武士と絵画 | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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現在、千葉市美術館では、

“サムライ、浮世絵師になる! 鳥文斎栄之展”が絶賛開催中ですが。

それにちなんだ小企画展“武士と絵画”も同時開催されています。

 

(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)

 

 

サムライから絵師になった人物なんて、

鳥文斎栄之くらいなものなのだろうと思いきや。

日本美術の歴史をひも解いてみれば、実は意外と少なくはないようです。

 

例えば、2017年に京都国立博物館にて、

史上初となる大規模回顧展が開催された“桃山画壇の巨匠”海北友松。

 

 

 

彼は、もともとは近江の浅井家の家臣でした。

しかし、戦国時代がお好きな方ならご存じでしょうが、

浅井家はあの織田信長によって滅ぼされてしまいました。

それが原因で、海北友松は狩野派に入門したと伝えられています。

いうなれば、転職を余儀なくされ、絵師となったわけです。

 

また例えば、いわゆる「蛮社の獄」によって、

犠牲となったことで知られる蘭学者・渡辺崋山。

 

 

 

彼は、田原藩の藩士の家に生まれ、

のちに家老を務めるまでにいたった人物です。

そんな彼がなぜ、絵を描くようになったのか。

それは田原藩が財政難だったから。

家計を助けるために絵を描くようになるも、

メキメキと頭角を現し、絵師としても知られる存在になったそう。

 

 

またまた例えば、日本文人画壇の巨星・浦上玉堂。

 

 

 

彼は、岡山藩の支藩となる鴨方藩生まれ。
その鴨方藩のエリート武士として活躍するも、
50歳の時に突然の脱サラ・・・もとい、脱藩をしました。
晴れて自由人となった彼は、2人の息子とともに全国を遍歴。
多くの文人画の傑作を残しました。

余談ですが、こちらの《雨褪臙脂図》という絵は、

今は、千葉市美術館の所蔵品ですが、もとはピーター・F・ドラッカーの所蔵品。

2010年に大ベストセラーになった『もしドラ』こと、

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』で、
一躍注目を集めたあの「マネジメントの父」ことピーター・F・ドラッカーの所蔵品です。

なんかそう聞くと、急にありがたみが増しますよね。

 

 

さて、展覧会では他にも、

元祖・二刀流でお馴染み(?)宮本武蔵による絵や、

(注:正確には、伝宮本武蔵ですが)

 

 

 

千石取りの旗本として、江戸幕府に50年ほど出仕するも、

その一方で、浮世絵師としても活動した水野蘆朝の肉筆画など、

 

 

 

さまざまなタイプの“武士と絵画”が紹介されていました。

それらの中には、姫路藩2代藩主の実の弟・酒井抱一の作品も。

 

 

 

いやはや、探せばいろいろ絵を描く武士がいたものですね。

ありそうでなかった切り口なので、

小企画展とはいえ、満足感は大きかったです。

星

 

 

ちなみに。

お殿様の家族という酒井抱一が、

本展出展作家の中で一番が格上かと思えば。

上には上がいるもので、あのお方の作品も紹介されていました。

そう、江戸幕府3代将軍、徳川家光です。

家光と言えば、ここ数年、日本美術ファンの間で、

そのヘタウマなタッチの絵でじわじわ人気急上昇中。

今回出展されていた《墨絵 子供遊図》も、期待を裏切らないクオリティでした。

 

 

 

なんともいえない余白。

なんともいえない距離感。

というか、どういうシチュエーションなの?

 

 

 

しかも、さらに驚いたことに、

こちらの作品は、「伝 徳川家光」なのだそうです。

「こういうタッチの絵=徳川家光」と認識されていたりして。

知らぬは家光ばかりなり。

裸の王様ならぬ裸の将軍です。

 

 

 

 

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