昨年12月、国立劇場オープンシアターで彫刻家・平櫛田中作の「鏡獅子」を見たあと、
小平市平櫛田中彫刻美術館のことをブログに書きかけて、そのままになっていました。
おとといのブログで平櫛作・岡倉天心の彫像に触れたのを機に、
小平市平櫛田中彫刻美術館完結編を記すことに。
平櫛田中の作品は、母校藝大の美術館の企画展などで多くを目にすることができるけれど、
東京国立博物館にも小作ながら優品があります。
日本画・万博関連工芸品の展示室で時折見ることができる「木によりて」。↓
やや達観したかのような笑みを浮かべるこの人間表現があまりにリアルで
ちょっと身震いしてしまいそう。
通り過ぎようとして、まるで呼び止められたかのように足を止めざるを得なかった
作品です。
(トーハクにはほかに平櫛作・「森の仙人」もあるけれど、こちらは展示頻度が
やや低い気がします。)
その平櫛田中の美術館が小平にあります。
小平市平櫛田中彫刻美術館。
こちらはもともと自宅として建てられ、あとからアトリエ機能も追加されたようです。
吉田五十八の建築だとばかり思っていたら、
(吉田は河合玉堂を始め、芸術家のアトリエを多く手がけていたので)
さにあらず。大江宏でした。
以前ブログに書いた角館のイスラムっぽい角館平福記念美術館や乃木神社、
三渓園内の記念館の設計者でもあります。
以下平櫛田中彫刻美術館の案内より:
建築家大江宏と出会い、大江建築の流れるような勾配の屋根を愛した平櫛田中は、作品を収める厨子などを大江に依頼するようになりました。そして以前より隠遁の地として購入していた小平後に建築する邸宅の設計を依頼しました。
この邸宅は1969年の正月明けに完成。当時平櫛は数え年で98歳であったことから、この邸宅を九十八叟院と名付けました。(叟=翁の意)
そして107歳で亡くなるまでの10年間をこの邸宅で暮らしました。当初邸宅には彫刻制作のためのアトリエはありませんでしたが、移り住んだ後にアトリエを増築し、そのアトリエで制作されたのが「五十鈴老母」でした。
下の写真は、左から大江宏、平櫛田中、地唱舞の武原はん。
大江建築の流れるような勾配の屋根
・・・このあたりかな?
展示室は写真撮影NGだけど、建屋はOKでした。
ちなみに、上記で触れた建築家・吉田五十八が手掛けた画家のアトリエとしては
河合玉堂の青梅のアトリエのほかに梅原龍三郎のアトリエもあります。
場所は牛込。いまは立派なマンションになっています(本体は清春芸術村に移築)。
青梅に移る前の河合玉堂や鏑木清方、変わったところではフランス人版画家ノエル・ヌエットも
一時牛込に住んでいました。
庭には巨大キノコのようなクスノキがあります。
木彫家なので、木の調達は欠かせません。
再び館内の説明から:
この木は平櫛田中が100歳のときに彫刻の材料として購入したクスノキです。
そのころ、庭の一画には向こう20年間は創作活動を続けられるだけの原木が感想のために寝かせてありました。
田中はこれらの原木で、日本画家の横山大観や地唱舞の武原はんの肖像などを制作する予定だったといいます。
推定500年、直径1.9メートル、重さ5.5トン、
彫刻「鏡獅子」など、あれほどのボリュームの彫刻を作る際には
”木の品定め”などが重要な一工程になるのでしょうね。
アットホームな館内には「鏡獅子」(最終作品は国立劇場蔵)の習作が複数ありました。
やはり相当力を入れた作品だったんだなぁと実感しました。
河合玉堂の青梅のアトリエとかけもちで訪れたので、時間があまりなかったのが残念。
またいつかゆっくりのんびり訪れたいものです。
p.s.
国立劇場といえば、設計者の入札が不発に終わり、現時点で改築計画が成立していないと
Webニュースに出ていました。
壊すことだけ決まっているけど、予算面で折り合いがつかず、入札参加者全員が自体、、
国立の建物なので、要件要求だけは多いのに予算がシビア、そんなところかな?
大江宏関連: