★ 2024年盛岡1泊の旅の備忘録 ★

 

 

南部氏第13代当主・南部守行が14世紀末に創建した報恩寺。

すでに閉門時間を過ぎていたものの、街はずれの三ツ石神社に行ったついでに

駆けつけました。

目玉の五百羅漢は見られなかったけれど、行くだけ行ってよかった。

堂々たる山門に目を見張りました。

 

 

 

それにしても盛岡に来ると印象的な、南部氏の存在感。

金沢市内のあちこちで前田家の家紋や像や名前を目にするのと同様に。

 

盛岡城址公園にはこんなものがあります。

騎馬像があったはずの台座のみ。

台風や地震で崩壊でもしていまは主なしの姿なのかしら、と思いきや!

なんと騎馬像のほうは戦時中の金属供出で持ち去られたままこんにちに至ると知り唖然。

80年間このまま?

青空の下、この空っぽの台座の悠然としたたたずまいといったら。

なにか「そこにあるべきものの存在を印象付けるために仕掛けられたシニカルな現代アート」

といったおももちです。

 

この台座に載っていたのが、やはり南部氏の一族・第42代当主・南部利祥の騎馬像でした。

日露戦争で戦死した武勲を称えて銅像が作られた、と書かれていました。

 

 

 

南部・・のつくものとしては南部鉄器

これは↓盛岡駅の展示です。

南部鉄器といえば、岩手県出身の大谷翔平選手の結婚祝いに贈られたのが、南部鉄瓶でしたっけ。

とても上品でおしゃれでした。

 

 

 

 

盛岡駅のNew Daysには、南部せんべいがあしらわれていました。

こちらは南部という町からの命名という説を目にしましたが。

 

 

 

ちなみに一関に行くと、大槻三賢人がぐぐっと存在感を増します。

医学、蘭学、言語学などの分野で名をはせた学者肌の一族とお見受けしました。

 

 

図書館にも。

 

 

 

さて、冒頭の報恩寺に話を戻して、

こちらが五百羅漢が安置されている羅漢堂。

16時を過ぎていたので、門が硬く閉ざされています。

 

 

おしゃれな蔵といったたたずまい。

 

 

 

隈研吾さんもびっくりのこの木々の組み技。

しかも洗練された細密な浮彫の見事さよ。

獅子の頭の上には、小さな馬や蛇などの浮彫が精緻に彫られています。

 

 

いやあ、これは望遠レンズ持参で再訪したいなぁ。

 

 

浅彫り、深彫りの龍も、糸を引くような繊細な鑿技が光ります。

 


 

筋トレバッチリのムキムキ仁王像。

2体とも、手の表情が独特。

こちらはヨガの手印にも相通じるけど、手のひらの向きが目を引きます。

 

 

 

怖い顔なのに、ハローと手を振るかのようなしぐさがお茶目。

太く存在を主張する手、というとピカソの絵を思い出します。

 

 

 

ウッドショックが叫ばれる昨今、もうこんなふんだんな木造建造物・木彫は

二度と新たに世に出ることはないでしょう。

 

無尽蔵と勘違いした木の時代は終わり、

さらに便利だからとなんでもかんでも用いたプラスチック・イケイケの時代は、

枯渇とは別の”環境”という問題で終焉。

造れば廃棄の問題がでるわけで、今後はスリム化の時代かな、、、

なんて、こんな壮麗な建造物を見ながら、世知辛い思いにとらわれるのでした。

 

 

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