先週新しい眼鏡を作りました。
今の私の目には合ってなかったということでした。
年齢的なものがあるから、きっと見えなくなる一方だと決めてかかってる。
視力は下がってるものと思い込んでました。
自分の能力を値引きしていることでもあります。
「見え方」という視点で言えば、経験値みたいなこともあるかもしれないし、
目の使い方次第ってこともあるでしょう。
視力という数字だけじゃ測れないんですね。
こんなのもそうですね。
痛みを体力の衰えと決めてかかってる。
どうも早め早めに受け止めてしまいたい風に思える。
なんかもったいないなー。
ほっといてもそんなことは自覚するだろうから
前もって保険かけなくていいんじゃないかな。
保険かけて、先に受け入れてしまえば傷付かずに済む‥‥のかなぁ??
自分に問いかけてみる。
深読みしていくと、
年齢、受け入れてますよ、
悪あがきしてませんよ、
そんなふうに強がっているようにも見えます。
なんかありそうかな。
「若さ」って時には誰かにとって羨ましがられること、その若さをないものにしたいのかなぁ?
誰のために??
もしかして年上の夫のために??
あるいは、ちゃんと受け入れてる、
いい塩梅に、間違わずに、みたいなとこかな。
いい人、正解、そんなとこを目指してる傾向が顔を出すのかな。
まぁ、そんなこんなの時期がありながら少しずつ受け入れていくんだろうな。
どんなことも過程、ということですね。
死ぬまで生きてる、みたいな。
ぼちぼち、ってとこですかねー。
さて、倉成先生のワークショップの2日目です。
行ってきます。