3月、友人たちと大磯に行った際、小田原にも足を延ばせれば、、、

と思いつつ結局その時間がなくなり、後日改めて訪れました。

友人の一人から、小田原文学館はもともと個人の別邸で、

かの曾禰達蔵の設計だよ、と教わったので。

 

家を建てさせた人物は陸援隊所属の田中光顕。

田中光顕と聞いて最初ピンとこなかったのだけど、坂本龍馬と中岡慎太郎の殺害現場に

真っ先に駆け付けた人、と聞いて、あああの人かぁ、と。

近江屋事件では、息がすでに耐えていた坂本と異なり、中岡の方は当初意識があり、

事情を駆け付けた人物に話していた、というのは有名な話。

そうか、最後の言葉を聞き取った人物がこの邸宅の元持ち主・田中光顕氏だったのか。

 

現在、洋館(スパニッシュスタイルとのことで鉄筋3F建て)のほうは小田原ゆかりの文学家の展示、和館(木造平屋建て)のほうは白秋童謡館として使用されています。

 

洋館・和館については、傷んだ箇所の改修は行っているものの、ほぼ当時の姿そのままです。

改修箇所は、例えば窓ガラスをUVガラスに替えるとか、2Fの寝室から外の玄関の上に出られるようになっていたものを安全上の理由で塞いだ、とか。

 

なぜ寝室から玄関上に出られるようになっていたかはガイドツアーの最中質問しそびれましたが、

田中氏は龍馬の例もあり、暗殺を非常に恐れていたといいます。

なので脱出口として設けていたのではないでしょうか。

実際、和室の方は、床の間の畳がはずれるようになっていて、

下が脱出用秘密の通路になっていました(ツアーでは畳を外して実演がありました。)

 

こちらが洋館のほう。軽やかでモダン。陸援隊の幹部のご自宅、というイメージではなく。

写真中央の玄関ポーチの上に植木鉢のようなオブジェが見えます。

そこの部分=玄関の屋根に、2Fから降りれられるようになっていたということです。

 

 

 

内部の階段は高さが低め。

というのも、田中氏がこの館を建てたのは政界から引退した後、92,3歳になってから!

氏は95歳で世を去ったということで、長寿です。

秘密通路を作るなど、用心深かったのが功を奏したのか。

ちなみにこの家を手掛けた曾禰達蔵も、家屋完成年に没しているので、

発注者も受注者も、最晩年だったわけですね。

 

庭側にはサンルームがあります。

当初はサンルームとその奥の部屋が一体化していたようですが、

いまでは展示室として区切るために、サンルームと奥の部屋は壁でセパレートになっています。

 

 

2Fのサンルーム。

大磯の吉田茂邸もしかりですが、海と山を存分にみられるように窓を大きくとっています。

 

 

スパニッシュスタイルというのが納得できるバルコニー。

 

 

展示室は撮影NGですが、展示のない部屋はOKとのこと。

 

 

 

洋館+洋風庭園、和館+和風庭園の組み合わせで配置。

和館は、この木の向こう、奥側になります。

 

 

 

 

北原白秋関連の展示が充実している和風別館。

洋風本館よりも先に建てられたようで、こちらの設計者は未確認。

 

 

庭ももちろん和風。

 

 

 

敷地内には北村透谷碑、白秋童謡碑、北条秀司碑、尾崎一雄邸の書斎部分移築などがあります。

文学館に行って、展示の話より建造物の話に偏りましたが、

改めて後日展示内容にも触れられたらと思います。

 

ちなみに展示室には坂口安吾のコーナーがあり死亡通知なども置かれていました。

あれ?安吾の自宅は大田区蒲田じゃなかったっけ?

代用教員をしていた代沢小学校に大田区から移設された安吾宅の門柱があるのを見かけましたから=>ブログ

なるほど、蒲田に移る前に住んでいたのが小田原だったわけですね。