『ソフィーの選択』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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すごく面白いけれど、極めて重い作品である。
本作が、ナチスを扱った映画であることは、
少し前にちょっとだけ触れた。

けれど舞台は終始アメリカである。
ちなみに時代設定は、1947年となっている。


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単身ニューヨークに出てきた十九歳の青年スティンゴは、
ブルックリンに部屋を見つけ一人暮らしを始めるのだが、
同じアパートメントハウスの住人である
年上のソフィーに、恋愛感情ともつかない
興味を覚えていくようになる。


このように基本的な設定だけを簡略に記してしまうと、
あたかも本作が、ある種の青春ものか、
あるいは恋愛ストーリー、でなければ
ビルドゥングス・ロマンの一種の
ようにも見えてきてしまうかもしれない。

だが本質はたぶんまったく異なっている。

どうしてもややネタバレになってしまうが、
まあ本作がナチスを扱ったものであることは
すでに冒頭で触れてしまっていることだし。


このソフィーは非ユダヤ系ではあるけれど、
ポーランドの出身で、いわばあのアウシュビッツの
ある種の生き残りなのである。

だから、どうしてもひどく陳腐な表現に
なってしまうのだけれど、彼女はその心に
生涯決して消えはしないだろう深い傷を負っている。


つまり、この理由ゆえのこの時代設定なのである。

スティンゴが終始彼女に、あるいは世界に対して
覚えるのは、おそらくは徹底的な無力感である。

どれほど手を差し伸べたくても、
わずかでもいいから力になりたいと思っても、
それは決して叶わない。物語が進むに連れ、
その事実だけが厳然と明らかになっていく。


だから、憧れている資格さえ、ひょっとすると
自分にはないのかもしれない。
あるいは彼はそんなふうに感じたのかも
しれないとも思う。


タイトルにある、彼女の選択とは
いったいどんなものだったのか。
これが明かされる時、やはり衝撃に似たものが
体のどこかに走るのを禁じざるを得なかった。

こういう判断をせざるを得ないという状況、
それが起こりうるという時代背景。
否応なくそこに思いを馳せていた。


ずいぶんと以前、もちろん翻訳でなのだけれど、
原作の小説にも目を通した。
だから多少、映画と原作の印象が混在して
しまっている感は否めない。


ちなみに作者はウィリアム・スタイロンという。
文庫本で上下巻で、相当に読み応えがあった。
恥ずかしながら細部はさほど覚えていないのだが、
ラスト・シーンの文章がひどく美しくかったことを、
何故だか今でも不思議なほど鮮明に記憶している。


ヒロインのソフィーにあのメリル・ストリープ、
スティンゴには個性派俳優のピーター・マクニコル、
また、ソフィーの恋人で、精神に問題を抱えた
ネイサンにはケヴィン・クラインが
それぞれ配されている。82年の作品で、
メリル・ストリープにオスカーをもたらしてもいる。


なお、余談ながら同作については、
拙著『北緯四十三度の神話』でも、
最後の方で些少ながら触れている。
そちらでは今回伏せたネタを割っているので念のため。