皆さま、こんにちは!
ダイヤ改正によって、昨年3月から
1日1往復の普通列車しか運行されなくなってしまった
札沼線の浦臼駅-新十津川駅間。
当然ですが、列車本数が日本一少ない区間になってしまいました。
この区間内には6つの駅があるのですけど、
なんと!有人駅時代の駅舎が残る駅があるのですよ。
終点の新十津川駅と、もうひとつがこちらの駅でした。
札沼線(学園都市線)下徳富(しもとっぷ)駅です!
札沼線(桑園駅-石狩沼田駅間)が全通する前年の
昭和9年に開業した駅でした。
ちなみに浦臼駅-新十津川駅間にある駅は、
下徳富駅と新十津川駅を除くと、
すべて、昭和30年代に開業した停留所タイプの駅です。
下徳富駅は長い歴史を持つ駅ですのよ。
…とは言いましても、
下徳富駅の周辺に大きな集落があるわけではなく、
他の駅同様、閑散とした駅前風景です。
資料によると、昭和58年時点での乗降客数はわずか6人だったみたいで、
停留所タイプの鶴沼駅よりも少なかったらしい。
今でもこうして古い木造駅舎が残っていることは、
キセキ的なことのかもしれませんね。
ちなみに現在は、乗車客数が1日1人以下の駅に分類されてるようですよ。
誰もいない下徳富駅の駅舎に入ります。
出札窓口は板で塞がれてますが、
基本的には有人駅時代と大きくは変わっていない様子。
窓口跡には駅ノートが祀られてましたよ。
無人駅で寂しいから?人形が飾られてましたけど、
夜にここに来たらちびっちゃいそうです。
1日1往復の列車は午前中の運行だから、来ることは無いでしょうけど。
こちらは待合室の反対側です。
ベンチの数は、下徳富駅の半月分利用者数よりも多そうですね。
だから、そういうのは苦手なのよ!
お次は、駅舎を抜けてホームに入りました。
下徳富駅は単式ホームが1本あるだけの棒線構造の駅でした、が…
この構造に変ったのは昭和50年代に入ってからのことで、
それ以前は貨物の取り扱いがあり、列車の行き違いも可能だったようです。
駅舎とホームの間が広く空いてますが、
昔はここに線路が延びていたみたいですね。
有人駅だった時代の下徳富駅の様子が知りたくて、
国土地理院のサイトを利用して
昔の航空写真(昭和23年撮影)を眺めてたのですけど…
画像の左側に写ってるのが下徳富駅なのですが、
路床の部分が白くなっているのがわかりますかね?
札沼線の石狩当別駅-石狩沼田駅間は戦前、
太平洋戦争の戦況が激化すると昭和19年に不要不急線に指定されたそうで、
昭和28年までの9年間は、線路を剥がされ道路に転用されてたんですって。
写真に線路らしきモノが写っていないのは、
鉄道が営業再開する以前に撮影された写真だからか。
他には、構内の札幌駅寄りに貨物ホームがあったようですけど、
自分が訪れた10月は雑草ジャングルで確認が出来ず。
近くに食糧倉庫がありましたので、
穀物輸送に使われてたホームだったのではないかと。
ブロック積の倉庫に興味が湧いてきますが、
上に挙げた航空写真には写ってませんので、
戦後に建てられたモノなのでしょうね。
先にも書いた通り、
現在は1日1往復の列車しか運行されていない下徳富駅でした。
ということは、札幌方面の列車に乗車すると
帰りの足(列車)は無いってことで…
1往復だけ残した理由を、ぜひお聞きしたい。
最後は下徳富駅の駅名標で〆ます。
「しんとつかわ」の部分がシール貼りされているのは、
お隣に「中徳富駅」が存在していたためです。
年間(!)の利用者数が2人とのことで
平成18年3月に廃止された駅でしたが、
下徳富駅の探索を終えたのちに駅があった場所に訪れてみました。
その様子は次回のブログに続きます!
(続きもぜひチェックくださいね)
下徳富駅(平成27年10月21日)
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