アーティゾン美術館「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」展の話は
もうこの辺で切り上げよう、そう思っていたのですが、
アトリエで制作する高村光太郎のドキュメンタリー映画について、
少し書きたくなっちゃいました。
下はその映画のワンカット(*今回、映画の写真撮影はOKです)。
現在十和田湖畔にある「乙女の像」を作っているところです。
(顔が白い布で覆われていて、ちょっと犬神家の一族を思い出してしまいますが。)
この像はいつ完成したのかな、と帰宅後何気なく調べていたら、
1953年落成とのこと。
すでに記したとおり、石橋幹一郎氏が芸術家のドキュメンタリー映画制作を開始したのが
まさに1953年。
さらに高村光太郎氏が亡くなったのは、1956年。
本作品は、氏の最後の作品だったことがわかりました。
もし幹一郎氏が映画制作を始めるのが1年遅く1954年だったら、
高村氏の制作風景を残すことはできなかったのだなぁ。
この映画でもっとも印象深いのは、高村の「手」へのこだわり。
像の高さは2m少々らしいので、高村は彫像の手が目の前にくるように
像よりも低い位置に立ち、作業を行っているようです。
高村光太郎は、有名な「手」というブロンズ像も残しています。
手に対する執着は、もしかしたらそのころからでしょうか?
今回、この映像作品が流れるスクリーンのそばには、「手」の彫刻が展示されています。
写真を撮らなかったみたいなので、去年東京国立近代美術館で撮影した同作品を
以下に掲載:
アトリエには小ぶりの試作品が複数置かれているのがわかります。
こうして最晩年の作品「乙女の像」ができあがりました。
モデルは智恵子だといわれています。
「智恵子抄」を読んだのは中学生ぐらいでしょうか。
なかなか鮮烈でした。
なので光太郎というと、私の中では彫刻家というより詩人のイメージのほうが
長らく強かったです。
できあがったこの指先、こうしてみると、今にも手と手が触れあいそうで、
まさにこの形しかない、というところまで高村が極めていった様子がうかがわれます。
ブロンズだけど、このぬくもり感、人肌感、素晴らしいです。
亡くなる3年前にしてこの労作。
最後まで精力的に制作活動を行ったのですね。
展示室内にはこの美術家映画シリーズのパンフレットもありました。
以下、高村の映画内容紹介文抜粋:
- 「岩手の山村での独居自炊の生活から映画は始まり、、」
続いて「手」など代表作4作が紹介される様子に触れ、
- 「そして再び制作への生活に戻った高村さんは、七尺もある大作の仕事を始めました。十和田湖畔に建つ裸婦像の記念像であります。その大作の小さな一本の指を形作り、打ち込む姿は、迫力のこもった様子であります。やがて完成したその像が、静かな十和田湖畔にそびえているシーンで終わります。生活と詩情とを追った記録映画です。」
父・高村光雲は1934年没なので、むろん旧ブリヂストン美術館制作の映画シリーズには
含まれていません。
光雲の方は木彫家。父と息子とでは、制作風景は大きく異なったことでしょう。
それぞれの制作風景の違いなども見てみたかった気がします。
そのほか梅原龍三郎編などには、家族と過ごす様子なども映り込んでいます。
が、とにかく驚くべきは、アトリエ内での撮影が許可されていること。
アトリエで邪魔されるのを極端に嫌い、土門拳との応戦や、土門を睨みつけている写真は有名です。
かたや、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン)は作品の買い上げで芸術家を庇護して
きたわけで、その一族である石橋幹一郎氏の依頼だったから快諾したのでしょうか?
あるいは、この映画に選ばれることが、一流の証でもあった、そんな背景も一因だった?
土門拳の写真がすでに世に出た後で、なし崩し的にOKした?
それとも70歳ぐらいになり、少し丸くなっていた?
パンフレットにも、アトリエを普段人に見せない梅原の貴重な映像、と誇らしげに
書かれています。
アーティゾン美術館’23/秋① 創造の現場―映画と写真による芸術家の記録
アーティゾン美術館’23/秋④ 高村光太郎最後の作品「乙女の像」制作風景