死ぬために生まれているわけじゃない | アロマ&心理カウンセリング 心とからだのセルフケア @東京 調布

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心とからだの健康はセルフケアから。セルフ・カウンセリング、AEAJアロマテラピーアドバイザー・アロマハンドセラピスト資格認定教室 アロマシオン主宰
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一般に「頭の良い子」ってなんですかね?
AEAJ認定教室 調布アロマシオン主宰、アロマテラピー研究室でも活動し、
web制作もしてる島田さつきです。

 

    

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何年か前に書いたブログネタが発掘されたので記します。

 

 

解だけを求める思考

「頭の良い子」とは、学業成績だけのことではない。
このことは、近年では理屈として理解されているだろうと思います。

物事の理解は五感を持って成されるから定着する。

と次の記事では身体感覚について述べられています。

 

「小さい頃の身体感覚というのが、物事をはっきり理解するという感覚や、学習へのモチベーション、行動力にも深く結びついてくる」

 

 

私たちは、教育によってそれを刷り込まれている

よく、人間は最後は死んでしまうのになぜ生きるの?
みたいな問いをする人がいます。

子どもから大人になる中二病的思考ですけれど、
子どもの時に一度はこういった哲学的な問いを持つことがあると思うんですね。

でも、なぜそういう問いになるのか?

その下地は、私たちが受けている「教育」が根底にあると思うんです。

もう80年位前の話ですが、敗戦した日本の人々は、復興を遂げようと死に物狂いで働きます。これが高度成長期に繋がります。
 

その前の時代の人々は、明治や大正生まれで字が読めない人がゴロゴロいました。
読み書きできないのは、貧しくて学べない教育の問題でした。
また、女子に教育は要らない…と学校に行かせてもらえなかった人もいます。
カタカナは読めても、ひらがな、漢字は読めないとかね。

戦後の大人たちは、復興に尽力しましたが、その後の世代は教育が大事だと考えました。

ちょっと面白いのは、1960~70年代にオープンリールで録音した母とその姉妹の会話の中に、「教育ママ」の話題が入ってたこと。「これからの日本には、教育とか学歴とかが大切だ」という流行がきていたとわかります。

 

 

まともな教育を受ければ、どんな仕事にも就ける

良い学校に行けば、良い会社に入れる。

"良い"とは、学校で言えば成績のレベルが高いこと。
勤め先でいえば、給与が高く、安定していることなどがあげられます。

高度成長期は、会社でがむしゃらに働けば、お給料が上がって生活レベルは豊かになりました。
冷蔵庫、洗濯機、テレビ…これらのある家は裕福でした。
現代風な豊かな暮らしぶりは、米国の映画やドラマなどで多くの人に知られました。
その憧れが、いわば馬のにんじんでした。

つまり、「モノが充実して住環境が豊かになること」これが幸福度のモノサシだったのです。

戦時中、おかずもなく、水増しして膨らませたおかゆ汁のような米しか食べられない、いえ、米すら食べられず、イモのつるを食べていたような時代を過ごした人々にとって、モノがあることは幸福でしかありませんよね。

目的は、モノが買えるお金のある暮らしでした。
そのためには、給与の良い会社に入ることが必須だったわけです。
すると、必然的にレベルの高い学校がついて回ります。

昔は「学閥」という、同じ学校の出身者によって作られる派閥があり、就職先でその派閥争いがあり、学閥に属していない社員は、出世できないことが平気でありました。

なので、いわゆる「良い学校」へ行くことは必須だったわけです。

学校の本来の目的は、知識を身につける学習であるにも関わらずです。

とにかくどんな手段を講じてでも、良い学校に行けばいいわけですね。
すると学習自体が、学校に受かることを目的としたものになっていきます。

そうやって半世紀ほど前に、塾が過熱して「受験戦争」という言葉が生まれます。
しかし、この勉強法は、根本的な知識の源には定着しなかったのです。

先日、TVでちょうどその弊害を目にしました。
数学が得意(博士号持ってるとか)の芸能人が、クイズ番組で算数の問題を解けなかったというシーンです。

6人で12日かかる仕事。

同じ仕事を9人で作業したら、何日かかる?

という問題。
その解答に「18日」と答えた。

「ちょっと落ち着いてやってくださいよ。

何で6人で12日なのに、9人で(日数が)増えるんですか」と司会者。

答えは、"8日"ですが、数式に当てはめて出た回答を、これっぽちも疑わないのです。

これは、思い込みでもあるわけですが、現実の目で見れば明らかに「おかしい」ことなのに、その目を養うことができていないわけです。

答えを導く過程で思考するのではなく、答えだけを出す暗記型思考によってその「おかしさ」に気づくことができない。

順序通り、道筋通りに、マニュアル通りにやっていけば「良い」という指標です。

学校に合格さえすれば良い会社に勤められる。
良い会社に行けば、幸福だ。

と良い学校に行けたところまでは良かったものの、その後、何を学ぶかの目的がなく挫折する人。
また、良い会社に行ったはいいが、どう働けば良いのか見いだせず挫折する人が後を絶たなかったのです。

この現象は、数は減ったものの現代でもあると思います。

人間は死んでしまうのになぜ生きるのか?

そんな愚門に答えられない大人たちがたくさんいるのも問題です。
答えられないのは、結果だけを目的に思考する教育に毒されているからだと、

私はそう思うのです。

 

人は死ぬために生まれているわけではない。

そんな当たり前の答えを導きだせない。
考えに到達できない深いふかい洗脳のせいではないのか?
と、同じことばかり繰り返してますが、私の思っていることはいつもここです。

 

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