ただ" “見る” こと そこにあるのは愛だったんだね | アロマ&心理カウンセリング 心とからだのセルフケア @東京 調布

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心とからだの健康はセルフケアから。セルフ・カウンセリング、AEAJアロマテラピーアドバイザー・アロマハンドセラピスト資格認定教室 アロマシオン主宰
セラピストのためのweb制作も承ります。アロマ、カウンセリング、自然療法、Web制作のこと語ります

さつきなのに1月生まれ。

アロマ&カウンセリング 心とからだのセルフ・ケアをあなたに、アロマシオンの島田さつきです。

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55GoGoになりました。

私の予測だと、標準生活残存寿命もあと10年しかありません。

60才でガタンときて、その後は懸命にケアしないと体力も脳力ももたない計算だからです。

30代の頃から、そんな風に思っていたので、私と遊んでくれる方は今のうちに(笑)

 

昨年、久々に旧知の友と会いました。

友を見ながら近況を話しているうちに、
<あぁ…久々だなぁ、会えて(共に生きてて)良かったな…>

と、次の瞬間に「これがなんだ」ってわかったのです。

 

ただ、相手の目を見ながらうんうんうなずいたり、笑ったり。

そんな些細なコミュニケーションに「」を見出したというお話。

 

子育て最中のお母さんの相談の中で、反抗期で悩んでいるとか、

不登校になったとか、不適切行為に走ったとか…

そういう話をよくよく聞いてみると

子どもを見ていない”ということが多々あります。

 

他の子どもに手がかかっていて…

仕事も家事も忙しすぎて子どもをみるヒマがなくて…

夫婦関係がこじれていて子どもにまで気が回らなくて…

そこには何かしらの理由がありますが、

「見ていない」というのは、「相手にしていない」状態です。

 

子どもが「ねえねえ…●●が▲▲で…」などと話を聞いてもらおうとしているとき、

お母さんが忙しかったり、他の事に気を取られていると子どもを見ていません。

 

例えば、スーパーで買い物をしている最中などでもそうです。

早く買い物を済ませたいとか、献立を考えているとか、買い忘れが無いかとか、

他の事が優先だと、子どもはその瞬間、お母さんの意識の中に「無い」のです。

 

定年退職した夫が、昼間、TVを見ている妻に話しかけたのに、

TVに夢中で生返事されてムッとした、なんていうのも相手にしていない状態ですね。

 

そんなの誰にでもあるし、あたりまえじゃない?

そうかもしれません。

 

子どもは特にこの「蔑ろ(無いが代)にされる」状態を素早く察知しています。

ないがしろとは、そこに存在するのに無い扱いをすることです。

 

人間は、他の人から存在を確認されて初めて自分の存在を認めます。

本来は自分がそこに在るのは生きていれば当たり前なことですが、

社会性の高い動物は、他者から認められることで自己の存在価値をはかります。

これは、近年、世間に浸透してきたいわゆる承認欲求のことです。

 

ですから、返事をしなかったり、無視したりという居ない者扱いは、

アイデンティティの揺らぎを生むのです。

 

他者とコミュニケーションをとる、いわゆる相手にしている時は、

大抵の人は、言葉でうんうんとあいづちを打ったり、その人を見たりします。

 

お店で買い物をしている時でさえ、こちらが呼んだりして、

店員が何のリアクションもしないと、えっ?と思ったり、ムッとしたりしませんか?

相手にされていない感があり、ないがしろにされているからですよね。

つまり「お客なのに大切に扱われていない」感じです。

 

究極的には「自分は粗末に扱われる、価値の無い、この世に居なくてもよい存在」

といった思考を生みます。

 

さて、では相手にしている段階とは、具体的にどんな感じでしょう。

ハグやボディタッチという身体動作は、相手とのコミュニケーションが濃く、それでいて「あなたに敵意が無い」と示すわかりやすいものでしょう。

会話によるやり取りは、ハグなどのコミュニケーションとは異なり、頭の中での意識のやり取りになります。(ここでは、言語能力が必要になってきます。)

また、身体動作でも、手を振るとか、拒絶する表現などのコミュニケーションがあります。

言語でも、優しい言い方、ぶっきらぼうな言い方など、その言葉の抑揚で意味が変わってきます。

 

では、身体動作が取れない場合はどうでしょう?

四肢などが不自由だったり、自分の思った通りに動かせないとか。

会話ができなかったらどうでしょう?

そもそもその国の言葉を知らないとか、身体の都合で言葉が使えないとか。

表情さえ自分の思ったように作れなかったら?

 

どうやって他者とコミュニケーションをとるのでしょう?

 

 

 

 

ただ見るだけ

 

赤ん坊が生まれてはじめてとるコミュニケーションは泣き叫ぶこと。

そして、身体も言葉も自由に操れない赤ん坊がとる、最もシンプルなコミュニケーションとは、

見ることです。

 

注目する。注視する。

見る、診る、看る、観る…全て手にすることです。

 

私が友人を見て、友人が私を見て話を聞いている。

私の姿、私の言葉、私の動作、抑揚…私が放つ全てを友人が受け止めて、

目(eye)を介して脳の中に入れ込んでいる…

関心を寄せ、見るに値する存在だという証です。

 

これが最もシンプルで、わかりやすく、それだけで十分な情表現なのだということ。

 

好きの反対は、「嫌い」ではなく無関心。無視、存在しないものとして扱うことです。

(愛憎という言葉があるように、嫌いなことでさえ、そこには屈折した愛が存在します)

 

「私は、色々なことをしてあげるのに、恋人は何もしてくれない」

ときどき、こういう人がいます。恩を返してくれないと嘆く人です。

行った行為に対して何かしてくれる、モノをくれるなどの代償や、

相手からの感謝の言葉が愛情だと思い込んでいる人です。

それは、感謝されれば嬉しいことです。

 

けれど、相手がじっくりと、しっかりと、みていることが既に愛だとすると、

相手はもう充分に返している、愛情を注いでいるということなのです。

 

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