偉大な人 | 徒然に。

徒然に。

思ったことを気ままに。

   ある人物を紹介したい。Mさんだ。

    私は大学2年の春、知り合いの方の紹介で、ある市内の少年サッカーコーチのバイトをすることになった。中学生の頃は、自分の1つ上の代が全国優勝、自分の代は弱かったがそれでも東京都大会準優勝という強豪のクラブチームでサッカーをやってきたので、正直「町クラブのコーチか。レベル低いんだろうなー。」みたいな、今思えば恥ずかしいぐらい傲慢な考えで、コーチを始めた。それで何事もなく、適当にバイトのつもりでコーチをやっていたある日、試合があった。そのときの相手が、M監督のチームだった。
    衝撃だった。別にスピードがあるわけでもなく、身体能力が高いわけでもない普通の子どもたちなのに、ボールを取れない。圧倒的にボールを支配される。めちゃくちゃうまい。そしてなによりも、子どもたちがサッカーを楽しんでいる。そのころのサッカー界は、コーチの暴言や体罰当たり前の時代である。その中であんなに楽しそうにサッカーをやるチームを初めて見た。
    それからコーチに対する取り組みが一変した。Mさんに、なにを練習しているのか、どういう思想で技術を教えているのか、聞きに行くようになった。その都度、答えをズバッと答えるのではなく、こちらが考え込むような答え方をいつもしてくれた。ある飲み会で
Mさんが「なんでマラドーナがあんなにドリブルで抜けるのか、ビデオが擦り切れるくらいマラドーナのビデオを見た。理解するまで10年かかった」と言ったのを聞いたとき衝撃だった。そこまで真剣にサッカーに向き合っているのか‥。
    また、事あるごとにかなり厳しく叱責された。ある夏の炎天下の試合でうちのチームがボロ負けした。そのときうちの監督は子どもたちに罰走を命じた。その監督の名誉のために言うが、当時はそういうのは普通だった。それで自分も、なんの責任感もなくボーと子どもたちの罰走を見ていた。するとたまたま同じ会場でM監督のチームも試合をしていて、Mさんが寄ってきて言った。「なんでおまえ、一緒に走らないんだよ。負けたのは子どもの責任かよ。おまえには責任ないのかよ」。
    寝不足で子どもたち引率して試合会場行ったときは、それを見たMさんが「眠いのはおまえの都合だろうが。子どもたちの前でそんなみっともない顔してるんじゃねえよ」。
    ある試合後、けっこう内容良かったなーとか満足してたら、試合見てたMさんに「◯◯を教えないで、それで子どもたちが中学行って通用しなくなったら、おまえ責任取れるのかよ」。
    毎回毎回言われるたびに打ちのめされた。しかし今、Mさんの言葉1つ1つが宝物のようになっていて、生き方の指標の1つになっている。
    今年の冬も一時帰国したとき、臨時でコーチをやらせていただいたが、試合がありたまたまM監督のチームも同じ試合会場にいた。Mさんを発見したが「お久しぶりです」と挨拶する間もなくうちの試合になってしまった。そうしたら試合中、いつの間にかうちのベンチにやってきて、挨拶を交わす間もなく「あの◯番の子、ボールの持ち方はいいんだけどなー、『うまいように見えない』んだよな。その理由は‥」と、自分のチームではないチームの子について、どうしたらもっとうまくなれるか熱心に語り始めた。ああ、この人はサッカーと子どもたちを本当に好きなんだなーと、なんだか、泣きそうなくらい嬉しくなってしまった。
    作家の故城山三郎さんは、「尊敬するに足る人を1人でも2人でも多く持てるということーそれは人生における何よりもの生きる力になることだろう」と仰った。いい言葉だな、と思う。Mさんは自分の尊敬する人の1人である。そして、Mさんの情熱や作法、そういうものを苦しいときや判断に迷ったとき参考にしている。Mさんの生き方が、サッカーに止まらず自分の指標の1つになっている。