皆さま、おばんです!

 

前回に続き、昭和47年に廃止された国鉄鍛冶屋原線の廃駅巡りです。

鍛冶屋原線とは関係ありませんが起点の板野駅に入線する気動車。

(前回のブログもぜひチェックくださいね)

昭和47年に廃止された国鉄鍛冶屋原線の犬伏駅&羅漢駅跡を眺めてきた。

 

「廃止された駅の跡地を見て何が楽しいの?」

と思われてる方がいらっしゃるかもしれませんので、

まずはそのことから。

廃駅巡りの楽しみ方は人それぞれかと思いますが、

自分は、鉄道が廃止されてから相当な時間が経過しているのに

その後も残る駅前の雰囲気が大好きで見て歩いてました。

駅が廃止されてから50年、いや100年が経過しても

痕跡は意外に多く残ってるのです。

地元にお住いの方も

これに気づかれてる方は案外少ないかもしれませんよね。

この痕跡探しを、まるで宝さがしみたいに楽しんでましたよ。

 

さて本題に戻ります。

昭和47年に廃止された鍛冶屋原線の廃駅跡巡り、

犬伏駅跡、羅漢駅跡ときまして次は神宅(かんやけ)駅跡でした。

ここも先の駅跡と同様に、廃線跡は県道12号線に転用されてますので

これを辿れば簡単に着くことが出来ます。

場所はJAのガソリンスタンドのすぐそば。

この辺りから道路が若干膨らみかけてますが、

神宅駅のホームがあった名残りみたいですね。

 

線路ははおそらく道路の中央付近にあったのではないかと。

右側に派出所が見えますけど、

この辺りからカーブしたホームが伸びてたそうですよ。

 

更に進むと不自然なカタチ(三角形)の公園が出現。

お気づきの方もいるかもしれませんが、

これがかつて神宅駅の駅施設が並んでいた用地の跡なんですって。

 

そこで今回も、国土地理院のサイトから転載した

昭和36年撮影の航空写真と、グーグルマップを比較します。

この辺りは昔も今も道路配置が大きく変わっていないので、

駅の跡地の特定は難しくはありませんでした。

ねっ、わかりやすいでしょ?

 

かつての駅前通り側から見た神宅駅跡。

奥に見える県道よりも手前側の駐車場がある位置辺りに

駅舎があったはずです。

 

同じ場所を斜め方向からも見る。

神宅駅は木造駅舎を持つ、単式ホームを配した駅だったようですね。

 

上のグーグルマップに写る円筒型の屋根を持つ建物は、

神宅駅跡に建てられた「上板町東老人集会所」です。

ここの敷地にはなんと!

神宅駅の跡地だったことを記す石碑が置かれてました。

お宝見~つけた!

 

そして最後は終着駅の鍛冶屋原(かじやばら)駅跡です。

県道12号線を直進し、途中「上坂町役場」方面を右折すると

町役場を通過後に阿波銀行上坂支店が現れます。

鍛冶屋原駅はズバリ!銀行があった場所にあったのですよ。

 

再び昭和36年撮影の航空写真とグーグルマップを比較します。

ここがスゴイ点は、当時の駅前広場が今も残っていること。

鉄道が現役だった頃を知らない方は、

ここだけ不自然に道路が広がっている理由なんか

きっとわからないでしょうね。

…そんな疑問を持ってる方の方が少ないかな?

鍛冶屋原駅は島式ホームを1面持つ駅で、

線路の終端に簡素な機関庫と給水塔を持つ駅だったそうです。

 

駅前風景がそのままだなぁ…と感じたのは、

カーブに沿って並ぶ住宅(元々は駅前商店だったはず)の列。

 

古い航空写真にもその様子が写し出されてるのですよ。

鍛冶屋原線が廃止されて47年が経過しましたが、

鉄道施設が撤去された以外、

駅前風景は昔と変わっていないのでしょう。

 

この景色を見ながら、鉄道が現役だった頃の風景を妄想する自分。

いやいや、そんなことしてるのは自分だけじゃありませんよね?

 

銀行(駅跡)を背にすると正面に小道が現れます。

これがかつて県道から鍛冶屋原駅に通じる駅前通りでした。

 

鍛冶屋原線が現役だった頃を妄想しながら小道を歩く。

正面に鍛冶屋原駅…もとい阿波銀行が見えてきました。

 

どうです?阿波銀行がだんだん駅に見えてきません?

えっ、見えてこない!?

 

阿波銀行の左隣りにはわずかな空き地があり、

本当に目立たない場所に

ここが駅跡だったことを記す石碑が立ってました。

ネットで「銀行は駅の基礎の上に建ってる」という情報を見ましたが、

自分は現地をウロウロしてたのに全然気づきませんでしたわ。

それとそれと…

鍛冶屋原駅跡地から北方1.5キロ地点にある上坂町歴史民俗資料館には、

鍛冶屋原線と関係なさそうな旧型客車1両と、

鍛冶屋原駅の駅名標(現地のストリートビューを見ると写ってませんが、

ひょっとして現在は撤去済?)が保存中とのこと。

存在を知ってりゃ見に行ったのに…予習はやはり大切ですね。

いつかまたここに来なくちゃ!

 

…以上、昭和47年に廃止された鍛冶屋原線の廃駅跡巡りでした。

ところで、前回、前々回のブログにもUPした

鍛冶屋原線の廃止を伝える「鉄道ファン」誌のこの記事…

高徳線・板野駅

「四鉄総局管内では内子線についでの赤字線」と

鍛冶屋原線のことを記してますけど、

当の内子線は予讃線のバイパス路線に変わって今でも現役です。

鉄道路線の運命もわからぬものですね。

 

 

高徳線

起点の板野駅の訪問記(令和元年8月6日)

 

駅探訪記、旅情報を不定期に更新中。

新着情報がすぐ受け取れるフォロワー登録をお願いします!