皆さま、おはようございます!
前回のブログで札沼線・下徳富駅のことを書きました。
札沼線の終着駅である新十津川駅の、ひとつ手前側にある駅でしたが、
下徳富駅-新十津川駅間には過去に、もうひとつ駅があったのです。
中徳富(なかとっぷ)駅。
昭和31年に開業した駅で、
単式ホームが1本あるだけの停留所タイプの駅だったそうですが、
利用者が僅少だったことから平成18年に廃止された駅でした。
こちらは中徳富駅が現役だった頃の昭和52年に撮影された航空写真です。
写真の中央にホームが写ってるの、見えますかね?
一昨年の春、JR北海道には1日の乗車客数が1人以下の駅が
50以上もあることが話題になりましたけど、
中徳富駅の乗車客数は、国鉄時代の昭和58年の時点でわずか1人/日、
廃止される直前はなんと、年間を通して2人しかいなかったんですって!
そんな中徳富駅の現在の様子が知りたくて、
一昨年の秋、現地に行ってきましたぜ☆
先ずは場所の確認からです。
中徳富駅は田んぼのど真ん中にあった駅のために
位置の確認にえらく苦労しました。
北海道の水田の広さは侮れませんね。
駅の近くを川が流れていたことを目印に、
ようやくこの場所に辿り着くことが出来ましたよ。
こちらの踏切の名称は「下徳富下1号線踏切」。
この踏切の札幌駅寄りに中徳富駅があったはずなのですけど…
地図によると、矢印の下の辺りにホームがあったはずなのですが…
うむ、何も残ってない。
駅の遺構はどこや~い?
駅が現役だった時代は、この草むらの上にホームがあったみたい。
どこや~い?
…って、本当に何も残ってないじゃないのよ!
元々、草むらの中にコンクリートブロック製の単式ホームが
ポン付けされてただけの駅でしたので、
駅の廃止後は早々に撤去されたみたいです。
ちょっとぐらいは駅の面影が残っていると思ってたのですけど、
考えが甘かったわ。
この場所、辺りには背後に写る民家以外の建物は見当たらず。
当時の国鉄は、何故こんな場所に駅を造ったのでしょうかね?
ところで…
ネットを見ると、中徳富駅が現役だった頃の画像が数多く出てきますが、
ホームの上に待合室がある時代 → 待合室を撤去
と、中徳富駅は時代によって姿を変えていたようです。
ところが、2枚目に挙げた航空写真を見ると
ホーム上に待合室はなく、
代わりにホーム手前に木造の待合室が写っているのですよ。
中徳富駅と同じ日に開業した南下徳富駅も
過去に木造の待合室を持ってた駅ですので、
同じ仕様のモノが中徳富駅にもあったのではないかと。
だとすると、下の画像の中央に見える空き地辺りが
待合室の跡地になると思うのですが、実態は如何に!
それにしても、道内にある廃止駅の
自然回帰速度の速さには本当に驚いちゃいます。
昨年3月に廃止された函館本線・鷲ノ巣駅(現・鷲ノ巣信号場)にも
廃止から半年後に訪れてみたのですが、
信号場の設備は残っているものの、
ここが駅だったとはわからないほど、姿が変わっていましたからね。
画像中央辺りに鷲ノ巣駅の待合室があったはず。
再来週は3カ月ぶりに道内を旅する予定でしたが、
その前に仕事が休めるのか、自分?
楽しく旅の日を迎えられるよう、今日も仕事に励みます!