友人と行った大磯散策話の続きを。
吉田茂、大隈重信、陸奥宗光、西園寺公望らが邸宅や別荘を構えた大磯の地には
三井家もまた別荘を構えていました。
その名も城山荘。
残念ながら取り壊されてしまったものの、跡地の大磯城山公園に資料館があり、
当時の様子を偲ぶことができます。
当時の写真↓発注者は、北三井家10代当主、三井(八郎右衛門)高棟です。
初代の建物は関東大震災で被害を受け、再建着手は昭和8年(1933)夏のこと。
設計担当は、高棟の息子・高公の知り合いで、木造耐震建築の研究をしていた久米権九郎氏。
ユニークなことに、奈良や京都の寺院や神社から古材を集め利用したそうです。
ちなみに久米権九郎氏は、今も工事現場でその名を見かける久米設計の創業者。
義兄は東急電鉄創業者・五島慶太氏。
その名を聞くと、やはり思い浮かべるのは五島プラネタリウムかな。
ただいま日経新聞「私の履歴書」が東急会長・野本弘文氏をフィーチャーしているので、
五島氏の名前も何度か出てきます。
野本弘文氏の「私の履歴書」は、長年本流でない部署に配属されながらも
トップにのし上がった人のサクセスストーリー。
這い上がり人生とか、苦境をどう脱出したかという話は面白いけど、
難点は他人との交流がほとんどない点。
全部ひとりでやりました、という流れ。
面白いほど固有名詞が出てこない。
過去における賛同者や協力者、謝辞を述べるべき相手がゼロではないでしょうに。
池辺晋一郎さんの回が交流関係オンパレードだったのとは対照的。
職種が違うとはいえ、トップに立つ人にしては記す名があってしかるべき、
と思ってしまいます。
ー脱線終わり。
城山荘軸組模型
建て替えられた城山荘もすでに取り壊されてしまったものの、
城山荘本館広間吹抜上部の装飾のみ一部部材が保存され、資料館に置かれています。
こちらもまた奈良や京都の寺院や神社から集めた古材を利用しています。
資料館の外見も、当時の城山荘をほうふつとするようなフォルム。
粋な計らいです。
なかなか広い公園で、野草園などもあります。
お茶室もあり、その話も含めようと思ったものの、今日は時間がないので
またの機会に~。
大磯'24/春① 吉田茂銅像比較 大磯vs北の丸公園
大磯'24/春② ランチと隈研吾さんの四阿がある明治記念大磯邸園
大磯'24/春③ 三井家の別荘・城山荘
大磯'24/春④ 新島襄終焉の地と「ミス・ターゲット」ロケ地