/// な い も の ね だ り 。 -21ページ目

本作さよならカラー。

さよならからはじまることがあるんだよー
どうも たなばたむらです。

昨夜、本作を描いていました。
今までで一番自分の性格にあってるような
頭の中にあるビジョンに近づけてるような
そんな絵になっていたんですが。
和紙(しかも極薄の光星牌)に描くんで
ちょっと集中切れただけで終了。

いやー嬉しい
こーゆー感じ
気持ちいい


です。


膠着状態のネタバレみたいな自身の半世紀を綴ってみた。

ちょっと投げやりな最近の私です。
自己を分析するってのは解体してバラバラにしてそれらを直視して受け入れるってことではないでしょうか。(もちろん自己分析は友人のからの方法論で教わりました)
最近ずっと分析して、肯定して、で 気づいたら私の解体は相当なもので、幾らバラバラにしても次から次へと現れてくるんですね。
膠着状態。ベッタべたに何度も重ねて原型がなにか見えない。
自分自身このことに気づいていなかったので解体するたびに「あんたなんでそこまで」って。
自分に落胆するよりも、頑張ったねと讃えざるおえないです。

今はもう通院していませんが去年までは病名があることで救われたと思っていました。
医学的には「薬は安全です」とゆう薬だったけれど今思うと、非常に危険だったと感じます。(気づかせてくれたのは他者ですが)
感情を平坦にするなんて、生きてる心地なんてしやしない。
身体的な副作用はとても自然だけれど感情を無くしてしまう副作用は植物と同類で危険ですね。
だからもう通院はしないでしょう。
やっぱり自己に原因(否定的な意味ではなく)があるからにはそれを徹底的に探って解放するしか方法はないはずです。

今はルサンチマンであると認めてしまう結果、隠蔽の結果が症状になってしまってる。
(ルサンチマンとは自らを傷つけないために傷つける自傷症の一種または防御法)
原因はやはり私の幼児期に遡ると思います。

ここで親を批判的に言うつもりもさらさらないし、そもそも親が嫌いならこの問題には皆無です。
また一人っ子に負い目を感じていたのは確かです。
負い目を感じたのは私の従兄弟たちがみな2人~5人の兄弟たちで
お盆やお正月に祖父母の家に集まり当然従兄弟達と遊ぶわけですが「いい子な麻衣ちゃん」は他の従兄弟たちみたいに悪ふざけできなかったんですね。
「いい子でいたらすぐ向かえにきてくれるからね」その言葉をずっと信じてきたために。
でも悪い子しないと従兄弟たちは仲間として迎えてくれなかったんです。
だから従兄弟は怖かったですね、敵と認識していたのかもしれません。
小さい頃ながらに葛藤していたんではないでしょうか。
で、少し大きく(5歳くらい)なると親や大人の前では「いい子」でいて従兄弟達の前では「おとぼけで悪い子」みたいに使い分けていました
ただ時々言われたのは「一人っ子っていいよね。」「なんでも好きなの買ってもらえるんでしょ」「あまやかされてんだね」「いい子だね、うちらに合わせなくてもいいよ」
小さいながらに年上の従兄弟たちからの言葉には悔しかったです。
「悪い子じゃないと仲間にいれてくれないじゃん」って。
もちろんここでも従兄弟を否定するつもりはないです、本心ですし、子供だったわけで何が否ってのはないはずです。

親は親で甘やかしはしなかったです。欲しいものを買ってくれることもなかったです。
ゲームだって許されなかったし、ゲームセンターやお金を使う遊びには行くなと言われてました。
お祭りも親が同伴でしたし、部屋の鍵だってなくプライバシーとかは皆無でした。
遊びとゆうか娯楽は茶道であり書道でありピアノ、ミニバスにフットサルにソフトボールでした。
なぜか全部褒められていいところまでとんとん拍子。
もちろん大人、先生方から褒められるため「いい子」とゆう位置が確立し、安心感がありました。
親は親戚に祖父母達はみんな私を褒めて他人に自慢していました。
「あの子はなんでもできちゃうんです」って。
また両親は私の幼少期に毎日のように喧嘩していました。
二人の怒鳴り声が怖くてたまりませんでした。
でも「いい子」である私はそれをどうにか収拾しようと必死でした。
間違った考えのもと「私がいい子ならきっと仲良くなるだろうって」
時々母は実家に私をつれて帰ってました。「お父さんがかわいそうだよ」って言えなかった。
運転中の中、母は父と姑の愚痴をこぼして私に理解を求めてた。「お父さんをそんな悪くいわないで」って言えなかった。
母は助けを私に求めていたし、そんなことを言えば母すら悲しんでしまうと思っていたからでしょうね。
父は愚痴を私にはこぼさなかったけれど大声で時々怒りをぶつけてた。
私からすれば父はいつも弱者であり希薄な位置だった。母は強者であって批判的だった。
そして母からの愚痴や喧嘩を見て育って結局父がいつも謝って「男ってこんな感じなのかって」
ただいつも思ってたのはどっちも私のお母さんとお父さんであって、いいか悪いかなんて関係ないのにって。
私の両親はとっても不安定であった。相手を批判しなければ自己の存在を肯定できなかっただけ。
お互い、辛くてどうしたらいいのか分からず見えない無意味な喧嘩をすることしかできなかったんだと思う。
生意気なことを言えば、二人ともまだ幼かった。理解して欲しくてたまらなかったんじゃないのだろうか。
今はお互い喧嘩が少なくなったのは諦めたとかじゃなく年齢的なもんだと思うんだけれど・・・。

中学になり剣道を初めました。理由は背が止まるかなとか坂本竜馬に憧れてたとかそんな感じ。
またまたなぜか結果がついてきました。「なんでできちゃうんだろう」
もしかしたらいい結果にウンザリしてたのかもしれません。
けれど、どんどん成長して褒められることは最高に嬉しく、また他人も喜んでました。

高校になりそのまま中学の仲間達と「また全国行こう」と団結して毎日部活三昧。
色んな努力はしたはずです、だから全国もまた行けました。いい思いでに変わりはありません。
全てとんとん拍子で全ていい結果でした。
その後、一番結果の出してきた書道を極めようと書道のある大学の入試にむけ書道部に入部しました。
ちょっとしたハンデがあったので自分はそこまで結果を出せないかもと思っていました。
でもどこかでは「どうせまた賞でもとっちゃうのかな」
結局予想はあたり、また賞をとりました。それも上位の。
「なんだこれ」「そんもんか」ってのが当時の感じです。
そんな今までの私の業績を母はいつもファイルにして楽しんでた。
新聞の切り抜き、広報の切り抜き、ビデオテープに写真。
それを凄い笑顔でみせてくる「お母さんはこれを作るのが生き甲斐みたいなもんよ」って。
高校の頃も両親の喧嘩はありました。その頃になるともう母親をなだめるのもお手の物で、更に父への配慮の言葉すらかけれるようになっていました。
けれど父はやはり男なので、子供より自分の信念が絶対的な寄りどころですから或る意味強かったのかもしれません。
母は愚痴を聞いてくれる味方の私がいて、よく「あなたがいてくれてよかった、私はあなたがいなきゃ駄目だわ」と。
なんだか寂しいって気持ちの感覚、今も覚えています。
とんとん拍子をみてた書道の恩師の先生は大学はそうはいかないぞと言って叱咤激励してくれました。
私も大学ってきっともっとけちょんけちょんに叩きつぶされるんだろうなってウキウキでした。

しかし大学も然り。全然練習してないのに書道のコンクールで賞はとれました。(他者からすれば結構な練習量かもしれませんが)
宿題もろくにせず授業の前にパパッと書いたものを提出したらもの凄い評価を頂きました。
「いいね」「上手いなあ」評価はいい判定しかもらえませんでした。
先生方にはよくしていただきました。
自画自賛していたのもあります、けれどいいそれなりの努力はしてました。書に対する勉強も。
けれどいい結果しか結局もらえず、なんだか空虚感ばっかりでした。
でもいい結果がなければ安心できなかったんです。
いい結果がなければ「いい子」でいられないと勘違いしてたわけですから。

親も親戚も祖父母も私を知る大人たちは「いい子」「素直なこ」「なんでもできるこ」として今も褒めてくれ評価してくれます。
もちろん居心地はいいです、一過性の安心感が得られます。
ただ「満足」とかってゆう満たされた感は今の一度もないです。いつも安心感と空虚感が内在しています。

それをどうにか脱したくて、もうどうしようもなくてNYに行ってきました。
「私」を誰もしらない街へ、言葉すらわからない街へ。
凄い心地よかったです。「いい子でいなくてもいい」「誰もみてない」から。
私が何者かもわからず、ただ優しくしてくれた、評価してくれた、それはNYでした。
だからこそNYは大切な場所であり解放できる場所であり、そこでできた友達はちょっと特別なのです。

帰国後、書道なのか絵画なのかと方向性に迷っていました。
書道でこのままいい子でやってたらきっとまた素晴らしい結果はくる(もちろん惜しみない努力をつかって)
けれどなんか違うんじゃないかって。また、いい結果を気にして走るのかって。何かを見過ごしたまんま。
そんな葛藤をしてどうにかこうにかしてアート集団をつくりました。
結果、集まってしまったのです、後悔しかありませんでした。
「なんで集まってしまうのよ」って。自分勝手ではありますが、そうでした。
そんな滅茶苦茶に悪あがきしてた時にある機会があり、今は画家としてやってこうって決めました。

書の道をバッサリと切って画家、絵画とゆう道へきたのは言い換えれば私の最後の反抗なのかもしれません。
未だに知り合いに親に先生方は「書道ならいけるよ」って言って反対してます。
その反対が嫌とゆうよりは嬉しいですね。
こっちの道は中途半端じゃ、やってけないのは承知です。
「あんた今まで成功したからってなんでも成功するとは限らないのよ」
いいんです、それが楽しいしきっと満たされる唯一の方法だと思うから。
成功はもちろんしたら嬉しいけれどそれもきっと一過性の安心感かもしれません。
けれどこっちの道にいるってこと自体が私には大切でなにか満たされてると思うんです。

文字を描くことは嫌いでした。意味とか内容とか言葉があるからわかってしまう。
理解はもういらないのかもしれません 他者からの。
自分だけでいっかーって。
私の中でこの道は一番本質と向き合って解放できる手段のもの。
もしかしたらこの病気治らないかもとか今は思わない。
本質と向き合って解放するこの方向は唯一の良薬なはずです。

或る人と或る人は結果は原因が内在してこそだとか
全部必然性の偶発的のもんなんだとか言ってます。

そうなのかなって最近つくづく思います。

責任とか罪とかを自己、他者に向けるほど無意味で終わりのないものはないでしょう。
なんたって答えのない憤りや悲しさを両者に与えるだけしかない。
そんなもので自己を防衛するなんていつかは結果としていつか応酬が与えられる。
親だってそれでよかった、周りだってそれでよかった、私も然り。
知ること、バラバラにすること、一つ一つの意味
それをどんどんくっつければいいんです。
それが本質に唯一辿りつけるはずです。


それにしても、子供ながらに色々模索しながら解決・・・対処してきたもんです。
全部これでよかった。お疲れさまでした。

グッドモーニング。

久々にいい朝をむかえられました。
今日は友達のliveです。
素敵な音を奏でます
時々どきっとするような歌詞
何かを代弁してくれてるような歌詞をのせてます。
マイスペあるので是非聴いてみてください。
http://www.myspace.com/yutanatori

なんでこんないい朝かとゆうと
ここ最近の朝が最悪だったわけです。
けれど今日は違う。
頭が何かを受け入れてまた何かを吸収したいと
そんな感じのスイッチが入った気がします。
朝 サラリーマンのOLの靴の音
鳥の鳴き声 信号の音
全てがそのまま認識されてなんだかいいなって思います。

今のところ自分にとって何が一番興味があるのか
核心は突けていないけれどどうにか辿り着きつつあるのかな
今は目の前の本を一段落読んだけれど
また読書リストがやってくるみたい
きっとなんか見つかるんではないでしょうか。

なんだかこうゆう穏やかな時は家族に会いたくなります。
父と地理対決して国名と首都をいいあったり
母の愚痴をそうかそうかと聞いていたり

いいなー
いい。

今日の私にはじめまして
今日もよろしくお願いします。