現在、泉屋博古館東京で開催されているのは、
“生誕151年からの鹿子木孟郎―不倒の油画道―”という展覧会です。
本展の主役は、この人↓
昨年2025年に、生誕151年を迎えた洋画家・鹿子木孟郎(1874~1941)です。
その名前を目にして、
“・・・・・しかのこ・・・きもろう??”
と読んでしまった方もいらっしゃることでしょう。
正しくは、「かのこぎたけしろう」。
初見殺しな名前です。
同世代の洋画家には、黒田清輝がいますが、
彼と比べると、鹿子木の知名度はそこまで高くありません。
その理由は、従来の洋画史研究にあります。
黒田が日本にもたらしたいわゆる“外光派”が、
日本近代洋画の主流として位置づけられたため、
パリで伝統的なアカデミズムを学んだ鹿子木は、時代遅れとされてしまったのです。
しかし、ここ近年、世界的にもアカデミズムを再評価する機運が高まっています。
本展のコピーは、「写実絵画をもういちど」。
これを機に、鹿子木孟郎が再ブレイクするかもしれません。
ところで。
鹿子木と泉屋博古館のコレクションの礎を築いた住友家には深い関わりがあります。
鹿子木がフランスに初留学した時のこと。
お金が尽きてしまい、つてをたどって住友に支援を頼み込みました。
住友は援助する条件として、西洋絵画を4、5点購入してほしいと頼みます。
それに対して、鹿子木はこう返しました。
「絵を買うくらいであれば、私がルーブル美術館で模写しますよ」と。
本展には、その際に模写されたアングルの《泉》も出展されています。
なお、鹿子木は当時としては珍しく、計3回もの留学を経験しています。
その援助をしたのも、やはり住友家。
なお、二度目の留学の際には、鹿子木の師である歴史画の大家、
ジャン=ポール・ローランスの大作を住友に代わって購入しています。
それが、こちらの《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》。
サロンに出品され、栄誉賞を受賞したローランスの代表作の一つです。
フランスにあったら、ルーヴル美術館に飾られていてもおかしくないそう。
そんな名画が泉屋博古館で観られるのも、鹿子木の功績だったのですね。
ちなみに。
《マルソー将軍~》はそうでもないですが、ローレンスは、
赤、白、緑の3色のコントラストを効果的に使った表現を得意としていたそうです。
鹿子木も師匠譲りで、その3色遣いを得意としていました。
そのことは帰国後の代表作《加茂の競馬》にも見て取れます。
他の作品でも、やはりその3色が目立っています。
さてさて、本展は府中市美術館で開催されて以来、
実に25年ぶりとなる本格的な鹿子木孟郎の回顧展。
岡山時代の初期作から晩年の作品まで、
約130点が日本全国から集結しています(前後期入替あり)。
それらの中には、鹿子木の代表作にして大作《ノルマンディーの浜》や、
さらには、当時スキャンダルを巻き起こしたという《新夫人》も含まれています。
《新夫人》のモデルは室町三井家第10代当主・三井高保の次女。
彼女は鴻池家に嫁ぐも、
そのため、鹿子木は顔しか描けず、
顔から下は祇園の芸姑をモデルに仕上げたとか。
そうして完成させたものの、三井家は受取拒否。
それならばと、鹿子木はこの作品を文展に出品しました。
あの話題の女性がモデルということで、世間がざわつくと、
三井家は慌てて、買取りと撤去を鹿子木に申し入れたそう。
しかし、鹿子木は断固として拒否したそうです。
かくして、この《新夫人》は三井家に処分されることなく、現存しています。
鹿子木孟郎、敵に回すと意外と恐ろしいタイプです。

(1ツ星)








