『嫌われ松子の一生』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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邦画の一発目を何にしようかと、
ずいぶんと悩んではきたのだけれど。
結局これにすることにした。

嫌われ松子の一生

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もっとも、宮崎作品はすでに幾度か
ここで取り上げてこそいるのだけれど、


あれらがどこか別枠扱いというのは、
なんとなく皆様もうすでに、
お察しいただけているのではないかとも思う。


さて、という訳で『松子』である。

同作は僕が知る限り、邦画のうちで
ミュージカルとしてきちんと成立し、
かつ成功している数少ない例である。


そもそもがこの分野に挑んでいる
作品自体が滅多なことでは見つからない。


しかも大概の場合は目も当てられないくらいに
失敗してしまっている印象がある。

なお、周防監督の最新作
『舞妓はレディー』は
恐縮ながらまだ見ていない。


だからもちろんここでは、どちらにも
カウントしていないので念のため。


ほかに浮かんでくるタイトルもなくはないけれど、
名前を出すだけでもう、なんとなくいろんな方面に
角が立ってしまいそうな気もしないでもない。

万が一この記述だけでもお気に触ってしまう方が
もしいらっしゃったら大変申し訳ありません。



さて、そそくさと本編の話に戻ることにしよう。

しかし本当に、この中島哲也監督なる方は
あの原作を読んで、どうしてこういう
組み立てにしようと思いついたのだろう。

まったくもって不思議である。

監督の御名前は、大方の皆様と同じように
あの『下妻物語』で強烈に印象づけられた。


二回見て二回とも笑えてしまうって、
相当すごいことだと思う。

僕は、あのジャスコの辺りがとても好きです。
あとはなんといっても御意見XX。
(最後はネタバレ回避のため伏字)
もっとも、こちらは獄本さんのアイディアですが。


さて、物語なるものを組み立てていく場合、
主人公が実際に過ごす時間軸だけでは、
どうしても説明が不十分になってしまう
要素が出てくることがしばしばある。


代表的なのは、作中で視点の地位を
与えられていない人物の過去であろう。

大体こういうのは小説の場合、回想とか
カットバックとか、あるいは登場人物による
説明的なセリフの導入で処理されることになる。


そういえば、セリフが常軌を逸して長い
キャラクターがいたような気がするな、
とか、あまり思い出さないで下さいね。


一応弁明しておくと、あの四日間については
作中の時間をプロットの時系列の通りに
完璧に流したいなと思ったんです。

だから、回想とかカットバックとか、
事故の前夜から最後まで、
一切使いたくなかったんですね。
まあプロローグとエピローグは別としてですが。


わからない人は、このくだりは
一切スルーしてください。
いつもの余談みたいなもんです。



さて、中島監督の表現法が革新的だったのは、
この種の要素の処理に、実写の作品の中で
アニメーションを大胆に導入したことであろう。

たとえば『下妻物語』の、あの暴走族の伝説の内容を、
もし実写で繋いでいたとしたら、
やはり相当苦しいことに
なっていたのではないかと思われる。



この方法論は、やや形を変えてこそいるけれど、
この『松子』でも効果的に採用されている。


本作では一番の外枠に、主人公が叔母の一生を
たどりなおすという設定こそあるのだけれど、

基本タイトルの示す通り、作中のイヴェントは
ヒロインが実際に経験する時間軸そのままなので、


因果律の混乱みたいなものは
ほとんど見つからないといっていい。
だからアニメの出番は出てこない。


その代わりといってはなんだが、
主人公松子が風俗で働くシークエンスと、
さらに彼女が服役している数年間とが、
歌とダンスとによって処理される。

この手法により、作中の経過時間が
大幅に圧縮されているのである。


だから、映画と原作とが、
相当異なるアプローチを
採用しているにも関わらず、
忠実に同じプロットが再現されている。


上手いなあ、とつくづく思う。

原作は実は極めて長い。
それがこうまとまっちゃうんだという、
ある種の驚きが、この映画には確かにあった。


加えて特筆しておくべきは、
中島監督特有の色彩感覚だろう。


おそらくはティム・バートンの
影響下にあると思われる、
彩度の高い背景の導入が随所に見られる。

これが『下妻』にせよ『松子』にせよ、
極めて効果的に成功している。


なんというか、物語全体が、
現実と非現実とのちょうど境目にあるような
そんな印象を醸し出してくれるのである。


だから、ちょっとだけ距離を置いて
観ていて全然かまわないんだよ、と、
そんなふうにいってもらえているような
気がして、安心するのである。


最近は『告白』『KAWAKI』と、
少し重ための作品が続いている様子だけれど、


この中島監督には是非また、
コメディタッチで最後に
ちょっとだけじんわりとくる、
そんなテイストの作品も、


忘れずにいつか手がけて、
また世に出していただきたいものだなあと、
個人的にはそんな具合に思いながら待っている。

なんていうかね、邦画はむしろ笑いたいんですよ。
自分でも理由はよくわからないんだけれど。


でも寅さんには、なんだか浸れないんだよなあ。