ラジオエクストラ ♭38 The Wild Boys | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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まあだから、そろそろまたやっておかないとね。
デュランデュランは85年のシングル曲。

Arena: The Movie [DVD]

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前回のTrue Faithに引き続き、
今回もまた、メインの話題はビデオの話。


いや、この曲はサウンドの方も極めて
彼ららしい作品ではあるのだけれど。



さて、このThe Wild Boysはとうとう彼らが
全米トップ1にまで昇り詰めた
The Reflex(♭2)の後を受ける形で
いわば満を持して発表されたトラックである。

バンド初のライヴ・アルバムARENAの
確か先行シングルという形だったと思う。


しかもこのARENAは、
レコードと同時に映像商品も
リリースされるという企画だった。


これが現在DVD化されたものが、
もちろん上のジャケ写である。


さて、80年代前半のほぼすべてを通じ、
このデュラン・デュランは、


ニュー・ロマンティックの旗印、
あるいは第二次ブリティッシュ・
インヴェイジョンの一つのシンボルとして、
シーンを牽引していく役割を確実に担っていた。


その彼らの足跡の中でも、
一際深くシーンに刻まれているのが、
ミュージック・ビデオというツールを
縦横に、あるいは自在に駆使した点である。


最初はGirls on Filmだった。
いわゆる泥レスのリングを前に、
バンドが歌うという内容だった。


着想からしてそもそもギリギリなのだが、
いろいろと、問題になる種類のものが
ところどころに映ってすらいた。


もちろん際どいんだけど、
見えてはいけないものが
完全にはっきりと、という訳では
決してないので念のため。

それでも実際当時の国内のTV局は、
随所にモザイクをかけた上で、
これをオン・エアしていたはずである。


これはもっとも、そもそもは
映像ディレクターの
アイディアによるものだったらしく、


バンド自身も相当戸惑い、最初のうちは
きっとペイTV(有料チャンネル)か何かで、
流されるためのものなのだろうとさえ
思っていたのだそうである。

けれどまあ、その是非はともかくとして
このビデオが彼らが階段を
あれほど急速に駆け上がっていく


その一つのきっかけとなったことだけは
疑いを差し挟む余地はない。



以降、バンドと彼らを支えるスタッフは
プロモーション・ビデオというツールに
極めて意識的になっていく。

2NDアルバムRIOの発売に合わせ、
バンドとスタッフとはビデオ撮影のために、
はるばるスリランカへと足を運ぶ。


このチョイスも、まあ不思議ではある。
あるいはツアーのついで
だったのかもしれないけれど、
可能性は薄い気がする。


とにかくバンドと会社は、このためだけに、
このいっちゃ悪いが小さな島国で、
時間と金とを使う訳である。


しかもこの時彼らはSave a Prayerや
Rioなどのシングル予定曲のみならず、


Lonely in Your Nightmare
辺りの、いわば使いどころの
今後あるかもどうかも定かではない、


ビデオ・クリップの素材まで、
撮影を敢行しているのである。

個人的には、ならここでNew Religionを、
撮ってほしかったなあと思いはするが、
まあそれはいっても仕方がないことである。



とりわけこの時に制作された中でも
Hungry Like the Wolfのビデオは、


同地独特の異国情緒と、
インディー・ジョーンズばりの演出とが、
巧妙なまでに曲と絡み合い、

バンドのアメリカ進出の
大きな足がかりとなった。



また、出世作である3rdアルバム
SEVEN AND THE RAGGED TIGERの
発売時を追いかける形で、


SING BLUE SILVERという
ツアー・ドキュメントも制作され、
こちらもこのARENAと
ほぼ同じタイミングでリリースされている。

さらにはPVの商品化も極めて多い。

だから、現在のように各トラックが
音声と映像との両方を備えたうえで


初めて市場に通用することが
できるようになるという状況は、

たぶんこの時期に形成され始めたのである。


大仰にいえば、トレヴァー・ホーンが
Video Killed the Radio Star(♯18)で
為した予言の成就に、


その是非はともかくとして、
このDDが一役買った訳である。
それも極めて大きな比重をもって。


さて、こういったアプローチの、
たぶん一つの集大成として
企図されたのが、この映像作品の方の
ARENAだったのだと思う。


この作品を、単純にライヴ・ビデオと
呼んでしまうことは難しい、
というか気も腰も引けてしまう。
それでは決して正確ではないのである。



この時彼らは、実際それまで誰も
やろうとすら思いつきもしなかったことを
やってしまっている。

それは、ライヴ映像として収録される
一連のパフォーマンスの外側に、
映画のような枠組みをかぶせるという
アイディアだった。



しかしながら、この試みが本作において
十分な成功を収めているかというと、
この点にはさすがに僕でも、すぐには首を
縦に動かしてしまうことが躊躇われる。


気概は買う、としか、まあいえないかなあ。

嫌いではない。ないけれど、
あまり必然性は、やっぱり感じられない。


かいつまんでいってしまうと、
ライヴ会場で、彼らのステージと並行して、
異星人からのある種の攻撃が
ひそかに進行しているという筋立てなのである。


だから曲の間奏にキャラクターの台詞はかぶるし、
音のレベルが急激に変化するような箇所もある。

しかもこの設定の根幹は、
バンド名の由来を知らない人には
たぶんちんぷんかんぷんだろうと思う。


基本はライヴを見せる映像作品だから
プロットがちゃんと収束する訳でもない。


だけどまあ、醸し出される空気はすごい、
というか、極めて彼ららしいのだが、
やはり全体が中途半端なのである。


まあそんな中、個人的に極めて強く
印象に残っているのは、


The Union of the Snakeの演奏に
フィーチャーされてくる
顔のないアンドロイドの映像である。


極めて人工的な被造物である
銀色の肌の二人が、緑色のプールの中で、

あたかも数年ぶりに再開した恋人のような
激しい抱擁を交わす様が
繰り返しカットインされてくる。


この映像に掻き立てられる違和感は、
やっぱりちょっと変わっている。


なるほど極めて独創的なアイディアを、
繰り出すことのできるバンドだったんだな、と

まあ半ば贔屓目にだけれど、
印象を新たにもさせられてしまうのである。



さて今回のThe Wild Boysは本作ARENAの
一つのクライマックスである。
唯一のスタジオ録音の音源。つまり新曲。


だから、過去のライヴ映像は基本ないから、
映像のARENAでも、
全編撮り下ろしのPVが
挿入される形となっている。

このPVに訳のわからないキャラクターや
あるいはヘンリー・フォンダの
昔の映画からコラージュされた姿が
登場してくるのは、


だからARENA本編との
関連性の中でのことなのである。



さて、ここからは極めて個人的な
感想になってしまうのだけれど、

とりわけこの曲は、たぶんみんな、
ずいぶんとアンディに気を遣って
作ったんだろうな、くらいに思っている。


デュランデュランのサウンドというのは、
前にも一度書いたけれど、


ベースとシンセサイザーとの
鬩ぎ合いみたいなものが
どうしても基本になっている。

だからそのぶん、ギターが割りを
食ってしまうのだと思っている。


いや、重要な音は任されているのである。
Hungry Like the Wolfにせよ、
The Union of the Snakeにせよ、
このストロークのリズム・キープが
曲の根幹を決定しているといっていい。


あるいはNew Moon on Mondayや
Is There Something I Should Knowなどでは、
ある意味ヴォーカルと縦横に絡み合う、
一番前に出てくるラインを任されている。

でもそれは、なんというか、
ロックのギターっぽくないのである。


さらには間奏も、サックスだったり
シンセサイザーだったりに、
出番を譲ってしまっていることが多い。


このアプローチ法は、実はアンディ脱退後の
Ordinary Worldでも変わっていない。


で、このThe Wild Boysは
めずらしくギターに
ディストーション・サウンドを
鳴らすことを許しているのである。


間奏もまた然りである。
とてもハード・ロックっぽい。


だが同時に曲調は、王道のDDサウンドである。
マイナー・コードでごりごり押してくる感じ。
むしろ過去のどの曲よりもその印象は強い。

だから、そのラインを守りつつ、
アンディ、ちょっとロックっぽくやろうよ、
みたいな声が、どこからか
聞こえてくるような気がするのである。



実際パワーステーションの結成に当たっては、
アンディをDDから解放してやったんだ、
みたいなことを、ジョン・テイラーが、
確か口にしていたはずである。


パワーステーションを聴けばわかるが、
確かにアンディ・テイラーは、
十分に弾けるギタリストなのである。

その証拠、という訳でもないけれど、
DD脱退後の彼は、


あのロッド・ステュワートに認められ、
一時期共同制作者みたいなポジションに
名を連ねたりもしている。



01年のオリジナル・メンバーによる再結成後、
このアンディがまた早々と離脱してしまった時には、
うーん、頼むからもうちょっとだけ
我慢してくれよ、とまずは思ったものである。

だけど、ASTRONAUTのツアー中には、
どうやら御尊父の闘病生活からの死なども
並行して起きていたようなのである。


安定性のある職業に就かないことで、
両親にかけてしまう気苦労というのは、
正直僕自身にも覚えのあることである。


あるいはそういうものを見つめなおして
しまったのかもしれないな、と思うと
少しだけ文句をいいたい気持ちが失せた。

またどこかで、彼の消息に触れる機会が
この先いつかあればいいんだけどな、と
今はそんな具合に思っている。



なお、このThe Wild Boysの着想は、
米国の作家ウィリアム・バロウズの
同名の小説に由来している。


さらにビデオの制作費は、これ一本で
百万ドルを超えているそうで、
確かにその分の見応えは十分にある。

セットも凝りに凝っているし、
アニマトロニクスなんかも使われていて、


なるほどこの予算がなければ
実現できない作品であったことは
たぶん間違いはないだろう。


もっともこの背景には、この時の監督が、
実はバロウズの同作品の映画化を
目論んでいたというような背景もあって、
どうやら相当ややこしいらしいので今回は割愛。


さて、最後はいつもの余談。

実は一昨年からやっている
『サムライ伝』のその最初の
ダダイ編の第一回の表紙が


なんとなく、このビデオの冒頭の
ショットの構図の一つに似ていて、
ひそかにすごく気に入っていたりもする。

まあ今左に載っているのは、
第二部シモン編の第一回のものなので、
ついでにここに載せてしまうけれど、
こんな感じである。


サムライ伝 ダダイ編(1/文力パートナーズ

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ま、ビデオを知っている方は、
なんとなく頷いてくれるのではないかと思う。


だから今にも、あのウッド・ブロックを
駆使したドラムが
どこかから聴こえてきそうな気がしてね。


いいよ、これ。本当に。

尾崎様、いつもいつも
タイトなスケジュールの中、
カッコいい絵を
どうもありがとうございます。


ジェイコブ編もう少し待って下さいね。 

いや、いろいろ予定外に
他のことで苦労しちゃっていましてね。
いや、結局のところいい訳ですが。

でも本当、申し訳ないです。どうぞ御容赦。