偉大な一家。 | 徒然に。

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思ったことを気ままに。

 土曜日の夜は飲み会でした。

 たびたびこのブログでも登場するW君(教え子で元関東大学リーグキャプテン)とそのご両親、妹さんなどが中心の飲み会でした。

 私は大学生2年生で始めたサッカーコーチで、W君の代を3年〜6年まで4年間指導しました。

 1年長いように思いますが、私は大学を1年留年したのでちょうど彼らの卒業まで指導できて、今思えば良かったです(笑)。

 当時からW君パパは、夜の飲み会の楽しみのために、試合や練習を見に来ていました。

 そして試合や練習が終わると「おい、飲みに行くぞ!」と飲み屋に強制連行されるのでした(笑)。

 私が大学とサッカーコーチを卒業して社会人一年目、4月1日の初出勤で西武新宿に向かう電車の中で、携帯が鳴りました。

 何かと思ったら、W君ママからでした。

 長文で「社会人でも頑張れ!」という激励でした。

 涙が出るくらい嬉しかったのを覚えています。

 あの頃からもう20年くらいのときが流れましたが、今でもW君一家とは年に1回は飲み会をしています。

 こんなに長く付き合いがあるというのは、本当に嬉しいことです。

 

 W君パパ、今70歳でまだサッカーを現役でやっています。

 すごいことだと思います。

 私が茶化して「Wパパさん、こうなったらグラウンドで『ウッ』となって死ぬしかないですよ、サッカーマンとして最高の最後ですよ」と言います。

 するとW君パパ「縁起でもない、本当に死んじゃいそうだからやめてくれよ」と苦笑いしています。

 さらに「今年からオーバー70ができたから、俺はそっちに入れられたよ。なんでも今度オーバー75ができるらしい。そこまで生きているかなあ」と語っています。

 やっぱり偉大だと思います。

 W君パパの時代は、親御さん、特に父親に熱心な人が多かったです。

 当時はコーチを初めてやったということで、毎週末、保護者と飲みに行くのは普通だと思っていました。当時のうちのチームがそうだったからです。

 それどころか、午前午後で試合があるときは、昼めしは保護者と一緒にラーメンを食べに行って、試合について語りながらビールを飲んだりしていました(笑)。

 今やったらアウトでしょうが、当時は大らかな時代でした。

 どこでコーチと保護者の線を引くのかは難しいですが、父親の熱量がある代は強いし、うまくなる子が多くなるのは、これはもう明らかだと思います。

 W君の代は、最終的にはブロック大会ベスト4までいきました。

 今のようにTリーグはなかった時代なので、純粋な意味でそのブロックのベスト4でした。

 さらに最後の市長杯は優勝しました。

 毎週のように親父さんが応援に駆けつけ、夜の居酒屋で激論をしたからだと思います。

 W君パパさんを筆頭に、まだ大学生だった私が生意気なことを言うのにも、真っ向から議論してくれました。私も若かったので血の気が多く、ときには喧嘩のようになりましたが、今思うと、そういった熱量みたいのが、子どもたちの成長に繋がった気がします。

 今思うと当時の監督にも感謝しています。

 当時の監督は、自分以外のコーチが担当した代は何も口出ししない主義でしたので、練習も試合での采配もすべて自分でやることができました。

 さらにM監督にも出会え、本当に人生について教えてもらいました。

 

 

 当時の監督が、大学生コーチの私を認めてくれて、すべてを任せてくれたからだと思います。

 大学生でも、自分の担当の代の試合は、自分1人で引率して試合に行ったりしていました。

 そのことについて、W君パパとは違う方が「おまえは大学生でただコンビニでレジ打ちしているのとは全く違ったすごい経験をできているんだと思うよ」と酒場の席で言ってくれたのを覚えています。

 本当にそうだよなと思いました。

 少年サッカーの現場は、大学生コーチはけっこうな割合を占めると思います。

 私が見るに、本当に二極化されているように思います。

 自分から積極的にいろいろ学んでコーチをしているか、ただのバイト感覚でやっているかです。

 子ども相手のことで「バイト感覚」でやるのはちょっと違う気がするし、もったいない気がするのです。

 コーチ経験がある方はわかってくれると思いますが、子ども相手だからといって、そこまで大人相手と変わるわけではありません。

 集団の方向づけをどう持っていくかは難しいですし、自分を超えた器を持っている子もザラにいます。

 チームとして難しいときは、本当に胃が痛くなります。

 ただ、そういう経験は、なかなか味わえるものではないと思います。

 

 話を戻します。

 居酒屋での楽しい時間もあっという間に過ぎ終電間近です。「終電が近いので帰ります」と言いました。

 するとW君パパとママから「なんで帰るんだ、明日は日曜日じゃないか、うちに泊まっていけばいいじゃないか」との声が、、、。

 やばい、いつものパターンだ、と思いながら、私から恩師であるW君パパとママに逆らえるわけもなく、結局その後W君実家で2次会でした(笑)。毎年のように繰り返すこのパターン、なかなか抜け出せません。

 W君パパ実家で途中でダウンしたW君パパ、しかしいつまでたってもW君ママはダウンしません(笑)。

 実は最も酒に強いのはW君ママなのでした。

 W君が小学生の頃、合宿での飲み会のとき、空き缶の山のなか、私は朦朧とした頭でW君ママのセリフを今でも覚えています。「このくらいじゃ全然酔えないわー」。

 は?あなたもう、缶ビール10本は飲んでいるでしょうに。

 一番恐ろしいのはW君ママだと私はそのとき思ったのでした(笑)。

 そして多少とも弱くなったとはいえ、やはり帝王はW君ママなのでした。