こちら、今年2月のブログに貼り付けた北の丸公園にある吉田茂像。

 

 

銅像の説明が裏側にあり、大御所彫刻家・舟越保武さん作と知りました。

 

 

洋服は最低限の皴表現で、単純化されているものの、

顔の表情の再現性が高いのが印象的。

さすが舟越さん。

 

 

吉田茂というと、もう少し厳しい表情が浮かぶけれど、

とびきり柔和な瞬間をとらえた銅像。

(この角度だと中曽根元首相にも似ている?)

これまでに見た写真を思い起こしつつ、ここまで優し気な表情をしたものがあったかな?

と考えてみたところーー

 

 

 

お気に入りの葉巻を手にしたこちらの写真がとびきりご満悦風。

銅像の柔らかい表情ともまたちょっと違うけど。

(「科捜研の女」の所長風?!)

こちらの写真は、先日大磯の吉田茂邸で見つけたもの。

(旧吉田茂邸=公開決定前に火事で焼失。復元されたものが公開されています。)

 

 

 

その大磯の旧邸にも吉田茂像があります。↓

こちらは手跡が残っているのでは?と思えるような粗いタッチの作風。

作者はわかりません。

(そしてこちらの像はちゃんとメガネをしています。)

 

 

 

この銅像、講和条約締結の地、サンフランシスコを向いています。

海を見渡して、ロケーションは最高!

 

 

 

こちらは北の丸公園の像とは異なり和装ですがーー

 

 

実際ご自宅では和装が多かったのでしょうね。

 

 

なお銅像は、あともう一か所、高知龍馬空港にもあるそうです。

 

 

大使館時代の氏の写真。↓

シルクハットがよく似合っています。

奥様も見事な着こなしで、いかにも外交官夫人。

 

 

この家系図(大磯邸似て撮影)の下には先日触れた息子の健一さんもぶら下がっています。

健一さんのごきょうだいが麻生家と婚姻関係を結び、麻生太郎さんにつながります。

 

奥様の父方のおじいさんは大久保利利通・母方のおじいさんは三島通庸!

 

 

 

三島通庸といえば、山形県令時代、土木工事を推進したことで知られ、

初代山形県庁舎も三島の指揮下で作られました。

火事で現存していないけれど、二代目県庁が一般公開されています。

その名も文翔館。

こちらには、初代県庁舎を描いた高橋由一の油絵の複製があります。

 

壁にかかっていた複製:

 

 

三島通庸の名前が見られます。

 

 

おととしの山形旅行から文翔館:

 

 

ちなみに大磯の吉田邸には写真立てが数多く置かれているものの、

ふと気が付けば、最初の奥様逝去後に娶った元芸者で長年の愛人だった

小りん(坂本喜代)さんの写真は1枚もありませんでした。

一般公開するにあたり採用されなかったのかな?

ご家族のご意向なのか、不明です。

 

最後に白洲次郎さん。

つくづくダンディだわ~。

 

 


大磯1 吉田茂銅像比較 大磯vs北の丸公園
大磯2 ランチと隈研吾さんの四阿がある明治記念大磯邸園
大磯3 三井家の別荘・城山荘
大磯4 新島襄終焉の地と「ミス・ターゲット」ロケ地