『雪の夜話』のこと1 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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本当は自分の本、とりわけ旧作を
ここで扱うのは、

せめてきちんと新しい書籍の
告知くらいはできてからでないと、


ちょっとだけカッコ悪いかなあと、などと
思っていたりしなくもなかった。


もっとも一昨年、電子書籍で
単行本二冊分のテキストは
発表してこそいるのだけれど、

残念ながらメディアの方が、
十分に育っているとは
さすがにいいがたいのが現状である。



いずれにせよ、この本ばかりはまあ、
書くなら冬のうちに書いておかないと、
また一年機会を逸してしまうからなあ、
などとつらつらと迷っていたところへ、


先日リクエストなど戴いたので、
思い切って取り上げてみることにしました。

雪の夜話 (中公文庫)/浅倉 卓弥

¥679
Amazon.co.jp


しかしながら、当然のことではありますが、
基本は自分で書いた自分の本の話ですから、
何をどう書いても、
本質的に手前ミソになります。


ですから今回は、
どうぞその点につきましては
重々御了承の上、広い御心でもって
お読み戴ければ大変恐縮に存じます。



さて、ご存知の向きもあるかと思うが、
僕は03年に『四日間の奇蹟』という本で、
この業界にデビューをさせて戴いている。

当時、ひょっとしてすごくいい時代に
なったんじゃないかなあ、と感じたのは、


ちょうどネットが普及し始めたことで、
比較的簡単に、自分の作品が


世の中でどんなふうに読まれているかを、
ある意味直接知ることが
できるようになったと感じられた点である。


レコードをやっていた頃は、
もちろん決して上と同じような意味では
自分の作品という訳ではなかったのだが、


担当してどうにかリリースにまで
漕ぎつけて世に出すことのできた一枚が、


いわばユーザーの方に、それぞれどのように
受け取られているのかという点に関しては、

同梱したハガキが、運よく返ってきてくれた
場合くらいにしか、知ることができなかった。


この邦題、甘過ぎるでしょ、
聖子ちゃんみたい、とか、


時にそんなことが書かれてあるのを
苦笑しながら読んだものである。

これがどのアーティストのどのアルバムの
どの曲のことかも決して忘れはしないのだが、


ちょっと勿体をつけさせていただいて、
ここではまだ、内緒にしておくことにする。



ところが、ハガキ一枚余分に入れるにも、
やはり経費というものはかかるのである。

しかも、返送してもらうには、
あの頃はユーザーの各自に
切手代を負担して
もらわなければならなかった。


予算の関係上、それしかできなかったのである。

だから、それがこんなに容易に
手に入るのかと、
実はちょっと戸惑うくらいだった。


もちろん運よく見つけたものは、
どれも食い入るようにして目を通した。


毀誉褒貶、どんな言葉も、
基本的にはありがたいなと思っている。


もちろん、さほど満足して
いただけなかったらしいケースでは、

書き方によっては、
少なからずむっとしてしまったことも
決して皆無ではない。


だが翻れば、百人、千人あるいは
それ以上という単位の人々のすべてに


十分に満足してもらえるような文章、
作品など、たぶん存在できないだろう。

むしろそんなものがあってしまったら、
それは社会が行き過ぎなほどまでに、
均質になり過ぎてしまったことの
一つの証拠であるのに違いなく、


どちらかといえば、
少なからず気持ちが悪いくらいには、
形容すべき種類の
事態なのではないかと思う。



そして、改めて思いなおせば
そんな否定的なコメント群もまた、

僕の作品に時間を使ってくれたことの
証左の一つの形であることは
たぶん間違いがないのである。


つまんないな、合わないな、と思いながら、
それでも最後まで目を通してくれたんだ、
などと思えば、申し訳ない気持ちにもなった。


だから、できることなら、
次には喜んでもらいたいものだ、と、
気持ちを新たにするようにしている。

書籍もまた、人と人の場合と同様に
一期一会という言葉が
まったくもって当て嵌まるよなあ、と
まあそんなふうに思っている。



さて、些かどころではなく
前置きが長くなってしまったようだけれど、


この『雪の夜話』に関しては、
忘れられないコメントを一つ目にしている。

決して長くはない一行だった。


「鬱だった私をすくってくれた大切な本」


だから、どうしたって
少なからず自画自賛になるのですけれど、

もしこの方が本当に、あの作品によって
こういう気持ちになれたのだとしたら、


それはもう、なんというか、
とにかくこの上なく
嬉しいことだよなあと思いましたです。


出版を敢行してくれた版元を始め、
関わってくれた全員に
改めて感謝したい気持ちになりました。

もちろんその点については
いつも思っているのだけれど。



当然のことながら、僕がテキストを
とにかく最後まで書き上げたとしても


それだけでは決して
書籍という商品にはならない。

編集者がいて、校閲とデザイナーがいて
営業がいて宣伝がいて、


そのスタッフの仕事を支える
人事やら経理やら、
そういうのを含めた
出版社という組織があって、


それぞれのスタッフが
それぞれの時間を
それぞれ適宜使ってくれて、

さらには、そうやってできあがったものが、
今度はきちんと市場に流通して行かなければ、


同書は決して、この方の手元に
届くことなどできてはいなかったのである。


しかも、その流通システムだって、
それを維持するために働く人間を要求する。

つまり、取次ぎや各書店がきちんと利益を上げ
人件費やある場合には賃貸料などを
十分に確保・捻出することができて、
初めて出版という事業が事業として成り立つ。


つまり、僕の本とこの方との出会いとは、
この場ですぐそう簡単には
見積もりさえできないくらいの数の


たくさんの人々のお力をお借りして始めて、
どうにか現実になることができたのである。


――だから、一期一会なのである。


で、何を隠そう実は、
僕の浅倉卓弥というこの筆名を
一番最初に活字にしてくれたのは、


実はこの『雪の夜話』の草稿だったのである。

デビュー作『四日間~』を遡ること数年前、
残念ながら今はなくなってしまった
某新人賞の一次選考通過者として、
雑誌に初めて名前が載ったのである。


それから二年くらい続けて、
どうにか同じ月に名前を載せることは
叶ったのだけれど、


残念ながら同賞から世に出ていくことは
最終的にはできなかった。

立ち上げに手塚さんが関わっていたので、
かなり執着はあったのだが、


まあ、それはたぶん
そういう御縁だったのだから


ここで今さらあれこれいっても
いずれ仕方のない種類のことである。

過去は変わらない。
人にはその力はない。


なんてね。でもまあ、これは本当のことだし。

とにかくだから、僕がようやくまともに
文章というものが書けるようになり、
どうにか最後まで仕上げられたのが、
何を隠そう、この作品だったのである。


ちなみに僕は、この『雪の夜話』と、
それから『君の名残を』の両作品とは、
全編頭から二回ずつ書いている。


それだけやって、ようやく
まあ自分でもまともに書けてるな、と
思うくらいのレベルに
到達することができたのだと思う。


さすがに今はだいぶ慣れたから、
そこまでやらなくても
自分の理想とするクォリティーに
近づけることができるようにもなったけれど。


まあだから、もし巷間よくいわれるように、

処女作にはその作家のすべてが
見つかるものだとするならば、


それに相当するのは、たぶん僕の場合
デビュー作の『四日間~』ではなく、

この『雪の夜話』か、
あるいは『君の名残を』になるのだと思う。


ちなみに『君の名残を』をまず書き始め、
こちらが完成状態になるよりも先に
この『雪の夜話』の方が
どうやら仕上がった、みたいな順番である。



そういう訳で、もし本記事によって
同書に御興味を持たれた向きには、

是非お手にとっていただければ、と、
オススメしたいのは山々なのだが、


遺憾ながら、この文庫は現在、
いわゆる品切れ・重版未定の状態にある。


ただまあ、大手の書店チェーンなどでは、
ひょっとして眠っている在庫が
まだどこかにあったりするかもしれません。

恐縮ながら問い合わせして
いただくよりないのではないかと思います。



何をいっても愚痴に聞こえて
しまいかねないのは
重々承知の上ではありますが、


正直、この業界の現状では
こういう事態も仕方がないなと
思うことにしています。

二年くらい前の段階でのデータですが、
そこから遡ること数年の短期間に、
全国の書店の軒数が、
一万店も減ったのだそうです。


この数字が今はもっと
多くなっているだろうことは
たぶん間違いがありません。



これは、販路が縮小してしまった
ということだけでは済みません。

同時にまた、一万店かそれを上回る分の
店頭在庫だったものを、


取次ぎなり版元なりが抱えざるを得ない事態に
なってしまったということでもあります。


一軒の書店にいったい幾冊の本が
並んでいるかは、もちろん規模にもよりますが、
百冊千冊ということは決してないでしょう。

十万からの店頭在庫を売りにしていた
お店だって、少なからずありました。


それが一万店分です。
考えるのも嫌になります。


天文学的数字というものが、
こんな身近にあるのだなあ、と
ただ唖然とするだけです。

まあそんなでもないか。

もっとも、そのうち文芸書が何%だったかは
僕の知り得るところでもありませんが。


でも、とにかくそれが余ってしまった訳です。

在庫がある以上、新しい商品を仕入れる、
あるいは生産することには
企業としては極めて
慎重にならざるを得ないでしょう。


その点については、まあ納得はともかく
理解せざるを得ないなとは思うのです。


書籍という商品は性質が違うだろうと
反論することは簡単です。
でもいったところで現実は変わらない。

この、ある種の不良債権みたいなものを、
企業が懸命になって減らしたい、
あるいは増やしたくないと思うのは、


企業自体が生き残っていくためには
仕方のない、というかむしろ
当然の考え方だといえるでしょう。


まあ一方で、それが一万店のお店で
売れ残っていた本なのだという事実も、
同時に指摘されねばならないとは思いますが、

まあそれも、在庫の山という
かくも強力な現実の前には
ほとんど太刀打ちができません。



ですから、この状況下で旧作をどう
生き残らせていくかというのは、


僕だけでなく、今や書き手の全体が
最も頭を悩ませている問題であることは、
たぶん間違いがないかと思われます。

打開策がすぐに浮かぶ種類の事態では
絶対にありませんから、


まあ僕としては、淡々と新しい原稿を
書き続けるよりありません。


だから、黙々とやってます。

そろそろ四冊目の短編集も揃いそうです。
手を挙げてくれるところが見つかれば、
そのうち世に出せるかと思います。


さて、こんなところで、そろそろまた、
というか、つい最後に愚痴まで
だらだらいってしまったもので、


今回はもうすでに相当な字数に
なってしまっております。

ですので、例によって
この続きはまた明日ということで。



次回はいよいよ、頂戴した御質問のキモである、
僕がこの作品をどうやって書いたかについて、
多少踏み込んで書いてみたいと思っています。



もし興味をお持ち下さった方には、
是非御期待いただければと存じます。

なお、同書については
『ライティングデスク~』でも
あまり触れてはおりませんので、


いわば本邦初公開とでもいった
内容になっていることは確かです。