『フィールド・オブ・ドリームス』 | 浅倉卓弥オフィシャルブログ「それさえもおそらくは平穏な日々」Powered by Ameba

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この作品、やはり揺るぎがたい傑作なのである。
89年のアメリカ映画。あのケビン・コスナーを
一躍スターダムへと押し上げてしまった一本。
W. P. キンセラなるカナダの作家の手による
『シューレス・ジョー』なる小説の映像化。

以下、どうしてもややネタバレ的な内容を含むので、
未見の方は、その点重々御了承の上お読み下さい。
まあでも、この作品の狙っているところは決して
そういうサプライズ的なものではないはずだし、
たぶんこの程度の予備知識なら、本作の感動を
さほど軽減するものでは決してないだろうと思います。

さて、まずこの主人公、冒頭からいきなり
誰のものでもない声を耳にしてしまいます。
端的にいってオカルトです。遠回しにいっても結局同じ。
ある日、自分の敷地のトウモロコシ畑の真ん中で
立ちすくんでいた彼に、いきなり言葉が届いて来ます。
「それを作れば、彼は来る」
お告げでしょうか。啓示でしょうか。預言でしょうか。
もちろんその答えを提示してしまうような無粋なことは、
原作も映画も決してしません。
だから我々は、ただその事実をいわばある種無抵抗に
当然のものとして受け止めるしか選択肢がないのです。

結局のところこの作品、どこをどうひっくり返しても
一種の幽霊譚である。それ以外に解釈ができない。
なのに、全編を通じてそんな匂いがまったくしない。
野球というモチーフも相当に効いてはいるのだけれど、
この亡霊たちの遺していた思いが、ある意味極めて
純粋だからなのかもしれないとも思う。
いってみれば、怖くない怪談である。
そんなものになんの意味があるのだろうと
頭からそう決めつけてしまえば、
こういうプロットは決して出てこなかったはずである。
その着想だけでも万感の拍手に値すると思う。

幽霊に野球をさせるという発想を成立させるためには、
お察しのように、どうしても超えなければならない壁が
当然の如く高く立ちはだかってくる。
何か。僕らが普通持っている概念通りの幽霊であれば、
決してゲームなどできないことは明白である。
たとえ彼らがどれほど俊敏な動きをしたとしても、
ボールは差出されたグラブを、もし届いたとしても
そのまますり抜けていくだけである。
それ以前に、バットやグラブを手にするということが
できるのかどうかも定かではないはずだ。

でも考えてみれば、みんなどうやって服着てるんだろうね。
いや、だけど幽霊がもし皆基本的に裸だったとしたら、
『ゴースト』も『アザーズ』も『シックス・センス』も
それから『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』だって
揃って全部R指定になっちゃうだろうからね。
通るのはたぶん『キャスパー』だけだろう。あ、あと
ティム・バートンの『コープス・ブライド』も大丈夫かな。
でもあれは、幽霊ではなく死体なのかな?

とにかく、だがこのスタッフは、あるいは作者は
そんなことなど微塵も拘泥しはしないのである。
――いいじゃん、させちゃえば。
それこそそんな感じだったのではないかと思う。
だから、ある種開きなおりとでも呼ぶべきこの
潔い態度が、結果として古今類を見ない、
極めてユニークなゴースト・ストーリーを
思いがけず世に生み落としてしまったのではないかと思う。
本当に独特の感動である。どれと似ているという作品が
簡単には思い浮かべることができないくらいである。

いきなり自作の話で些か申し訳なくもあるのだが、
だから拙著『雪の夜話』という作品は、
こういうアプローチが狙っているものを
どうにか自分の手で再現してみたいといったような動機が、
おそらくは根底にあったのではないかという気もしている。

いや、断定できないのはさ、書いてる時って、
そういうところまであんまり深く考えていないんだよね。
ただ方向性だけはなんとなく直感的にわかるから、
なんとかそこにたどりつけるよう、言葉を重ねていくだけで。
できあがってみて初めて、ああ、自分はひょっとして
こういうことがやりたかったのかもしれないな、
なんてことを漠然と感じることは、実はしょっちゅうです。

さて、またいつものように寄り道をしたので
例によってそそくさと映画の話に戻ることにする。
ちなみに僕自身が一番感極まってしまったのは、
あのお医者さんが白線を越える一歩を踏み出すシーン。
何がどう、自分の中でどのように反応したのかさえ
今でもきちんとは言葉にできないままでいるけれど、
ああいうものを、自己犠牲といったような言葉で
安易に括ってしまってはいけないんじゃないかとも思う。

さらにちなみに。作中に登場してくる小説家のモデルは、
あのサリンジャーである。原作では名前も明記されている。
当時隠遁生活を決め込んでいた彼を、
なんとかして再び表舞台に引っ張り出したいという、
原作者の思いが、ああいう形で表現されているのだと
僕は今も昔もそんなふうに理解している。

なお、サリンジャーは残念ながら2010年に死去している。
この場を借り、慎んで哀悼の意を表したい。
いや、一応これは僕のブログだから、
決して借りているわけではないのだけれど、
でもまあ、なんとなく。そんな感じ。

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