皆さま、おはようございます!

 

前回からの続き、

今朝は昭和60年に廃止になった国鉄万字線から

朝日(あさひ)駅跡の訪問記です。

万字線の起点の志文駅から数えて2駅目、

営業キロで12.2キロ地点(志文駅起点)にある駅でしたよ。

室蘭本線・志文駅

(前回分もぜひチェックくださいね)

【万字線廃駅めぐり①】昭和60年に廃止された上志文駅跡に行ってみた。

 

朝日駅跡は、上志文駅跡から

道道38号線をまっすぐ東上する着くことが出来ます。

クルマで約7分、アホみたいにスピードを出さなければ

きっと朝日駅の存在に気付くはずですよ。

なぜならば…

駅舎が現役のまま残る駅だったからなのです!

 

駅舎だけではありません。

構内にはなんと保存中の蒸気機関車の姿も。

 

朝日駅は万字線の廃止後に公園として整備され、

現在は「万字線鉄道公園」へと変わっていたのですよ!

そんでもって保存中の蒸気機関車はB20形のトップナンバーときた!

B20が見れるのはここと京都鉄道博物館(梅小路蒸気機関車館)だけ。

朝日駅、マニアック過ぎやしません?

 

朝日駅は万字線が開通した5年後の大正8年に開設された駅で、

この年に駅の裏手側に朝日炭鉱が開山したとのこと。

朝日駅は石炭輸送を目的に設けられた駅だったようです。

 

駅舎には昭和31年建立を示す建物財産標が貼られているのですけど、

この駅舎ってそんなに新しいのです?

見た目はどう見ても戦前築にしか見えないのですが。

 

朝日炭鉱が現役だった頃の様子を見たくて見つけた写真。

国土地理院のサイトから転載した昭和37年に撮影された航空写真でした。

本坑まで続く索道等の炭鉱施設の他に、

駅の西側にはズラリと並ぶ炭鉱住宅が見えますよね。

当時は駅の裏手に石炭を精製するための選炭施設があったらしい。

 

現在はすべての施設が撤去されましたが、

それらのコンクリート基礎は今でも公園から見える場所に残ってました。

 

公園のすぐ裏には溜池もありましたよ。

こちらも炭鉱施設として使用されていたモノらしいです。

朝日炭鉱が閉山したのは昭和49年のことらしいですけど、

ここは今も、炭鉱が現役だった頃の空気がぷんぷん漂ってますのよ。

 

話を朝日駅に戻します。

駅の様子ですが、駅舎だけではなく

廃止直前まで使用されていたホームも現存してました。

保存機のB20はこのホームに横付けされてます。

 

こちらはホーム側から見た駅舎ですけど、

駅名標や駅舎内の掲示物は現役時代のまんまなの。

駅が廃止されて30年以上が経過したのに

よくもまぁこの状態で残っていたなというのが正直な気持ちでしたよ。

 

上志文駅と同タイプの記念碑が朝日駅にもありました。

 

ホームですけど、公園の整備に合わせて一部が撤去された模様。

その先に撤去されぬままのホームが残っているのですが、

こうして見ると現役時代は結構長めのホームだったみたいですね。

 

それにしても、こんな場所でB20に出会えるとは…

B20は構内の入れ替え用を目的に15両が製造された形式で、

国鉄形式で唯一のB形蒸気機関車だったことから

ファンの間ではよく知られていた機関車なのです。

1号機は小樽築港に籍を置いてた機関車だったようで。

 

そんな貴重な機関車もここでは見放題。

踊り子さんとは違い、お触りももちろんオッケーでしたよ。

 

それにしても簡素な機関車だこと。

戦時設計、ここに極まれりって感じでした。

 

他にも万字線で使われていた踏切警報機があったり…

 

見るモノが多く、眺めているだけで結局30分近くもいちゃいましたわ。

 

ここにいると公園の遊具までも鉄道車両に見えてくるから不思議ですよね。

次は道道38号線の先にある美流渡(みると)駅跡です。

ここでは地元のおばあちゃんから

炭鉱が盛況だった頃の話を聞くことが出来たのですが、

長くなりましたので次回に続きます。

 

(続きもぜひチェックください)

【万字線廃駅めぐり③】昭和60年に廃止された美流渡駅跡に行ってみた。

【万字線廃駅めぐり④】昭和60年に廃止された万字駅跡に行ってみた。

【万字線廃駅めぐり⑤】昭和60年に廃止された万字炭山駅跡に行ってみた。

 

国鉄万字線の廃駅跡めぐり

 

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