東京国立博物館の平成館や豊田市美術館、
猪熊弦一郎現代美術館といった国内のミュージアムだけでなく、
MoMAことニューヨーク近代美術館の増改築の設計も手掛けた、
「美術館建築の名手」と呼ばれた建築界の巨匠・谷口吉生。
その彼が最初に手掛けた美術館建築が、
静岡県掛川市にある資生堂アートハウスです。
もし、その名にピンと来なくとも、
東海道新幹線の車窓から目にしたことはあるのではないでしょうか。
昭和53年の開館以来、絵画や工芸品といった、
資生堂が所有する美術コレクションを一般公開してきましたが。
今月6月27日をもって閉館することが発表されました。
なお、隣接する資生堂企業資料館は、昨年11月にすでに閉館しています。
ちなみに。
これをもって、資生堂がアートの分野から撤退するわけではなく、
今後のアート支援活動は、銀座の資生堂ギャラリーへ集約されるとのこと。
コレクションや資料・展示機能などの一部は、
銀座やShiseido Beauty Parkに移転するそうです。
敷地内にある大型作品は、さすがに移転できないでしょうが・・・。
さて、資生堂アートハウスには、これまでプライベートで何度も、
資生堂のお仕事としても、コロナ禍に中継企画で訪れたことがあります。
名建築かつ入館無料でありながらも、
最寄駅から徒歩約25分と、アクセスに難があるため、
いつ訪れても、館内がゆったりしている印象がありましたが。
僕と同じように見納めしに来られた方が多く、いつになく館内が賑わっていました。
閉館と決まった途端に、客足が伸びる。
閉館あるあるです(←?)。
そんな資生堂アートハウスの歴史のラストを飾るのは、
“資生堂アートハウス所蔵作品展 小村雪岱-江戸を夢見る-”という展覧会。
「昭和の春信」と称された日本画家で挿絵画家、
小村雪岱(せったい)の作品約140点を紹介するものです。
会場には、雪岱の没後に制作された版画の数々や、
舞台美術家としても活躍した雪岱の舞台装置下図の数々、
さらに、雪岱が装幀を手掛けた書籍の数々も紹介されています。
ちなみに。
雪岱を装幀の世界に導いたのは、小説家の泉鏡花です。
鏡花は、大正3年に刊行した『日本橋』の装幀に、
当時まだ無名の若手画家だった雪岱を大抜擢しました。
その出来栄えを気に入った鏡花は、
以来、ほぼすべての装幀に雪岱を指名したそうです。
さらに、“雪岱”という雅号を与えたのも鏡花。
雪岱の本名は、安並なのですが、
“安並雪岱”では合わないだろうと、
旧姓の小村を名乗るようにアドバイスもしたのだとか。
なお、本展には、装幀だけでなく、
挿絵も手掛けた雪岱の代表作『おせん』。
その原画の数々ももちろん展示されています。
雪岱ファン垂涎の内容といえましょう。
資生堂アートハウスの最後の展覧会が、
なぜ、小村雪岱の展覧会なのでしょうか?
実は、資生堂と雪岱には深い関係があります。
『日本橋』以降、売れっ子装幀家となっていた雪岱を、
どうしても意匠部の社員にしたかった資生堂初代社長・福原信三は、
「従来の仕事を自由に続けても良い」という破格の条件で招聘し
雪岱が資生堂に在籍したのは、約5年ほど。
その間に、小冊子の表紙や挿絵を担当したり、
ちなみに。
資生堂の商品や広告に使われる特徴的なフォント(=資生堂書体)や、
資生堂の和文ロゴタイプの基本を作った一人が、何を隠そう小村雪岱です。
資生堂アートハウスの大トリを務めるに、もっとも相応しい芸術家といえましょう。
なお、資生堂アートハウスでは、小村雪岱展と併せて、
“工藝を我らにセレクション 2026”という展覧会が同時開催中です。
2015年より7回にわたって開催された企画展。
それが、“工藝を我らに”。
美術品として遠のいてしまった工藝品を、
再び日々の生活に取り戻すことを目的とした企画展シリーズです。
その集大成として開催されているのが、本展。
過去の“工藝を我らに”に出展された同館所蔵の工藝品や調度品を、
お正月から大晦日までの一年の行事やトピックごとに取り合わせて紹介しています。
他にも富本憲吉や鈴木治、畠山耕治さんら、
工芸界の巨匠たちの作品が、あくまで日常遣いの道具として紹介されています。
どれも季節感が味わえる洗練された取り合わせで、真似してみたくなりました。
(↑家にそれらの工藝品があればの話ですが・・・)
なお、数ある工藝品の中でもっとも惹かれたのは、
ガラス作家の安達征良さんによる《硝子花入 青葉雨》という1点。
作品そのものももちろん美しかったですが、





















