トラップについての考えの訂正。 | 徒然に。

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思ったことを気ままに。

 私は元々、足元にピタッと止めることや、止めたあとにすぐにボールを触ること、を最も重視して練習をやってきました。

 理由はシンプルで、メッシがそのようなトラップだからです。

 ↓映像はバルサ黄金時代のパス回しですが、その中心にいるメッシは、トラップというよりも「トラップがドリブルの第一歩目」みたいな印象を受けます。

 そしてドリブルのタッチ一つ一つの中で、ほとんど同じ動作でパスやシュートも打てるというのが、メッシのすごいところだと思います。

 

 

 自身の研究で、↓のような練習をやってきました。

 

 

 ただ、こういったトラップ練習をやってきて思うのが、けっこう難易度が高いのではないかということでした。

 できる子はけっこう圧倒的に伸びる気がしますが、あまり運動が得意ではない子(うちはそういう子が比較的多いチームです)は、このトラップはいくら練習してもできるようになりませんでした。

 その辺は、↑ブログでも「レベルが上がってくれば云々」の条件付きでいい面しか書いていない面もあります。

 本来は良くない面も書くべきでしょうが、、、。難しいところです。

 

 私は学習塾で教えていたときから、自身の弱点を把握していたように思います。

 たとえば入塾するときに、中学生で5教科合計380点くらいある子は、だいたい450点くらいになったと思います。

 ただ元々勉強が苦手な子は私が教えてもほとんど成績が伸びませんでした。

 なので、一緒に学習塾を立ち上げたパートナーは勉強が苦手な子を根気よく教えるのが得意だったので、役割分担していました。その彼に勉強を苦手な子を担当してもらっていました。

 

 ただ、コーチとしては基本一人で担当学年の子をすべて見なくてはいけません。

 小規模なチームですので、今は複数学年を一人でやっています。

 ただそうしたとき、上手い子はどんどん伸びていると思うのですが、運動が苦手な子が伸びていないように思いました。

 そして私は、このブログで書いているようなマニアックなことは、とりあえずトラップに関してはやめようと思いました。

 まずサッカーはボールを止められないことには、パスもシュートもドリブルもできないからです。

 

 それでまず低学年からやってみようと思って始めたのが↓の練習です。

 

 

 以前からこういう練習をやらないわけではなかったのですが、そこまで重視していなかった感じです。

 ただ、Jリーグのトライアルまで行った方や、何度か書かせていただいた元U19日本代表キャプテンで、J1で100試合以上出場経験がある方が、この練習と全く同じ練習をしつこくやっているのを、グラウンドで見ました。

 

 

 やってみて思ったのが、こういう練習こそ、低学年からやるべきなのかなということでした。

 私はこういう練習は、基本的に小4くらいから始めます。

 ですが低学年、それこそ1年生でも、意外にできます。

 確かにうちのチームからは、小学生年代の成績の割にはかなり高いレベルまで行った子がそれなりにいることは勝手に自負していますが、こういった基本的な練習の量が少なかったのかもしれないと思いました。

 こういう練習をもっと徹底すれば、さらに上に行けたんじゃないかなと思いました。

 今、こういったトラップ&パス練習は、けっこうどのチームでもやっているのではないでしょうか。

 そうでもないのかな、ちょっとわかりませんが。

 この練習にはすべてが詰まっている気がします。

 視野の確保や、逆足トラップです。

 ただ、「正対」が入らないのが私はどうかなと思っていたのですが、それは私の悪い癖なんだろうなと思うようになりました。

 1次方程式を解けないのに、二次方程式は解けないのだと思いました。

 「正対」は難しいのです。

 

 最後に、私の『ブログのスタンス』が、あまりに大きな反響を呼んだようです。

 アクセス数は最近は700PVくらいだったのが、2000PVちかくなりました。

 私は今この場を借りまして、ちょっと書きすぎたかなと思い、謝罪したいと思います。

 申し訳ありませんでした。

 ちょっと精神医学的な話になりますが、私の勝手な自己分析になります。

 私の父は、あまりにも厳しい親でした。

 気が強いというか、なにか感性が欠落している感じなのでした。

 たとえば車が擦られたとかでヤクザとトラブルになったときでも、一歩も引かないのです。ヤクザの親分に向かって「おまえが謝るまで、俺は絶対に許さないぞ!」と激高しているような人でした。

 警察が来ても激昂しています。結局そのヤクザが車を擦った子分をぶん殴って落とし前をつけるという、ヤクザに対しても気迫勝ちするような人でした。(まだ生きていますが)

 普通の人はビビるでしょう。ですが父にはビビるという感覚がないようでした。

 父には何かが欠落しているのだと思いました。

 今になれば医学的に「きっと父は〇〇だな」とわかるのですが、子ども時代はわかりません。

 とにかく父の激昂に触れないように怯えていた少年時代でした。

 私はおそらくその当時の父子関係を引きずっていて、どうも目上とかからちょっと批判されると、ある意味怯えてしまい過剰反応をするのです。

 過剰反応をしているのがわかっているから、殊更冷静になろうとします。

 ですが我慢できなくなると『ブログのスタンス』のような、逆の出方をします。

 攻撃性過剰です。

 私は父と同じ血を引いているので、ヤクザにも一歩も引かない父の感覚はわかりすぎるほどわかるのです。

 だから、自分のリミッターが外れるのが怖いので、殊更注意しているつもりです。

 おかげで今では私は「仏の〇〇(私の名前)」と言われることもありますが、そんなことはまったくないのです。

 本質は鬼だから、頑張って仏になろうとしているだけです。

 だから仏陀が「人はみんな邪悪、そこから良い人間になろうとするかどうか」と語っている言葉に救われているのでした。

 

 そういった中で、私の中でのネット上の解決は「自分の発信場所では、一定の節度を持って書くことは必要だけど批判は書いていい。だが人様の発信する場に批判を書き込むことは絶対にやめよう」ということでした。

 それが自身の獣性というか、そういったものを手懐けるための最良の方法だと思いました。

 自身の攻撃性とかそういったものは、自分の発信の場に限定しようと思いました。

 そこを超えたら、人権侵害になると思いました。

 そして私は、ご自身のブログの場で私を批判した方にも感謝しています。

 もちろんこれから来るかもしれませんが、それでも実は今のところ、私の個人メッセージやコメント欄に、批判の言葉が来ることはありませんでした。

 その方も私と同じような考えなのかもしれません。

 お互いの発信の場で言いたいことを言っているだけという(笑)。

 もちろん私と同じ考えかはわかりませんが、結局その人の発信の場でいくら何を語っても、気に入らなければ「読まなければいい」のです。

 それは自分で決めることができます。

 

 結構サッカーについては、勝手に私が思っていることは書き尽くした感があります。

 そして、私のような弱小チームのコーチの考えに賛同してくれる人も、おかげさまで増えました。というよりも、元々そう思っていてくれた方がいて、私が無駄に長文を書いて、私が自分と同じような方を発見したという素敵な体験かもしれません。

 結局自己満足ブログなんですが、それでも複数「この練習やったらうまくなった!」という声をいただくと、私は本当に嬉しくなります。

 もしかしたらしばらく、ブログを書くことはないかもしれません。

 とか言って明日書いている可能性もありますが(笑)。

 これは実は医学部時代も繰り返している「もうブログやめる詐欺」(勝手に自分で名付けている)かもしれません(笑)。

 さらにもし、自身のサッカー研究が深まったら、いきなり書き始めるかもしれません。

 

 私はある方にブログを紹介いただいて、本当に感謝しています。

 サッカーコーチとして、自身の理論の発表の場ができることは嬉しいことです。

 本質的に嬉しすぎることでした。

 その方に紹介いただいてから、アクセス数が毎日700PVとかになったのでした。

 それに比例して、自身の書いている理論について、いろいろ考えて、もちろん改良して(私の理論は穴が多い気がしています)実践してくれた方が増えたと思っています。そして私はそういう状況が本当に嬉しいのです。

 私は「俺の言うことを信じろ!」とは一言も言っていないつもりです。

 自身の主張をするときは、ほとんどすべて、その主張の根拠となる映像や画像、理論をつけています。

 ということは、私と読者さんが対等の立場で、私が提示したことを考えてくれたのかなと勝手に思っています。

 ただ、最初に書いているように、私は天邪鬼と言いますか、注目されると嫌になるのです。けっこうつらくなるのです。

 だからブログランキングに入っていません。

 私は自身のブログがめちゃくちゃ読まれるようになって本当に嬉しいのと同時に「もうブログやめようかな」とか思ってしまうのです。 

 

 ただ明日も変わらず書いているかもしれませんが、もし書かなくなったとしても、ここ1年ほど書いたサッカーブログは、残しておこうと思います。

 なぜかといえば、私はやっぱり「子どもたちのために」という気持ちが強いことに気づきました。

 それは哺乳類の本能でしょう。

 大人はみな、子どもの幸せを本質的に願うのだと思います。

 そしてこれまで書いたサッカーブログで、少しでも参考になれば嬉しいと思い、残しておくことにしました。

 

 ありがとうございました。

 とか言って、また明日も書いているかもしれないので、その辺は今後も宜しくお願いします(笑)。