ラジオエクストラ ♭10 Squaresville | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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洋楽に戻る。ブロウ・モンキーズのトラックである。
このクールさ、なかなか比べられるものが見つからない。

Whoops! There goes the neighbourhood/Blow Monkeys

Amazon.co.jp


同作は、88年発表のバンドの四枚目のアルバム。
フープスという邦題がついているが、正式なタイトルを、
WHOOPS! THERE GOES THE NEIGHBOURHOOD
という。まあ、無意味なほど長い。


最初のWhoopsなる語、いわゆる間投詞である。
驚きとか、ちょっとした喜びとかを表すらしい。


だからこのタイトル、無理やりに訳せば、
うわ、近所のやつが通るぞ、くらいの意味となる。

え、どういうこと、と思ったものである。

ちなみに『となりのトトロ』は、あちらでは、
MY NEIGHBOUR TOTOROである。
いや、全然関係ないのだけれど。


でも確かに、トトロの場合は幾ら隣人でも、
In the next doorという訳にはいかないもんな、
などと思ったものである。本当関係ないけどね。

さて、例によっての脱線は今回はこのくらい。

全体を何度聴いても、どうしてこの作品に、
こんなアルバム・タイトルがつけられたのか、
今なおやっぱりよくわからないままでいる。


まあ、この直前のGrocer’s Daughterが
あんな理由でつけられた訳だから、
何かドクター・ロバートなりの意図は
あるのだろうとは思ってはいるのだけれど。
ブログラジオ ♯8参照

さてこの辺りで少しだけきちんと、
バンドの来歴を紹介をしておこうかと思う。


結成は81年、翌年シングル盤で本国イギリスで
まずはデビューを果たしている。
最初のアルバムは二年後の84年の発表である。


シーンに認知されるのはさらにその二年後の86年、
セカンド・アルバムANIMAL MAGIC収録の
Digging Your Sceneが全米ビルボードで
14位まで上昇したことによる。
ちなみに同曲はUKでは12位だった。

だから、突出したシングル・ヒットが
あった訳では決してない。以前取り上げた
Be This Wayの全英5位がバンドの最高位である。


それでも何かが引っかかって、
結局90年初頭の最初の解散まで追いかけていた。


ヴォーカルでソングライティングを一手に
引き受けていたドクター・ロバートは
ソウル・ミュージックのレコードの
熱心なコレクターなのだそうである。

当時の情報でも、そのコレクションは
実に三万枚を越えていたらしい。


だからそういうバックグラウンドがたぶん、
彼の書く曲を独特のものにしていたのだと思う。
まあつまり、いってしまえば、まさしく
ブルー・アイド・ソウルって感じなのである。


僕があれほど気に入っていた最大の理由は
要はそこにあったと思っている。

ただ率直にいって、このアルバム辺りから、
やろうとしていることがやや難しくなって
きてしまったことは、たぶん否めないと思う。


元々から歌詞にはひどく気難しい印象があった。
ある意味でどこか不遜であるといってもいい。


たとえばGrocer’s Daughter収録の
Don’t Give It Upなる楽曲では、
冒頭から主人公がキリスト本人に
口づけを求められるという場面が出てくる。

何処にすればよいのでしょうと問い返すと、
唇にしろとの返事である。
ほかの場所ではダメなのですか。
もちろん主人公は更にそう問いを重ねるより他はない。


もっとも、結局どうなったのかは
曲中では歌われてはいないのだけれど。


あるいは同じアルバムのThe Day After Youは、
かなり乱暴に要約すれば、貴女が政権を退いたら
その日を僕らは祝うんだ、といったような内容である。
まあ、やっぱり当時のサッチャーへの批判であった。

この辛辣さは四枚目でも健在で、というか
さらに訳のわからなさを増していた。
収録曲のタイトルだけ並べてみても、
特に後半の楽曲群にはものすごいものがある。


たとえば、二曲ほど取り上げてみる。

Sweet Talking Rapist at Home
――家にいる、甘い言葉の陵辱者
Bombed Into the Stoneage
――石器時代に投下されて

これ、歌のタイトルな訳です。
普通あまりないですよね。


それぞれにまあそれなりに重いテーマを
扱っているので、曲調も相応に
ヘヴィになっていることは確かである。


だからどちらもグルーヴにすっかり
身を委ねてしまうことが
少なからず難しい種類の音である。
ただ飽きが来てしまうようなこともないのが
不思議なところではあるのだけれど。

あるいはCome On Downというトラックでは、
曲中、こともあろうに神に向かって、
信じろというのなら、その天の宮殿から出てきて
この世界に降りてきてみろよ、などといっている。


全体としてポップかといえば決してそうではない。
たぶん先行した二枚のアルバムの方が、
その点ではよほど優れていたことは間違いがない。


それでもやっぱりこのアルバムも
今に至るまで時折引っ張り出しては
繰り返し聴いているのである。

ボーナス・トラックの類を除いた
おそらくはクロージング・トラックであろう
Love of Which I Dare Not to Speakなる曲の
ちょっとおどけた感じが、それまでの小難しさを
すっかり和らげてくれて、つい納得してしまう。


さて、シングルにもならなかったのだけれど、
本作所収のうちおそらく一番重要な楽曲が、
今回取り上げたSquaresvilleである。


四角い集落。
つまりは旧弊な社会といったような意味である。

とにかくこの曲、Aメロのコードワークが
シンプルなだけに決まっていてひどくカッコいい。


そのパターンに載せ、ドクター・ロバートは
相変わらず、寝室の中の銀行破綻なんて
訳のわからないことを歌っている。しかも。


確かにかつて時代はあっただろう。
でも過去に生きることは罪悪だぜ。

サビに載せられているフレーズがコレである。

ちょっと肩に力入り過ぎているかな、とも
思わないでもないけれど、まあ許せてしまう。


それにあのBe This Wayのテイストも、
It’s Pays to Belongなるトラックで
十分に堪能させてもらえているし。
いずれにせよ、今なお愛聴盤の地位にいる。