アーティゾン美術館で開催中の「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」は
見ごたえがありました。
制作当時第一線で活躍していた芸術家たちのショート映画の数々の上映+
当該作家たちの作品展示です。
映画はブリヂストン美術館(旧アーティゾン美術館)がオープンした翌年の
1953年から11年間ほど撮りためたもので、ひとつひとつは短いながらも、
体裁を見る限り、手元資料としてではなく、一般上映を念頭に作られています。
この映画、制作の提唱者は、ブリヂストン美術館の創始者(ブリヂストンタイヤの創始者というべき?)石橋正二郎氏の長男・幹一郎氏でした。
51年に欧州へ行き、フランスでピカソの短編紹介映画を見たのだそう。
そこには画家の紹介のみならずアトリエの様子も映り込んでいて、
ああ、これは鑑賞の助けになると思い、みずから企画したようです。
制作された映画の本数は計17本で、61人の芸術家をカバー。
一人の芸術家のアトリエをじっくり訪問する長めのフィルムと、
複数の芸術家をまとめて紹介するシリーズの2種類です。
本美術館が所蔵している作品の作者だけでなく、巨匠とみなされた人々や
画家のほか彫刻、中金、ガラス、漆芸従事者なども取材しています。
全17本中、実は1本だけは紛失。残りの16本全部が公開/館内上映されています。
紛失とは残念!と思いきや、ダメージは最低限ともいえます。というのも--
なくなった1本は画家・坂本繁二郎のアトリエ訪問記(カラー版)。
たまたまこの坂本繁二郎だけは2つの映像が制作されており、モノクロ版の
ショートドキュメントの方は見ることができるのです。
石橋正二郎といえば、やはり馬の画家・坂本繁二郎との交流が有名。
だから坂本ひとりだけ2種類のフィルムが作られたのでしょう。
同美術館のギャラリートークを聞いたことのある人なら耳ダコだでしょうが、
石橋正二郎の美術の先生が坂本繁二郎で、その坂本の勧めで石橋は、
後に価値が上がる青木繁の作品の購入にいたります。
つまり本美術館にとって坂本繁二郎と青木繁の作品は特別な感じなのです。
ショートフィルムとはいえ、この映画制作にかかわった方たちは、なかなかの顔ぶれです。
日本映画近代化の立役者ヘンリー小谷の甥で記録映画プロデューサーの高場隆史;
抽象画家の小谷博貞;
青木繁の一人息子で尺八奏者の福田蘭童!
この福田蘭童という方、奥様は女優さんで、その長男は石橋エータロー=ハナ肇とクレージーキャッツメンバーのピアニスト。
石橋というのは母方の姓みたいです。
(ちなみに福田蘭童のWIKIは、、、ちょっと不穏です。)
そのほか、一部の映画の監修に木村荘八が参加していたり。
時代を象徴する芸術家たちをカバーする本映画シリーズですが、
安井曾太郎 、小林古径らは含まれておらず。
映画制作期間中の50年代になくなってしまったせいでしょう。
横山大観のフィルムはありますが、最晩年、周囲の人に支えられる姿が少し映るものの、
制作風景はなし。
あとは亡くなったあとの人気のないアトリエと、仏像が映ります。
大観が大切にしていた象徴的な仏像。
平安時代の仏像で重要文化財。映り込みには意味があります。
主なきアトリエ。映画から。
ごく一部の絵画作品は撮影禁止ですが、映画作品には写真撮影禁止マークはありません。
ラストシーン。
メインビジュアル。
これは↓梅原龍三郎のフィルムメーキングだと思われます。
土門拳が梅原の写真を撮影したときには、邪魔をされるのを嫌う梅原が
すごい形相でカメラをにらんでいますが、このフィルム撮影には協力的でした。
やっぱり一写真家が押し掛けるのとは違い、芸術家をバックアップする石橋正二郎の
息がかかったイベントとなると、対応も違うのだろうな、と思いました。
さらに、これまで訪れたことのある画家のアトリエが映画に登場。
画家本人が実際にそのアトリエを使いこなす様子を見ることができ、
なかなか感激でした。
今年私が訪れた山口蓬春のアトリエ:
5年ぐらい前の鏑木清方の旧居。
大田区にある川端龍子のアトリエ(大型の絵を描く人だけあって、広かった!)
鏑木清方編について書こうと思ったけど、長くなったのでこのへんで。
アーティゾン美術館’23/秋① 創造の現場―映画と写真による芸術家の記録
アーティゾン美術館’23/秋④ 高村光太郎最後の作品「乙女の像」制作風景