『雪の夜話』のこと2 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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では早速、昨日の続きと参りましょうか。

でもその前に。

折角なのでまず、単行本の方の書影なども、
調子に乗って載せておいてみることにする。


雪の夜話/浅倉 卓弥

¥1,620
Amazon.co.jp

05年一月の刊行です。
そうか、もう十年も経ったんだなあ。


文庫化の際、まるっきり変えるか、
それともニュアンスを残していくのか、
初めて迷った作品である。


でもこの加藤千香子さんによるイラストが、
やっぱり雰囲気に非常によく合っていたので、
結局基本そのまま行くことにした。


まあそんなことも、
編集さんと逐一話し合いながら決めている。


さて、そろそろ本題に入ろう。


イギリスにキプリングという作家がいる。
ディズニー映画で有名な
『ジャングル・ブック』の原作者である。


この方が、小説を書くという作業を、
お粥作りに喩えている。

材料を鍋に放り込み、
とにかくじっくりと、
すべてが溶けて渾然一体となるまで
煮込むようなものだというのである。


まあそんなものかな、とも思う。


僕の場合、どの作品でもまず最初に
二本くらいの柱を立てる。

大概それは、外枠に関わるものと
キー・モチーフになる部分とに
大別できるのではないかと思う。



外枠というのは、たとえばある場合では
タイム・スリップSFだったり
入れ替わりファンタジーだったり、
まあ大体そういった感じである。


姉妹もの、とか、何の事件も起きない日常とか、
そんな大まかなことだったりする場合もある。

あるいは基本中の基本のラブ・ストーリーとか。

こちらはでも、ボーイ・ミーツ・ガールとは
単純に書けないところがまたあれなのだが。


ま、知っている方は、
あ、あれのことだ、とか
ここでちょっとだけニヤリとして下さい。


さて、一方のキー・モチーフと呼んでいる方は、
たぶん要は、自分の書きたいもの、
もしくは書けそうなものなのだと思う。


たとえば、深夜ラジオ。あの独特の空気感。

でなければ平家物語の概略とか。
ついでに一緒に勉強した吾妻鏡とか。

世界一有名なピアノソナタと、その作者のこと、

敬愛して止まないビートルズの四人や、
大好きなニュー・オーダー、


あるいはEBTG辺りの楽曲が
その位置を占めてくる場合もある。

それらは時にタイトルにまで侵食してくる。

あとは、向日葵畑の景色とかかな。


あえて順番と数とはぐちゃぐちゃにしたので、
やっぱりまたここでも、知っている方は、

どれとどれが組み合わさるんだな、とか
ちょっとだけニヤリとして下さい。



さて、この組み合わせがどうにかハマると、
なんとなく全体の輪郭が
見えてきたような気がしてくる。

書けそうだな、と思える。

これがだからたぶん、僕にとっての、
その木材に仁王が眠っているかどうかを
見極めるような作業なのだと思う。
(本ブログ記事『夢十夜・第六夜』参照)


あるいは、キプリングの比喩に
即していうならば、その前段階の、
そもそもの鍋を選ぶというような
行為であるのかもしれない。

銅と鉄と琺瑯とでは、
やっぱり出来上がってくるものも
少なからず違うはずである。



さて、で、この『雪の夜話』の場合、
まず外枠の方だけれど、決めたのは
[二十代のビルドゥングス・ロマン]
みたいなものにしようということだった。


結構明確に、この言葉の通りに考えた。

ここでも一度くらい使っているとは思うが、
このビルドゥングス・ロマンなる用語は、
通例成長物語と訳さる。


本邦で有名な例を挙げるなら、
まずは『次郎物語』になるかと思う。


井上靖さんの『しろばんば』辺りも、
割と典型的かもしれない。

要は、主人公の成長を、
物語の主題とする作品群である。



でも考えてみればこれ、
いわば小説の基本中の
基本の形式なんだよね。


プロットを通じて、
登場人物の変化を描くこと。

まあそうではない形を標榜する作品も
あることはあるかもしれないけれど、


それも見方によっては、
変化と呼べるものが
どこかに見つかるのではないかと思う。


問題は、その変化を、成長という言葉で
呼ぶかどうかということだけだろう。


だからまあ、本作においては
主人公の精神的な
ステップアップという内容は、
最初の段階から意図されていて、


テキストはまず、そこを目指して
一つずつ積み上げられて
いくことになったのである。



では、一方のキー・モチーフの方は
同作の場合、一体何だったのか。

ありていにいってしまえば、
まずはずばり、雪景色である。


札幌の雪というものには、
子供の頃から否応なく付き合ってきた。


昼夜を問わず空を埋め尽くす様など
それこそ飽きるほど見ていたし、

雪かきという作業の
運動の詳細も体に染み付いていた。


だから書けそうだ、と思ったし、
書いてみたいとも思った。



この辺りになると、もうタイトルも、
動かしがたく定まっていた。

もちろん「夜話」という言葉は、
昔手塚さんから教わったものである。


それどころかブラック・ジャックの
サブタイトルの一つに
まさに『雪の夜ばなし』というものがある。


作品として直接の関係はないけれど、
存在を知らなかった訳ではないし、
探せば影響を見つけることも可能だろう。
それを否定するつもりもない。

だが同作をモデルにして
全編を書き上げた訳でもない。


そこはお読み戴ければわかるかとも思う。

もっとも、人外との邂逅譚とでも
大まかにくくってしまえば、
両作品は一緒になるのかもしれないが。

いや、まあこの辺りはやっぱり余談になるか。


さて、本当はここで止めておけば
いいのだろうなあ、と
自分でも思わないでもないのだが、


だけどまあ、こういったことを書く機会も、
この先そうそうあるとも思えないから、
もう少しだけ掘り下げる。

同作をすごく気に入って下さっている方には、
なんだ、そもそもはそんな着想だったのか、と
もし万が一、がっかりさせるような
結果となってしまったら申し訳ない。


でも本当のことだから。

で、たぶんこの時僕がさらにもう一つ、
自分で書いてみたいな、
書けるんじゃないかな、と考えていたのは、

実は、あるコミックの一場面なのである。

フードつきのコートを着たヒロインが、
雪の中で遊んでいるのを
主人公が窓から見つけるというシーンが、
昔よく読んでいた、とある作品にあって、


これを自分で、文章でやってみたいな、と
そんなふうに思ったのである。

だから、その構図を成立させようと
あれやこれやと考えているうちに、
気がつけば人でも妖精でもない、


自分で幽霊と一緒にするなと
いってしまうような、
雪子という設定が出来上がっていた。



あるいは『火の鳥』の速魚あたりが、
無自覚なままで、このキャラの造型に
影響を及ぼしていた可能性は
あるかもしれないとは自分でも思う。

ただ、そういうのはもう、
それこそどろどろに溶けてしまっていて
僕自身にもはっきりとはわからない。


正直なところ、そんなものなのである。

いえるのはただ、やっぱり
まるっきり知らないことを
小説にするなんてことは
到底できないのだということである。

なんらかの知識の断片があって、
そこに、決して持って生まれたものではない
言葉というものが次第に寄り集まっていって、


文章が出来上がり、小説が出来上がる。

それこそちょうど、
空から降り注いだ塵の欠片が、
周囲の水分を集めて凍って、
雪ができあがるみたいに、である。


ちなみにここまでの発想の、
とりわけ二本の柱の部分には、
昔星新一さんの
創作に関する文章で読んだ


異質なものを二つぶつけてみることによって
アイディアが生まれてくるといった言葉を、
少なからず参考にしているのだろうとも思う。


どの本で読んだのだったかは、
遺憾ながらもうすっかり忘れてしまっている。

何かの雑誌で見つけた
インタビューだったとは思うのだが。



さて、で、たぶんこの辺りの段階で、
『雪の夜話』という作品を煮詰めるための
鍋がどうやら決まったのである。


次は火にかけて、
ほかの材料をどんどんと放り込み、
渾然一体となるまで、
気長に煮詰めていくという段取りになる。

もうここから先は、雑多である。

手塚治虫的死生観。
哲学書の断片。


複数の勤務先で触れることができた、
印刷業界に関する諸々。

野生動物を扱ったドキュメンタリー。

飼っていたウチの犬が産んだ子犬の、
どういえばいいのかも
わからないようなぎこちない動作。


やがて見える/見えないというテーマが
自ずと浮かんできて、

今度は色彩について書かねばならなくなる。
つまり、知らねばならなくなる。


そんなふうに、書きながら少しずつ、
必要と思われる資料に目を通しては、
それらを自分なりに咀嚼して、


自分でも書けると思える箇所だけ
作品の中に取り込んでいく。

そうするうちに次第次第に、
作品がもう最後まで
そこにあるような気がしてくる。


仁王がいる手応えが確信に変わる。
鍋の中身がどんどんと渾然となっていく。



たぶん最初にこの『雪の夜話』という仁王の
鼻先を、どうやら掘り出せたな、と思ったのは、
最初の章の雪子の台詞が出てきた時だった。

雪のずっと向こうに云々というやつである。

むしろこの台詞が見つかっていたからこそ、
書こうと思ったというのが
より正確なのかもしれないが、


その辺りはもう正直、
昔のこと過ぎてはっきりとはわからない。

それどころか、これだけ長く書いておいて、
こういう内容が、戴いた御質問へのちゃんと
回答になっているのかも
最早ちょっとわからなくなっている。


どうでしょう? 面白いですか?
せめて退屈でなければよかったのですが。



などといいながらも、このトピック、
さらにもう一回だけ続く。


次回は哲学なるものからの影響について
少し詳しく書いてみるつもりでおります。


だからまあ、たぶん相当飛ばす。
『火の鳥未来編』の二回目と、
同じくらいかそれ以上。


という訳で、今日のところは
この辺りで一段落。

以下はほぼ余談。

ちなみに左にある『サムライ伝』の場合
今回のテキストに即していえば、
外枠はハードSF、しかもバトルもの、
といった感じになっている。


一方のモチーフの方は、
哲学と、それからキリスト教である。

ま、自分でもなんともでかい鍋に
なってしまったものだと思う。
でも、できそうな感触があるからやっている。


でもこちらの作品については、
またいずれ機会を改めて。



では本当の最後の最後に、
一つだけ、なんというか、
ここでクイズです、めいた企画。


もし、上で触れた雪子のシーンの
元ネタがわかってしまった方が
万が一この中にいらっしゃるようなら、


僕だってそれこそ、
本書の単行本の
サイン本くらいは準備する。


でも一番最初の正解者一名だけ。

解答の権利は一人一回。
絶対これだ、と思われた方は、
コメントの機能を使ってご案内下さい。


ただし、正解された場合は、
そのコメントは非公開になります。
この点、一応念のため。


ですから正解者が出た場合はその旨を
うちのA嬢がまずコメントを出し、

その方にそっと、送付先の確認などの御連絡を
させていただく段取りになるかと存じます。



なお、当選者の発表は
賞品の発送をもって替えさせて
いただきますので御了承下さい。