須田国太郎の芸術 三つのまなざし | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

美術を、もっともっと身近なものに。もっともっと楽しいものに。もっともっと笑えるものに。

現在、世田谷美術館で開催されているのは、

“須田国太郎の芸術 三つのまなざし”という展覧会。

京都出身の洋画家・須田国太郎の大規模な回顧展です。

 

 

 

ちなみに。

本来であれば、本展は須田国太郎の生誕130年目、

さらに、没後60年の節目の年に当たる2021年に開催予定でした。

しかし、コロナ等の影響により、予定が数年ズレこんでしまったそう。

それゆえ、「生誕130年 没後60年を越えて」と冠されていました。

「○年を越えて」とは、実に汎用性の高いフレーズ!

今後、いろんな展覧会で使われるようになるかもしれません。

 

・・・・・と、それはさておきまして。

こちらの気真面目そうな人物が、本展の主役である須田国太郎↓

 

 

 

撮影用に特別におめかししているわけではなく、

普段から、スーツ姿で絵画を制作していたそうです。

そんな見た目からして画家らしくない須田は、

もともと美学や美術史の研究者を目指していたそう。

西洋の絵画を本場で学ぶべく、1919年(大正8)、28歳の時に渡欧します。

明治から昭和にかけて、多くの日本人がフランス・パリを訪れる中で、

ヴェネツィア派やバロック絵画に関心を抱く須田が拠点としたのは、スペインでした。

マドリードを中心に、スペインの各地(特に北部)を訪れたそうで、

本展では、そんな須田の足跡を記したマップも展示されていました。

 

 

 

おそらくですが、スペイン人でもこんなに国内を巡った人はいないでしょう。

なお、この当時、スペインに滞在できるというだけでも、

須田がいかに金銭的に余裕があったのかが、うかがい知れますが。

(実際、父は裕福な近江商人だったそう)

須田は自前でカメラを2台も所有していたようで、

本展では、その時に撮影された写真の数々も展示されていました。

 

 

 

渡欧時代の須田の写真がまとまった形で公開されるのは、今回が初めてとのこと。

いくつかの写真は、それを元に描かれた絵画と併せて紹介されていました。

 

 

 

さてさて、そんな須田が画家としてデビューするのは、41歳の時のこと。

銀座の資生堂ギャラリーにて、初となる個展が開催されました。

以来、「東西の絵画の綜合」という壮大なテーマを掲げ、作品を発表し続けます。

 

 

 

スペインで目にした光景の印象なのか、

須田の絵画は全体的に、赤褐色がかっていました。

動物を描いても、赤褐色。

日本の風景を描いても、赤褐色。

 

 

 

彼の中には、Instagramでいうところの、

フィルターのようなものがあるのかもしれません。

それを、【Suda】と名付けたいと思います(←?)。

 

ちなみに。

【Suda】で加工されると、京都の景色もこんな感じに。

 

 

 

描かれているのは、八坂の塔でお馴染み法観寺です。

はんなりとした雰囲気は一切なし。

“最終戦争後の京都”といった印象すらあります。

なお、塔の手前に何本も描かれている垂直のものは、

杉か何かの樹木とばかり思い込んでいましたが、電柱とのこと。

さすがに盛りすぎなような?

 

 

ところで、本展のサブタイトルには、“三つのまなざし”とあります。

メインとなる「旅でのまなざし」では、

渡欧時代の写真や油彩画が紹介されていました。

二つ目は、「幽玄へのまなざし」。

幼いころから、能や狂言に造詣の深かった須田は、

能や狂言をモチーフにした油彩画やデッサンを多数残しています。

本展ではその一部が紹介されていました。

 

 

 

そして、ハイライトとなる三つめは、「真理へのまなざし」。

美学・美術史の研究者でもあった須田は、

戦後、日本の油彩画に対して、“切花的芸術”と批判していました。

ヨーロッパで新しい様式が流行るたびに、

それをなんとなく模倣し、乗っかるような風潮を、

まるで切花を次々と取り換えているように過ぎないと感じていたのです。

研究者として、画家として、物事の本質や真理を追究し続けた須田。

彼が辿り着いたのは、「黒の絵画」と評された唯一無二のスタイルでした。

 

 

 

いい意味で、20世紀の絵画っぽくないといいましょうか。

いわゆるオールドマスターと呼ばれる巨匠の絵画のような風格がありました。

 

須田という苗字の洋画家というと、

司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵で知られる須田剋太もいて。

正直なところ、今日の今日まで、

国太郎と剋太が、ごっちゃになっていましたが。

本展を通じて、国太郎の全貌を知ることができました。

こんなにも個性に溢れる魅力的な画家だったなんて。

観終わった時にはすっかり国太郎ファンになっていました。

星星

 

 

ちなみに。

全体を通して、生真面目な印象のある須田国太郎ですが。

意外な一面もあったようで。

 

 

 

実は、40代後半から亡くなるまで、

約30年近くにわたって、グリコのおまけを集めていたとか。

本展にはその一部が展示されています。

 

 

 

息子さんの証言によれば、

キャラメルは与えてもらえるものの、

おまけは自分のものだと言い張っていたそうです。

『ビックリマンチョコ』のシールだけ集めて、

チョコは人に食べさせるタイプの人間だったのですね(笑)。

 

なお、これにちなんで、ミュージックショップでは・・・・・

 

 

 

グリコも販売されていました。

これを機に、須田国太郎同様に、

グリコのおまけのコレクションを始める方もいるのでは?

 

 

 

 

1位を目指して、ランキングに挑戦中。
下のボタンをポチッと押して頂けると嬉しいです!

Blogランキングへ にほんブログ村 美術ブログへ