花見話の合間に途切れ途切れに綴っている小田原日帰り旅。

続いては、海を見た後に訪れた「だるま料理店」のお話です。

 

先日書いたとおり、この後、メインの目的である曽禰達蔵設計の小田原文学館へ行き、

川崎長次郎がこの店に日参したという説明を見つけました。

どうやら老舗らしいです。

私はたまたま小田原+ランチ+ブログ、みたいな検索で、

絶対的安定感のあるお店、みたいな触れ込みに惹かれ、ここに行こうと決めていました。

 

創業は明治26年。
創業者・達磨任三郎の苗字を取ってだるま料理店と命名。

けれども関東大震災で店舗は損壊。
大正15年に再建したのが今の建物です。
この時の経営者、二代目廣澤吉蔵は網元でもあり、ブリの大漁で大儲けしていた模様。
再建には潤沢な資金をつぎ込み、資材に檜、松、欅など良材を使用。職人さんも燃えたとのこと。

 


 

いまでは登録有形文化財です。


建物の説明:
・母屋は楼閣風の造り。
・二階屋根の正面に千鳥破風を2つ連ねて比翼入り母屋づくりの形に凝らした。
・一階店舗入り口の向唐破風作りのポーチに特徴あり。
・ファサードは老舗の雰囲気を伝える。
・二階の客座敷は、数寄屋風の書院造が基調で床・棚・付け書院などの座敷飾りや建具・欄間などの造作に様々な趣向を凝らした。
・東側玄関ホールと二階座敷への階段、その横に設けられた洋風応接間の意匠はアールデコ。
 



入り口の両側には達磨像とおかめさんの像を設置。

達磨↓

 

 

おかめさん↓は器を携えており、ここにお賽銭を入れる人が続出したといいます。

そのためか?、いまではしっかりお賽銭箱も設置されています。
浄財は、京都で建築物としては最古の寺千本釈迦堂、大法恩寺(通称おかめ寺)に届けられます。

 



1935年の写真。
屋根にまたがる銅製の看板(赤枠)は戦時下に軍に供出されました。

銅像のみならず、店の看板にまで手が伸るとは・・なんでもかんでもお国の為、だった時代。

 

 


昔はお客が旅の疲れをいやすようお風呂もあったそう。

欲見るとシャワー付き。

当時としてはモダンだったのでは?

 

 

中はこんな感じ。

あっという間に満席に。

 

 

 

 

オーダーした後ほっと一息、周囲を見渡したところ、

天丼、天重比率が多く、どうやら人気の的のよう。

そうとは知らず、また、てんぷらだけだと飽きそうなので、

手堅くお刺身とてんぷら両方がついている定食に。

 

 

器の中も春。

店員さんはてきぱきと動線に無駄がなく、手慣れたもの。

かなりの大人数なのにうまくさばいていました。

老舗の安心感、確かに感じました。

 

 

 

昭和初期の光景。

立派な車が横付けされています。

 

 

そういえば市内で「マンホールカードを配布しています」という張り紙を見かけました。

デザインマンホール、流行ですね。

 

 

そうそう、駅にもいらっしゃいました。↓

 

 

 

 

 

小田原① 片岡鶴太郎さんの巨大陶板アートが見られる場所

小田原② 二ノ宮金次郎のカフェと壮年の金次郎像
小田原③ 海を見に
小田原④ 地元の名店だるま料理店でランチ

小田原⑤ 小田原文学館 元家主は龍馬暗殺後に一番乗りした人物