来年放送予定のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。
その題字を手掛ける書家・石川九楊さんの大規模展、
“石川九楊大全”が現在、上野の森美術館で開催されています。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)
なお、展覧会は2期構成となっており、
6月は“前期【古典篇】遠くまで行くんだ”が、
7月は“後期【状況篇】言葉は雨のように降りそそいだ”が開催予定。
それぞれ別の展覧会であるため、
当然、作品もすべて入れ替えられます。
石川九楊さんの全貌を知るためには、どちらも訪れておきたいところです。
さて、前期に当たる【古典篇】では、
石川さんがこれまでに制作した2000点に及ぶ作品の中から、
『伊勢物語』や『方丈記』といった古典文学を題材にしたものが紹介されています。
ただでさえ、一般的に「書」は地味なものと思われがちです。
その上、題材が古典文学だなんて。
“究極に地味なのでは・・・・・?”
と、食指が動いていない方も少なくないでしょう。
しかし、そういう人にこそ、石川九楊さんの作品を観て頂きたい。
むしろ、伝統的な書に興味を持てない人の方が、楽しめるはずです。
と言いますのも、石川さんが『歎異抄』の一節を書くとこんな感じに。
歎異抄 No.18 92cm×57cm 1988年
『徒然草』の一節を書くと、こんな感じになります。
徒然草 No.22 95cm×62cm 1993年
書の大家の作品を観て、「よ、読めない・・・」と、
困惑をしたことは、人生で何度も経験してきましたが。
石川さんの作品に関しては、
もはやそういうレベルを軽く超えてしまっています。
美術館で最も広い展示室には、
中国の唐代中期の詩人・李賀による「李賀詩」を、
モチーフにした大作が展示されていましたが。
もはや抽象絵画のようでした!
その見た目は、アンフォルメルの絵画のようでもあり、
ジャクソ・ポロックのアクションペインティングのようでもあり。
と、それだけに。
心の底から、「キャプションがあって良かった!」と思いました(笑)。
ちなみに。
本展のハイライトともいうべきは、「源氏物語書巻五十五帖」シリーズ。
『源氏物語』の各帖を全く違う書法で、書き分けた(描き分けた?)ものです。
文字らしさがかろうじて残っている作品(?)もあれば、
もはや、原型が一切残っていない作品(?)もありました。
「若菜 上」にいたっては・・・・・
源氏物語書巻五十五帖「若菜 上」 59cm×94cm 2008年
心電図かポリグラフかと思ってしまったほどです(汗)
さてさて、石川さんは展覧会の冒頭に、こんな言葉を掲げています。
お願いだから『書』と聞いて習字や書道展の作品を思い浮かべるのではなく、
筆記具でしきりに文章を綴っている姿を思い浮かべてほしい。
本展を鑑てのちは。
さらに、インタビュー映像では、このような言葉を述べていました。
書は文字を書くのではなく、言葉を書くもの。
石川さんの言わんとすることを、
ちゃんと理解できた気はしないのですが。
もしかしたら、こういうことなのかなと思い至ることはありました。
例えば、一つの文章があったとして。
それを書き写すとなると、その書き写された文字は、
人によっても、あるいは気分によっても、そう大差はないわけです。
しかし、その文章を言葉として、声で発するとなると、
声質であるとか、抑揚のつけ方であるとか、速度であるとか、
むしろ似通うことのが少なく、無限の可能性があるわけです。
そういったことを石川さんは筆と紙で、
表現しようとしているのではないでしょうか。
知らんけど。
なので、石川さんの作品を観てると、
不思議と、その作品を書いている姿が見えてくる気がするのです。
書というよりも、パフォーマンスアートに近いのかもしれません。
文字を読もうとすると、頭に大きな?マークが浮かんでしまいます。
そうならないためにも、あえて頭を空っぽにして、
目の前にある作品と向かい合ってみるのがオススメです。
なお、はなから文字として捉えず楽しめるからでしょう、
展覧会には海外のお客さんがわりと目立っていました。
ちなみに。
石川さんの全貌を紹介する展覧会ということで、
会場の一部では、こんなものも紹介されていました。
実は、石川さんは長年に渡って、
日本酒の「八海山」のラベルの文字を書いているそう。
展覧会を観終わった後、無性に八海山が飲みたくなりました。