私たちは「美談」に逃げ込んでしまう
「育ててくれてありがとう」
大人になって、いろいろな葛藤を乗り越えた末に、親に感謝を伝えて和解する……。世間ではよく、そんなエピソードが「感動の美談」として語られます。
でも、心理カウンセリングの現場や、人間の心の奥底を深く見つめていくと、この「美しい和解」の裏に、まったく別の苦しい本音が隠されていることがあります。
それは、「過去の虐待や理不尽を、なかったことにする(美化する)ことで、自分を守っている」という心理です。
かつて家族の中で、親の不機嫌や歪みを一人で背負う「生け贄(スケープゴート)」の役割をさせられてきた人ほど、大人になってからも、その役割を完璧に全うしようとしてしまいます。
「私がすべてを許して、感謝すれば、この家族は丸く収まる」と
自ら泥をかぶりに行ってしまうのです。
なぜ、私たちはそこまでして、
自分を傷つけた親を「良い親だった」と
美化し、許そうとしてしまうのでしょうか?
理由は、とてもシンプルです。
本当の意味で「親を客観視する」ことが、身を切られるほど怖いからです。
「親の客観視」という名の、過酷な通過儀礼
親という存在を「神の座」から引きずりおろし、一人の未熟で、欠陥だらけの、ただの人間として冷徹に見つめ直すこと。
それが「親の客観視」です。
これをやろうとすると、私たちは人生で最大級の、猛烈な怒りと深い絶望のトンネルに放り込まれることになります。
いわば「愛の破産宣告」を受け入れる作業です。
「私の親は、本当に未熟で、幼かった私を自分の感情のはけ口にした哀れな人間だった」
「そして、私は一生、あの親から欲しかった形の愛をもらえることはないんだ」
この決定的な絶望を認めることは、心を引き裂かれるほど残酷な体験です。
「いつか分かってくれるはず」
「本当は愛されていたはず」という
微かな希望を、自分の手で完全に
葬り去らなければならないからです。
このトンネルがあまりにも暗く
痛いことが無意識に分かっているからこそ
私たちは過去を振り返るのが怖くなります。
だったら、手っ取り早く
「色々あったけど感謝してる」という
桃源郷へエスケープして、
心に強固な蓋をしてしまった方が、
ずっとラクな気がしてしまうのです。
絶望は、インナーチャイルドを救うための「正当なプロセス」
いま、過去を振り返るのが怖くて立ち止まっているあなたへ。
その恐怖は、あって当然のものです。
あなたは何も悪くありません。
それほど大きな痛みを予期しているからこそ、心があなたを守ろうとして防衛機制を働かせているのです。
ですが、知っておいてほしいことがあります。
親を美化して「ありがとう」と
微笑んでいるとき、
あなたの内なる子ども
(インナーチャイルド)は、
「大人のあなた」にすら裏切られ、
美しい言葉で口封じをされて、
暗闇に置き去りにされたまま泣いています。
「愛の破産宣告」を受け入れることは、親を見捨てることではありません。
「もう、これ以上あいつらのために、私の大切な人生のエネルギーを1円も支払わない」と決めることです。
親への期待を完全に諦め、
絶望し、大号泣したあと、
心の底から「猛烈な怒り」が湧き出てきます。
その怒りこそが、あなたが自分の尊厳を取り戻すための聖なるエネルギーです。
奴隷解放宣言のその先へ
日本の社会には「親を美化する風潮」が根強くあります。
「親を許せないお前が未熟だ」と
いう冷たい言葉が飛んでくることもあります。
でも、世間のファンタジーに
付き合う必要は一切ありません。
「私の親は、ただの歪んだ大人だった。私とは別の生き物だ」
そう冷ややかに納得できたとき、
あなたは家族の「生け贄の祭壇」から、
本当の意味で降りることができます。
それは、果てしない絶望の先にしか
見つからない、圧倒的な「静けさと自由」の始まり。
あなたの人生が、名実ともに「あなたのもの」になる、
奴隷解放宣言の瞬間なのです。
心が痛すぎるときは、一度に振り返らなくて大丈夫。
少しずつ、安全な場所で、自分の味方になってあげましょう。
★今日は真実を暴露し過ぎたかもしれません
でもゆっくりと自分のペースで取り戻すことも出来ます
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