皆さま、おばんです!
今晩はこちらの駅のことを書きたいと思います。
大村線・小串郷(おぐしごう)駅です!
駅にはそれぞれ、開業には様々な事情があるものですが、
小串郷駅の場合はちょっとだけ他とは違っているのです。
ぜひとも知って欲しい誕生までの経緯…
まずはそんな話からいっちゃいます。
昭和19年7月、小串港の最寄駅として小串郷駅が開業しました。
同年、小串港には海軍の臨時魚雷艇訓練所が完成しておりまして、
訓練生の利便を図るために開業した、臨時の駅だったようです。
設立当初は純然たる養成施設だった訓練所ですが、
大東亜戦争の戦局の悪化が伝えられると
施設はやがて特攻ボート「震洋」の訓練施設へと転換されます。
「震洋」は戦局を挽回するために開発された
べニア製のモーターボートで、全長は5メートルほど。
艇首に爆弾を積み、搭乗員を載せたまま敵艦に突撃するという、
いわゆる特攻のための兵器でした。
心配された搭乗員集めも予想以上の志願者があったようで、
全国から数万名もの若者が集い、
小串の街で訓練ののちに前線に発たれたそうです。
やがて戦争は終結、
役目を終えた小串港駅は昭和22年に閉鎖されることになるのですが、
地元住民による存続運動の末に存続が決まり、
昭和23年に駅位置を改めて現在に至っているとのこと。
そんな小串郷駅に今月初め、行ってきましたよ。
まず小串郷駅に着いて驚いたのですが、
構内中が花壇だらけなんですよ。
どこを見ても花・花・お花だらけなの。
この花を見るだけでも小串郷駅に来る価値アリアリですぜ☆
しばらく構内の花壇を眺めておりましたが、
ふと、この看板が目に留まりました。
特攻殉国の碑。
先に書きました「震洋」による特攻作戦で、
3,511名の方が無念の死を遂げたそうです。
小串郷駅の近くに「震洋」の訓練施設があったことは
事前に調べてはいたのですが、
殉国碑があることまでは知りませんでした。
徒歩15分ですか…
次の列車の到着までは1時間あるけど、
碑がある場所まで往復できるのかしら?
駅にいた切符売りのおばちゃんに聞いたら、
「アンタぐらいの若い人だったら10分で着くわよ」と。
お世辞でも嬉しかったぜ、おばちゃん!
特攻殉国の碑まで歩いてみることにしました。
おばちゃんからもらった地図によると、
国道205号線に出た先に「特攻殉国の碑」案内看板があるらしい。
これか!
それにても、ここまで来るのに10分近くかかっちゃってるんですけど、
自分、歩くのとろい?
案内看板の矢印方向に進みますと、
大村線の高架橋が見えてきて、その下にも看板を発見。
なんとも魅力的な煉瓦積みの橋台だこと。
…などと見とれている場合じゃありません。
時間が無いので先に進みます。
控えめな看板が出てきました、ゴールは目の前ですよ。
駅を出発してぴったり15分、
無事に特攻の殉国碑に到着することが出来ました。
自分の足の長さ平均的だったってことか?
特攻殉国の碑には、作戦の経緯、当時の戦局、
作戦によって命を落とされた隊員さんの氏名が刻まれておりました。
この碑が建つ場所、訓練施設の跡地ったんですね。
正直なところ、
この碑を目の前にした時に全身の震えが止まりませんでしたよ。
碑の目の前に広がる美しい大村湾、
この場所で特攻艇「震洋」の訓練が行われていたとは…
毎日が平和でいられることに深く感謝、合掌して、
再び小串郷駅に戻ってきました。
なお、現在の場所に移る前の小串郷駅の位置ですが、
おそらくは、現在の特攻殉国の碑の裏手にある
空地だったのではないでしょうか?
こちらは昭和22年に撮影された航空写真で、
中央よりやや上に見える弧を描くラインが大村線、
その下(南側)に広がるのが海軍の訓練施設(迷彩柄?の建物)跡です。
施設に面した位置に単式ホームがあったと思うのですが…
なお、当時の小串郷駅はその場しのぎの臨時駅ということで、
丸太で組まれたホームがあるだけの駅だったようですよ。
そして現在の小串郷駅です。
単式ホーム1本だけの簡素な駅ですが、
1年中お花で埋め尽くされている理由が
何となくわかったような気がします。
特攻殉国の碑に隣接する資料館には特攻艇「震洋」の模型の他、
向かいの湾内には「震洋」の揚げ降ろしに使用した
クレーンの土台も見ることが出来ます。
本当はそれらも見たかったんですけど、
何分今回は時間が足りなさ過ぎでした。
終戦から今年で70年、
平和で過ごせることに改めて感謝した、小串郷駅での出来事でした。
訪問駅リスト(JR線)
大村線
↑(早岐駅方面)
ハウステンボス駅(平成27年4月7日)
南風崎駅(平成27年4月9日)
小串郷駅(平成27年4月9日)
川棚駅(平成27年4月9日)
彼杵駅(平成27年4月7日)
千綿駅(平成27年4月7日)
松原駅(平成27年4月8日) 前編 ・後編
竹松駅(平成27年4月7日) 前編・後編
諏訪駅(平成27年4月8日)
大村駅(平成27年4月7日)
岩松駅(平成27年4月8日)
↓(諫早駅方面)
今晩はこちらの駅のことを書きたいと思います。
大村線・小串郷(おぐしごう)駅です!
駅にはそれぞれ、開業には様々な事情があるものですが、
小串郷駅の場合はちょっとだけ他とは違っているのです。
ぜひとも知って欲しい誕生までの経緯…
まずはそんな話からいっちゃいます。
昭和19年7月、小串港の最寄駅として小串郷駅が開業しました。
同年、小串港には海軍の臨時魚雷艇訓練所が完成しておりまして、
訓練生の利便を図るために開業した、臨時の駅だったようです。
設立当初は純然たる養成施設だった訓練所ですが、
大東亜戦争の戦局の悪化が伝えられると
施設はやがて特攻ボート「震洋」の訓練施設へと転換されます。
「震洋」は戦局を挽回するために開発された
べニア製のモーターボートで、全長は5メートルほど。
艇首に爆弾を積み、搭乗員を載せたまま敵艦に突撃するという、
いわゆる特攻のための兵器でした。
心配された搭乗員集めも予想以上の志願者があったようで、
全国から数万名もの若者が集い、
小串の街で訓練ののちに前線に発たれたそうです。
やがて戦争は終結、
役目を終えた小串港駅は昭和22年に閉鎖されることになるのですが、
地元住民による存続運動の末に存続が決まり、
昭和23年に駅位置を改めて現在に至っているとのこと。
そんな小串郷駅に今月初め、行ってきましたよ。
まず小串郷駅に着いて驚いたのですが、
構内中が花壇だらけなんですよ。
どこを見ても花・花・お花だらけなの。
この花を見るだけでも小串郷駅に来る価値アリアリですぜ☆
しばらく構内の花壇を眺めておりましたが、
ふと、この看板が目に留まりました。
特攻殉国の碑。
先に書きました「震洋」による特攻作戦で、
3,511名の方が無念の死を遂げたそうです。
小串郷駅の近くに「震洋」の訓練施設があったことは
事前に調べてはいたのですが、
殉国碑があることまでは知りませんでした。
徒歩15分ですか…
次の列車の到着までは1時間あるけど、
碑がある場所まで往復できるのかしら?
駅にいた切符売りのおばちゃんに聞いたら、
「アンタぐらいの若い人だったら10分で着くわよ」と。
お世辞でも嬉しかったぜ、おばちゃん!
特攻殉国の碑まで歩いてみることにしました。
おばちゃんからもらった地図によると、
国道205号線に出た先に「特攻殉国の碑」案内看板があるらしい。
これか!
それにても、ここまで来るのに10分近くかかっちゃってるんですけど、
自分、歩くのとろい?
案内看板の矢印方向に進みますと、
大村線の高架橋が見えてきて、その下にも看板を発見。
なんとも魅力的な煉瓦積みの橋台だこと。
…などと見とれている場合じゃありません。
時間が無いので先に進みます。
控えめな看板が出てきました、ゴールは目の前ですよ。
駅を出発してぴったり15分、
無事に特攻の殉国碑に到着することが出来ました。
自分の足の長さ平均的だったってことか?
特攻殉国の碑には、作戦の経緯、当時の戦局、
作戦によって命を落とされた隊員さんの氏名が刻まれておりました。
この碑が建つ場所、訓練施設の跡地ったんですね。
正直なところ、
この碑を目の前にした時に全身の震えが止まりませんでしたよ。
碑の目の前に広がる美しい大村湾、
この場所で特攻艇「震洋」の訓練が行われていたとは…
毎日が平和でいられることに深く感謝、合掌して、
再び小串郷駅に戻ってきました。
なお、現在の場所に移る前の小串郷駅の位置ですが、
おそらくは、現在の特攻殉国の碑の裏手にある
空地だったのではないでしょうか?
こちらは昭和22年に撮影された航空写真で、
中央よりやや上に見える弧を描くラインが大村線、
その下(南側)に広がるのが海軍の訓練施設(迷彩柄?の建物)跡です。
施設に面した位置に単式ホームがあったと思うのですが…
なお、当時の小串郷駅はその場しのぎの臨時駅ということで、
丸太で組まれたホームがあるだけの駅だったようですよ。
そして現在の小串郷駅です。
単式ホーム1本だけの簡素な駅ですが、
1年中お花で埋め尽くされている理由が
何となくわかったような気がします。
特攻殉国の碑に隣接する資料館には特攻艇「震洋」の模型の他、
向かいの湾内には「震洋」の揚げ降ろしに使用した
クレーンの土台も見ることが出来ます。
本当はそれらも見たかったんですけど、
何分今回は時間が足りなさ過ぎでした。
終戦から今年で70年、
平和で過ごせることに改めて感謝した、小串郷駅での出来事でした。
訪問駅リスト(JR線)
大村線
↑(早岐駅方面)
ハウステンボス駅(平成27年4月7日)
南風崎駅(平成27年4月9日)
小串郷駅(平成27年4月9日)
川棚駅(平成27年4月9日)
彼杵駅(平成27年4月7日)
千綿駅(平成27年4月7日)
松原駅(平成27年4月8日) 前編 ・後編
竹松駅(平成27年4月7日) 前編・後編
諏訪駅(平成27年4月8日)
大村駅(平成27年4月7日)
岩松駅(平成27年4月8日)
↓(諫早駅方面)