五年生のクラス替えを機に、長女は完全復帰しました。
完全復帰の定義としては、弁当もやめて給食を教室で食べ、授業は最後まで出る。給食は減らして、その上で残してもよし。体育などは休みたければ休む。学校自体、休みたければ休む。
とはいえ、心配したほど休むこともなく(なかったはず。記憶がもう遠い)
今六年生です。「普通に」学校行ってます。
普通って言い方は良くないのかもしれないけど、結局不登校児の親御さんの悩みってここじゃないかな。「普通」に近づきたい、「普通」のありがたみを痛感、「普通」にこだわる自分に自己嫌悪。
そういう域を脱したって、今改めて思います。
とはいえ色々ありました。
クラス替えが成功して、もちろん娘の努力もあり友人を獲得して、
その一方でよそのクラスで学級崩壊。
その余波で、六年に上がるときにクラス替えが施行され、繊細な娘にはまた試練でした。
娘の性格的なところ。
友人にべったりだけど、その友人が割と自由人で、他の子にも興味がいくわけで、そうなると「寂しい」が発動。
すごくいい子だし、おおらかだからうちの娘にも付き合えるんだと思うけど…
娘の「重さ」にみあった友人も、できてほしい。
その子が連れてくる友人ってのがまた、おおらかタイプだから、なんとかなっているけれど、定期的に「寂しい」とか「譲った」とか聞かされる私の胃がしんどい(胃の話に戻ったな、久々に)
陰キャタイプなのに、人気者に憧れて、自分から声をかけられないのにチヤホヤされたくて、受け身の実態と願望が真逆すぎて生きづらすぎる。見ていても辛い。
そう考えると「ひとりで平気」とかイキってた幼き私、ある意味自己防衛本能に守られてたな笑
簡単に、雑然とした現状報告になりましたが。
つまり「終わりなき旅」だなぁと。
性格は一生つきまとうもの。
これからも何かしらはあるでしょう…
「次また何かあっても支える!」等、自信持って言えないけど、やるしかないので…
不登校で悩む誰かに、少しでも希望になるように。復帰できた一例として、記録しておきました。
(頼むから学校行ってくれ、という気持ちから解放されることはなかった、という事もここに懺悔しておきます)
- 前ページ
- 次ページ
私の手術も終わったけど、落ち着いた頃には夏休み突入だったので、
キリよく二学期から午後まで登校チャレンジ!しています。
給食より先に、まずは授業に出てもらおう。
というわけで昼は一時帰宅…
してみたらば、寒暖差か?車酔いか?
具合悪くなったため、弁当に切り替え。
自動的に母子登校、復活でーす
昼だけ行って一緒にご飯食べてます!
カウンセリングルームをお借りして。
牛乳とデザートを給食から頂いてみたり(給食費払ってます)
今日けっこう食べれたのを見てホッとしたかも!
(写真1枚目、ご飯だけ少し残してた)
昼に学校行くということは、三歳児とパパの昼ご飯も別に考えなきゃないから、今日はみんなにしてみた。残り物と冷凍食品オンリー弁当…まぁ毎回のことです
小四になった娘、午前中の登校が続いてます。
担任が変わり、
スクールカウンセラーも変わり、
五月には私の卵巣嚢腫で開腹手術、
卵巣機能低下によるホルモン補充療法を開始、
子供会の会計は引き続きで、
仕事関連の役は今回、申し訳ないながら他の方にお願いすることになり、
…バタバタしていたかな。
書いてみると、それなりに大変な時期だったな。
進歩といえば、
登校状況に関しては、私の手術のせいで新しいチャレンジはせずに足踏み停滞だったけど、
新しいスクールカウンセラーの先生が、一緒にお弁当を食べてくれました。提案頂いて、通院に被らない日に、2回チャレンジできました。(なんか通院に被るんだよなぁ)
まだ2回だし、あまり減ってない弁当箱を、帰宅してから食べたりしているから、まだまだ、先は長いのかなと。
私も運転できるくらい回復して、術後一ヶ月くらいから、まずは子供らの送迎からスタートして、現在に至ります。
娘に夏バテの兆候あり、暑すぎる日に具合悪くなるようなので、今学期はあまり無理せずにして…
来学期からは、私も娘の弁当にお付き合いしたり、あとは昼だけ帰宅して食べてもいいし、とにかく授業全部出る日を作っていきたいな、と。
あ、体重もかなり回復していて!
21〜22キロだったのが、現在26キロ超え!
140センチ弱なので痩せ型だけど、痩せすぎから脱したはず。
細身の子なりの理想的な成長曲線に戻ったそうなので、
あとはこの夏、いかに夏バテに食欲奪われないかです。
少食なのに脂っこいのが好きなので…調整、バランス、加減と日々なやみ。
でも好物を食べれるようになってきただけでも感謝!!
9月頭から不登校、
10月頃から発表会に向けての練習だけ登校、
11月は一時間だけ母子登校、
12月は一時間だけ登校(親は車待機)
そして冬休み。
カウンセラーの先生が言うには「冬休みでゆっくりするといい、ここが一区切り。休み明けに頑張れるようにチャージ期間」
最初の頃は、そんな風に言われても、「冬休みまでまだあるのに、現状維持が大前提みたいな雰囲気そのものがお先真っ暗な気分になるし、とはいえ休み明けに期待などできない」と思っていました
でも冬休みが近づくと、現状の受け入れができてきて(私自身の。娘の心情はまた別物)
それでも「休み明けに期待」とかはできなかったけど、
休み明け、一週間、午前中の登校ができています。
始業式含め六日間のうち、二日は二時間目からの登校にしたけど、午前中いっぱい頑張ってます。
給食は最後のハードルとして、
それにしても、午前中頑張ってくれていることが、本当に嬉しい…
午後には大事な授業はあまりない、という、親の利己的な?安心感もあり…
でもやっぱりなにより、食欲の安定がいちばんの喜び。
まだ食べれるシーンが限られていること、
一回の食事量が少ないこと、
急な不安感からくる具合悪さなど、
心配な要素は残していても、
1キロ位、体重も増えたし、
最近は食後も普通にしているし、
お腹すいたって言ってくれるし、
授業頑張ってるし、
冬休みの宿題も早く終わらせたし、
ピアノの練習も毎日自主的にやるし、
冬休みに温泉に宿泊したときに一時間半、バイキング会場にいられたし、その間にまた食べ始めたりもできていたし、
進歩がたくさんあったおかげで、急き立てられるような気持ちで過ごすことがなくなって、
なんとかなる、って少しは、思えるようになりました
一ヶ月ほど母子登校を続けて、ようやく「車から一人で降りて行く」まで達成した途端に、
父親が「今日パパと行こう」と言い出して
すぐには娘は頷かなかったけど、下二人が発熱するなどの不調を理由に、「弟たちはママの看病が欲しい」から、「今日はパパと」が実行され…
何日かはパパと登校しました。
これ、私(ママ)の心理、どうだと思います?
娘の進歩としては嬉しい。
でも、
廊下で毎日寒い中で待機していて、授業中でさえ誰かが廊下を歩くことが多く、その度に挨拶、娘と歩いていても挨拶の嵐、うん、保護者にも挨拶を教えているのは素晴らしいよ、それは置いといて、
ようやく暖かい車で待機が可能になったのに、楽になった途端に選手交代かよ!!!!!
小一時間のフリータイム(読書)が、父親に速攻で奪われて、私は……すごく身勝手な言い分なのは承知で……父親が憎い………だって、
父親よ、お前、家で2歳4歳と過ごす一時間より、車待機の一時間の方が楽だからだろ………廊下待機や挨拶ラッシュなどの苦労はしたくなかったけど、今ならチェンジしてもいいだけだろ。
娘のケアは私たちが当然やるとしても、
私(ママ)のケアは誰が?
って、思う日々です
娘に優しい気持ちになれない瞬間があり、それが言動に出てしまい、
母親失格だと落ち込んだり、
また頑張ろう、もう同じ失敗はしないと誓ったり、
この子は大丈夫なんだろうかと不安かかえて、
宿題しなさいと促し、
ほとんどは付きっきりで教えて、
下の子ふたりの不満もたまらないように配慮し、祈るしかない時もあり、
娘の気分や体調にアップダウンがあるのは仕方ないのに、私のアップダウンは許されないような気持ちで過ごして、
本当に辛い瞬間がある。
気分変えたくて、今日は送迎を引き受けた(半ば強引に)
イライラすると指先の皮をむしってしまうので、また右手が荒れてきたから、ここに戒め…剥かない、剥かない…
ボロボロの右手で会計するのとか恥ずかしいしね。やめよう、やめよう。

