ラジオエクストラ ♭11 Ruby Tuesday | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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この曲がストーンズのカタログにあることが、
昔から少なからず不思議だった。

シングル・コレクション(ロンドン・イヤーズ)/ザ・ローリング・ストーンズ

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端的にいってブルースの香りが全然しないのである。
それどころかギターがほとんど前に出てこない。
こういうパターンはストーンズではひどくめずらしい。
あまりロックっぽく感じられない。


作詞作曲のクレジットは、バンドのオリジナルが
ほぼそうであるようにJagger/Richardとなっている。
だがミックは、同曲についてはメロディーにも
歌詞にも一切タッチしていないことを明言している。


ではキースの作ということになるのか。
まあ普通はそう考えられていたものである。

結論からいってしまうと、どうやらこのトラック、
原型はあの、ブライアン・ジョーンズの
手によるものらしいのである。


以前からマリアンヌ・フェイスフルの発言には
そういう内容もあったらしいのだけれど、
近年になってキース自身もどうやら
これを認めている模様なのである。


ちなみにマリアンヌとはミックの恋人だった女性で、
As Tears Go Byのいわば
オリジナル・シンガーに当たる人である。

さて、ご存知の向きには釈迦に説法なのだけれど、
一応この辺りで、ストーンズの成立と、
このブライアン・ジョーンズなる人物について
簡単に触れておく。


でも本当に概略だけ。
彼らについては僕なんか比べ物にならないほど
相当詳しい方がいっぱいいらっしゃるはずなので。


さて、ミックとキースは学生時代というか、
ほとんど幼馴染といってもいいような間柄で、
二人がロンドンで、別のグループですでに
プレイしていたブライアンに声をかけたことで、
ストーンズの原型が出来上がる。

一緒にバンドを組もうという流れには、
相当自然になったのではないかと想像される。
事実、一時期だがこの三人は、安アパートで
共同生活をしてさえいるのである。


これにドラムのチャーリー・ワッツと
ベースのビル・ワイマンが加わってバンドが出来上がる。


なお、結成時にはイアンという鍵盤奏者もいたのだが、
どういう経緯でか、デビューと前後して
正式なメンバーからは外されている。もっとも、
バンドとすっかり縁が切れた訳ではなく、
むしろ逆だったようでもある。詳細は今回は譲るけど。

さて、当初はブライアンがリーダー格的存在で、
マディ・ウォーターズの楽曲に由来する
グループ名を決定したのも彼だった。


ブライアンは一時期ミック以外のヴォーカリストを
迎えることをキースに持ちかけたこともあったらしい。
だがキースは絶対首を縦に振らなかったそうである。


だから、軋轢は最初からあったのだろうと思われる。
まあもちろん、すべては想像でしかないのだが。

当初ストーンズは、自分たちでソングライティングを
手がけることをあんまり考えてはいなかった。


とりわけキースとミックはR&Bや、あるいは
草創期のロックンロールのカヴァーを
やっていくつもりだったらしい。


それは当時イギリスにはなかった音楽だったからである。
ブライアンもその点には諸手を挙げて賛成していた。

いや、断定しているけれど全部基本想像だからね。
そう考えるのがやっぱり自然かなという
だけのことですので、念のため。


ところがである。その彼らの考えを変えさせたのが
いわずもがな、ビートルズの存在だったのである。
ストーンズの二枚目のシングル曲で、彼らの最初の
スマッシュ・ヒットとなったI Wanna Be Your Manは
レノン/マッカートニーの作品なのである。


バンドの中にソングライター・チームがいること、
しかもちゃんとしたロックンロールを作っていることに
おそらくミックとキースは相当衝撃を受けたに違いない。

しかも彼らは自分たちと同世代の人間だった。
だからその事実は、自分たちにもできるはずだという
自信にも繋がったのだろうと思われる。
もちろん必要なことでもあっただろうし。


やがてJagger/Richardというソングライター・チームが
十分に機能し始めるに連れて、当然のことながら、
バンドの主導権はこの二人へと移っていった。


並行してバンドはどんどん巨大な存在になり、
露悪的なプロモーション戦略もあって、
やがて官憲に睨まれたりするようにまでなった。

薬物の所持でメンバーが入れ替わり立ち代り
逮捕され、法廷に出頭するようなことが
それこそ日常茶飯事みたいにまでなっていく。
まあ実際やっていたんだろうとは思うけれど。


とにかく色々な要因でバンドはギクシャクしていく。
ブライアン自身もやはりずいぶんと荒れたらしい。


この時期は、いってしまえばグチャグチャである。
キースがブライアンの恋人を略奪したり、
あるいはメンバーが全部の音を録り終わった後、
ブライアンが一人で自分のパートを録音したり、
なんてことも実際あったようである。

詳細は省くが、破局が訪れたのは1969年だった。
バンドが正式にブライアンの解雇を決めた二週間後、
彼は自宅のプールで遺体となって発見された。


享年27歳、自殺かあるいは薬物による中毒だったのか。
正確なところは誰にも断言できないだろう。
ミックとキースはブライアンの葬儀を欠席するが、
最初のコンサートを、彼への追悼のステージとしている。


一応お断りしておくと、これらは僕が五つにもなる前に
海の向こうで起きて終わってしまった出来事である。

だからもしそう読めたら本当に申し訳ないのだけれど、
とりわけブライアンに肩入れし、
キースとミックを糾弾するような意図は
微塵もないつもりである。


ただあのストーンズという巨大なバンドに、
そういう歴史があったんだな、と感じ入るだけである。


むしろ、一切を乗り越えてグループを今なお、
存続のみならず、ビジネスとして成立させている二人に
感嘆する気持ちの方が大きいくらいである。


さて、このブライアン・ジョーンズなるギタリスト
とにかく際立って演奏が上手かったらしい。
ギターのみならず、鍵盤や、あるいはオーボエや
リコーダーなどの吹奏楽器も容易にこなしたようである。


その力量はレノンも認めるところであったらしく、
ビートルズのYou Know My Nameという
トラックで聴こえるサキソフォンは
彼のプレイなのだそうである。



そういう訳で、このRuby Tuesdayは
66年、デビュー三年目のシングル曲である。
(アメリカではアルバムに収録されるのだけれど、
その辺りの経緯はややこしいので今回は割愛)

最初はLet’s Spend the Night Togetherの
B面曲だったのだろうと思われる。少なくとも
バンドの意向はそうだったのだろう。


始めから両A面だったとは時代からして考えにくい。
それに、Let’s Spend the Night Togetherの方が
よほどストーンズらしいトラックでもある。


ところがアメリカで、同曲の歌詞が問題になってしまう。
夜を一緒に過ごそうというのが直接的過ぎるとして、
オンエアが、いわば自粛されてしまったのである。

ちなみにTVではthe NightをSome Timeに
変更して歌うことを余儀なくされたりもしている。
当時の放送局のモラルというのものは、
おそらくそういう感じだったのだろう。
もちろんここでその是非を論ずるつもりもないけれど。


かくしてカップリングのRuby Tuesdayばかりが
ラジオでオンエアされることになり、結果として同曲が
全米トップワン・ヒットとなり、しかもさらには
Satisfaction以来となる、バンドにとって二曲目の
ゴールド・シングルに到達するまでとなったのである。


改めてこのRuby Tuesdayを聴いてみる。
イントロがない。いきなりミックが歌い始める。
これだけでもうに十分にストーンズっぽくはない。

バッキングを支えているのは、ピアノと
それからリコーダーの音色である。
ドラムもなかなか出てこない。


ベースが二本入っているが、ギターはたぶん
サビの最後の箇所のストローク・プレイ以外には
使用されていない模様である。


いずれにせよ、ひどく独特の雰囲気である。

名前を与えられることを決して許さない
このルビー・チューズデイという女性が語った言葉を
ミックの声がどこかぎこちなく紡いでいく
3コーラス目の歌詞が、とりわけ強く心に残る。


たぶんストーンズのナンバーの中では、
群を抜いてカヴァーされている
楽曲なのではないかと思う。


ロッド・スチュワートやコアーズを始め、
U2もステージでよく歌っているのだけれど、
慣れなのか刷り込みなのか、
やっぱりオリジナルが一番いいなと
思えてしまうから不思議である。