ちしても無理だろう。
駄作、とまではいわないが、
しかもさらに酷なことに、僕がこのクィーンを
最初にきちんとそれとして目にした映像は、
84年のI Want to Break Freeなのである。
メンバー全員が女装という、大胆というか、
いわば最早あれなコンセプトの作品の中で、
ヒゲを蓄えスカートを履き、
なおかつ一際マッチョに
振る舞おうとしているフレディーは
なんというか、はっきりいって
ほとんど色物みたいだった。
気に障ってしまった方にはごめんなさい。
でもこの点ばかりはむしろ
僕の方にも同情してほしいものだと思う。
だから僕は、このバンドを
正当に評価することに、
いわばすっかり乗り遅れてしまったのである。
気がついた時にはもう、
Bohemian Rhapsody(♯33)はもちろん、
We Will Rock Youも
We Are the Championsも
Another One Bite the Dustも
Don’t Stop Me Nowも
Crazy Little Thing Called Loveも
すっかり通り過ぎてしまっていた。
いや、Radio Gagaは
確かにリアルタイムで聴いた気もするが。
その次に登場してきたのは、
フレディのソロだったし。
そうこうするうち、このフレディは
91年の11月にはもう
還らぬ人になってしまった。
いずれにせよ、無念である。
まあそんな愚痴はともかくとして、
今回はUnder Pressureなのである。
久々に改めて聴いてみて、
本当に奔放に、それこそ
大胆に作っているなあ、と思った。
このトラック、そもそもは、
ボウイがクイーンのほかの曲に
コーラスで参加するために、
レコーディング・スタジオに招かれて、
そこで自然発生的に起こった
ジャム・セッションの中で
誕生したという経緯らしい。
だから実は、当時のクイーンの録音テープには、
この曲の原型となったと思しき
Feel Likeというトラックがあり、
こちらも実は、ブートレグとしてだけれど、
あちこちに出回っていたりもするらしいのだが、
遺憾ながら僕自身はこちらは未聴。
で、たぶん、このセッション、
五人の作者それぞれにとって極めて充実した、
むしろ楽しいものだったんだろうなあと思う。
それが出ているな、と思えるのが、
この曲の、普通はあまりないくらいの
スキャットの使用の多さである。
フレディーなんて、半分以上
ほぼスキャットみたいなものである。
以下は半ば推察になってしまうのだが、
どうやら最初の取っ掛かり、
つまりFeel Likeなる素材の段階では、
そもそもがロジャー・テイラーの発想で、
セッションの中でメロディーラインを
主に仕上げてきたのがたぶんフレディで、
リリクスはおそらくボウイがメイン。
そしてこの曲の要ともいうべき、
あの印象的なベースラインは
もちろん最初はジョン・ディーコンが
鳴らしたものだったらしいのだが、
本人はすっかり忘れてしまっていて、
短い休憩の後誰かが、さっきのがよかったよ、
みたいなことを口にして、
どんなのだっけ、と周囲に確かめるような
場面もあったような様子である。
また、トラック全体が有する、
後半に行けば行くほどに
有無をいわさず盛り上がってくる構成は、
まさにこれこそクィーンといった感じで、
これはだから、
ブライアン・メイの存在抜きには
仕上がらないスタイルだと思う。
ギターも楽しそうに鳴らしている気がするし。
だからもう35年近くも前のとある日に
カナダのモントルーにあるスタジオで、
たぶんそんな光景が見つかったのである。
さてこのUnder Pressureは
クイーンの10枚目のアルバム
HOT SPACEにも収録されることになる。
のみならず、彼らのライブでの
重要なレパートリーの一つともなった。
もっともステージではボウイのパートも
すべてフレディーが歌い、
ドラムのロジャー・テイラーが
コーラスをかぶせる形で、
これを再現していた模様である。
一方のボウイの方はすぐにはこれを
自身のセット・リストに加えることはせず、
92年、フレディの追悼コンサートになって
ようやく初めて、この曲を
ステージでパフォーマンスしている。
この時彼とともにフレディーの
パートを歌ったのは、なんと
あのアン・レノックスだったそうである。
――なんとも納得の人選である。
なるほどフレディのヴォーカル・スタイルを
些かなりとも再現できそうなのは、
確かにこの人しかいないかもしれない。
その後もボウイは、自分のバンドに参加した
ゲイリー・アン・ドーシーなる
女性のベーシストとともに、
幾つかのツアーでこの曲を取り上げている。
何故僕らは、もう一度自身に
機会を与えることをしないのだろう。
もう一度愛というものに、
機会を与えることをしないのだろう。
プレッシャー、すなわち
目に見えぬ種類の重さに
今にも押し潰されそうな世界を描き、
その中でなお、
衒いないまでに愛を歌い上げる。
確かにこの歌詞だからこそ、
クールに弾けるような
独特の曲調が生きてくる。
そして二人は、曲の終わり間際になって、
これが僕らの最後のダンスなのだと
繰り返すのである。
なるほどボウイとフレディーとが、
このトラックを二人でステージなり
TVアピアランスなどで、
披露することはついになかったはずだと思う。
さらにいえば、この時は
両者のツアーの事情から、
ビデオクリップのための
パフォーマンスの撮影さえ
行われはしなかったのである。
残念といえば、まったく残念極まりない。
なお、ちなみにこの曲のビデオは全編が、
モノクロ時代の様々な映画からの
シーンをコラージュした形で作られている。
で、実は何故僕がこのタイミングで
この曲を取り上げたくなったかというと、
たぶんこの前のDragon Night(♭41)の
イントロの短いギターのリズムが、
このベースのパターンと、
ちょっとだけ似ているからなのである。
もちろんあちらはストロークで、
こちらはベースラインだから、
印象はまったく違うけれどね。
でも思い出してしまったものは仕方がない。
だからここは、本当に気分次第な訳ですよ。