ブログラジオ ♯46 Love Is All That Matters | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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今回はヒューマン・リーグ。
代表曲とはややいいがたいけれど、
これは本当に名曲だったと思っている。

Crash/Human League

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リード・ヴォーカルは基本男性で、
女性二人がコーラスとして参加し、
トラックによってはソロを受け持つ。


本格的にはまずフリートウッド・マックが
採用していたスタイルだと思うのだけれど、
このヒューマン・リーグが、
一気に押し上げたのではないかと思う。


もっとも、60~70年代にかけて、
こんな編成のバンドが皆無だったか
どうかまでは、断言できないのだけれど。

本邦でなら米米クラブや、あるいは
バービー・ボーイズ辺りまで、
実はこの影響下にあったといっても
いいのかもしれない。


さらにはアメリカのB-52sや、
北欧はデンマークのアクアなんかも、


ひょっとして彼らのスタイルに
インスパイアされて出てきたのかな、
なんてことを時に思わないでもない

だけどまあ、パフォーマーとしては、
B-52sのフレッド・シュナイダーの方が
格段に上だよなあ、というのが、
個人的な感想ではあるのだけれど。


で、このフロントの特殊なスタイルが
出来上がった経緯というのが実に面白い。


このヒューマン・リーグなるバンドは
メンバーの入れ替わりが本当に激しくて、

基本、結成からのパーマネントなメンバーは、
ヴォーカルのフィル・オーキーと、
ほか、もう一人しかいなかった。
ちなみに現在はついに彼一人である。


後年には元スクィーズの
ジュルス・ホランドがいつのまにか
たぶんツアーにだけ参加していたりして、
ちょっと戸惑ったりもしたものである。


いや、このスクィーズなるバンドの音楽性と、
ヒューマン・リーグのそれとは、
なんというか、ある意味真逆なのである。

まあこの点については
またスクィーズを紹介する時に改めて。



さて、バンドのデビューは78年にまで遡る。
シンセサイザーをメインに打ち出しつつも、


いわゆるスタジオ・バンドみたいな
方向ばかりを目指していなかったことは、
特筆されておくべきだろう。

実際彼らのステージは、録音素材をバックに流し、
そのうえで各メンバーが、歌なりあるいは
シンセサイザーのプレイなりを載せることで
成立していた模様である。


これ、当時としてはたぶん
相当画期的なことだった。


彼らに、というか、オーキーに
一つの転機が訪れるのは、
80年も終わりに迫った冬のことである。

この年の五月に、バンドは二枚目の
フル・アルバムを発表していた。


少しずつ注目を集め始めることにも成功し、
それなり以上の手応えがあったに違いない。


ところがこの頃、四人だったメンバーのうち、
二人までが揃って脱退してしまうのである。

バンドには、ヴァージン・レコードとの
アルバム制作の契約はもちろん、
ヨーロッパ・ツアーまでもが
スケジューリングされていた。


これが全部ぽしゃってしまえば、
当然違約金が発生する。負債となる。
おそらくそんな状況になってしまったのだろうな、
と、まあこちらは勝手に想像している。


もちろん理由はそれだけではなかったろうが、
だからオーキーは、ヒューマン・リーグという
彼のバンドをそのまま消滅させてしまう訳には
絶対にいかなかったのではないかと思われる。

この再編成のために、ミュージシャンだけでなく、
バック・コーラスを確保しようと発想するのが、
たぶんこの人の面白いところなのである。


もちろんステージでのパフォーマンスが、
念頭にあったことはたぶん間違いがない。


そしてこの時バンドに加わったのが、
スーザン・アン・サリーと
ジョアンヌ・キャトラルという
二人の女性なのである。

当時彼女たちは、二人が二人とも
まだハイ・スクールの学生だった。


二人は遊びに来ていたディスコで
このオーキーに声をかけられ、
そのままメンバーとなってしまうのである。


――ちょっと特殊なナンパだよね。

ねえ、よかったら俺と一緒にバンドやらない?
なんて声のかけ方をしたのかどうかは
もちろん知らないけれど、いずれにせよ、


上記の欧州ツアーに同行し、のみならず
次作のレコーディングにも参加した二人は、
結局そのまま学校に戻ることもせず、
音楽の業界に身を投じることになるのである。


うーん、いったいどんな人生だったのだろう。
どうしてもそう考えてしまう。

詳しいことはわからないが、たぶん二人は、
是が非でもミュージシャンになりたいとかは、
あんまり思っていなかったんじゃないかと思う。


それがこの夜クレイジー・デイジーなる
ナイトクラブに顔を出していたがために、
瞬く間に世界的な人気の対象と
なってしまった訳である。


というのも、この英断が、バンドをして
一気にメイン・ストリームへと
押し上げてくれる結果となったからである。

二人を迎えて制作されたアルバム所収の
Don’t You Want Meなるトラックが、
それこそいきなり、英米ともに一位を獲得する
怪物クラスのヒットとなったのである。


81年の出来事である。余談ながらこの曲は
『愛の残り火』なる邦題で紹介されている。


同アルバムDAREは瞬く間に彼らの代表作となり、
さらには続いたFascinationなる企画盤も
そこそこの支持を集めたはずである。

時期的にいって、実はこのヒューマン・リーグこそが、
第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンの
先陣を切っていたのかもしれないなとも思う。


ある意味では、バグルズの切り拓いた方向性を
真っ当に継承したのが彼らだったとも
いえるのかもしれない。



さて今回御紹介のLove Is All That Mattersを
収録したアルバムCRASHは86年の作品である。

だからDon’t You Want Meから数えて
5年後のアルバムということになる。
プロデューサーに、当時人気の絶頂にあった
ジャム&ルイスなるチームを迎えて制作された。


同作からはHumanというトラックが
バンドにとって二曲目の
全米ナンバー・ワンとなっている。
こちらは美しいバラードである。


これだって、なかなか起こることではない。
DDもトップワンはThe Reflexのみのはずだし、
四年あまりのタイムラグを吹き飛ばしたのは、
やっぱり楽曲の強さだったのだろうと思う。

もっともこちらのLove Is All That Mattersは
だがシングルとしてはあまり成功していない。
個人的にはこれが彼らの
ベスト・トラックなのだけれど。


さて、では例によって役に立たないトリビア。

すでに紹介しているOMDのカタログに、
カナ表記がまったく同じになってしまう
CRUSHというタイトルのアルバムがある。

辞書的にはaのCrashの方は
凄い音を立てて潰す、あるいは
飛行機が落ちるというような場合に使うのだそうで、


一方のuのCrushは、押し潰すとか
圧搾するとかいった訳になるのだそうである。


この二つの違いが、昔から
なんとなくわかるような
やっぱりイマイチわからないような、
そんな感じのままでいる。

果たしてネイティヴの方は、
どんな具合に使い分けているのか、
機会があれば訊いてみたいな、と思っている。


いや、ちっとも豆知識になってないな、これ。
まあ御容赦くださいませ。
それこそ絞り出しています。