旅行で”どこどこ”へ行ったけれど、”なになに”を見逃した/見損なった、悔しい・・
結構そんな思いが次回の旅につながることがあります。
今年の夏休み策定の動機も、まさにそれでした。
かつて角館に行く途中、盛岡で下車して、かねてから見たかった辰野金吾関与の
旧盛岡銀行(岩手銀行赤レンガ館)を見物・・したまではよかったのですが、
ピンポイント過ぎました。
有料ゾーンにも入り、念入りに中を見たものの、電車の時刻が迫っていて、
その後、周囲を見渡しもせずに一目散で駅へとんぼ返り。
でも実はその斜め向かいにも、歴史的建造物があったとブロ友さんの記事・コメントなどで知り、
しまった!
というわけで、夏休み第一弾は盛岡一泊旅行です。
下の写真・赤レンガ館は2019年のもの。
今回は盛岡に一泊し、丸一日盛岡市内観光に当てたので、あちこち訪れることができました。
行きたいところをピックアップし、線でつないで、ぶらぶら街歩き。
目的地に行く途中観光ガイドにもあまり出てこない程度の
プチな(だけどとりあえず歴史的な)スポットを示す看板があちこちで登場。
誘われるがままに、寄り道をする旅となりました。
プチな寄り道例としては、例えばこれ。
ムカデ姫の墓所?
矢印の方向に出向いたところ、お寺というより野外墓所的な一帯の裏に
立派なお墓が。
ムカデ姫って誰?なぜその命名?
由来を読んでもなんだかややこしくて消化しきれているとはいいがたいですが、
かいつまんで言うと:
南部27代藩主利直の正室(法名は源秀院、輿入れの時の名は於武の方)は、
実家に代々伝わるむかで退治用の矢の根を嫁入り道具として持参。
於武の方が亡くなると、ムカデ被害が続出。祟りと考えられ、このお墓は
ムカデ姫のお墓と呼ばれるようになった、、、そんな感じで理解しました。
(なんだかややこしい由来書↓)
そして中心部に帰る途中、川のそばの広場の奥にどことなく違和感を漂わせていたのがこれ。
なぜか片隅一部だけが和庭園風。
この巨大な燈篭にも来歴がありました。↓
これは、花街の代表的料亭「丸竹」の庭にあった石灯篭、と。
1997年まで営業していたようです。
大通りをひたすら直進したので、花街跡のような一帯は通過せず。
でも、恐らく今も小路にはいったりすると、多少の名残があったのでしょう。
そんな寄り道散歩のなかでもとりわけヒットだったのがこちら。
材木町と呼ばれる一帯。
ホテルから目的地・啄木の新婚の家に行く途中で見つけました:宮沢賢治像。
細部がいろいろ凝っていて、話し出すと長いので、別途材木町特集のときに
記すことに。
とにかくこざっぱりと整備された道なので、見どころのにおいがぷんぷん。
ということで大幅に寄り道することに。
やがて出てきた案内図。
やはり観光ポイントのようです。
(これを見るにつけ、穴場というより有名なストリートだったのだろうな。
単に私がチェックできていなかっただけで。)
とまあこんな感じで、あちこち道草だらけの盛岡旅。
ぼちぼちと記すことにします。