熱海・起雲閣見学はまだまだ続きます。

 

記述通り、起雲閣の最初の施工主は、内田信也氏

(Wikiによると、山下亀三郎、勝田銀次郎と並ぶ三大船成金の一人)。

その後さまざまな人の手にわたり増改築が重ねられました。


以下の和室は、建設当初、内田氏が1919年に完成させたオリジナルの別邸の一部です。

ここはその後移設され、旅館の一部に組み込まれ、有名人たちに愛されたことで知られます。
 

 

 

そしてこの部屋に、珍しいものが置かれていました。

テレビでもチラリ見たことがある封じ手のコピー。

 

1992年12月に将棋の谷川浩司竜王、羽生善治王座による

「第五期竜王戦」がここで行われたと知りました。

 

 

 

封じ手、つまり、対局が翌日にもつれ込んだ場合、翌日の一手を記したもの。

先手の人がどう駒を動かすかを記して封印。

この場合、銀が赤丸で囲まれ、矢印が引かれています。

翌朝一番で、あの場所に銀の駒を移動するわけですね。

 

 

 

内田氏は、船成金とか呼ばれていたようですが、好みは華美ではないようで。

わりと堅実な気質がうかがえます。

そんななか、電灯が少しハイカラな大正時代を感じさせます。

もしこれが、オリジナルあるいはそれを模したものだとすればの話ですが。

 

後世、ここが旅館にコンバートされた時代には、

舟橋聖一がこの部屋を気に入り「芸者小夏」、「雪夫人絵図」を執筆。
武田泰淳は「貴族の階段」をこの部屋で執筆したといわれます。
 


 

 

部屋は10畳+8畳から成り、そのまわりを畳廊下が取り囲んでいるのが目を引きます。

畳廊下の端から端まで貫く天井部分の木材は10m余り。壮観なり
改築により、これまで2度も曳家による移動を強いられたものの、それに耐えた頑丈な建物です。

 

 

 

さて、昨日書いたサンルームには、すでに記したとおり玉渓谷という続きの間があります。

 

 

 

アールデコのサンルーム、折衷様式の玉姫に対し、こちらは山小屋、あるいは山荘風。

 

 

 

暖炉の右には、私の大好物のステンドグラス。

 

 

 

これも色使い的に、小笠原伯爵邸の小川三知作のステンドグラスを想起させます。

 

 


暖炉脇の古い円柱は、古寺か神社の柱、あるいは江戸時代の千石舟の帆柱ともいわれているそう。
施主・内田氏は船会社を興した人なので帆柱説を採用したいところだけど、

この部屋は後の家主・根津嘉一郎氏によって後から作られた部分なので何とも言えません。

ただ、なんとも味わい深い柱です。

 

 

 

床は寄せ木造りだけど、玉姫ともまた柄が違って、

斜めのシャープな線が効いています。

 

 

廊下側の入り口頭上には竹が使われています。

余り気づきにくいところにもこんな遊び心。

3部屋とも様式がそれぞれバラバラで個性的。

 

 

まだまだ部屋はありますがそれは次回に。

飽きてくる前にそろそろ「巻き」モードにしなくちゃ。

次回で最終回にできるかな?

 

 

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