こんにちは


「戦う男のストレスをアロマで癒す専門家」
【ミスターアロマ】の星野知子です。


「ご縁」って本当に不思議だと
思います。


すごくご近所に住んでいても
あまり「ご縁」がないと

それこそ
生きている間に
1度も関わらずじまい。

そんな方も
いらっしゃるのに。



「ご縁」がある方とは

どんなに離れていても
接点がなさそうにみえても


不思議と出会い
関わるように
なっていますよね。




一瞬関わって
たった1つだけその方から
何かを学んで

すぐ
離れてしまう

そんな「ご縁」
もあれば


出会ったその日から
ずーーっと
そばにいるのが
当たり前になる。

そんな「ご縁」もあり


ある一定の期間だけ
濃密なお付き合いをし
いろんな学びをいただき


その「学び」が終わった段階で
自然と距離ができる
「ご縁」などなど


「ご縁」にも
色々あると思います。




主人とも
前世からの「ご縁」で
出会ったみたいです。



アロマと私を
出会わせてくれた友人も

今は年に1度くらいしか
お会いしませんが

とても
キーパーソン的な
「ご縁」のある方だったと思います。



お仕事を手伝ってくれている
ひろえちゃんとも

不思議な「ご縁」で
出会えました。



時には
自分を成長させるために
現れてくれる「ご縁」も
あると思います。


傷つけられたり
迷惑をかけられたり

できたら出会いたくなかった、、


そう思うような方たちも

私の魂の成長のために
現れてくれた

有難い「ご縁」のある方だと
思います。




私に必要な「ご縁」を

生きている方だけでなく
“亡くなった方”が
繋いでくれたんだなー

そう感じることも
あります。




知り合ってから
まだ3ヶ月しか経っていませんが

とても強い
「ご縁」を感じる方が
いらっしゃいます。


今の私に
元気や愛や“必要な”学びを
与えてくださる方です。



ある友人が
“出会わせてくれた”のかなー。

そう感じている
「ご縁」です。



昨日もブログでご紹介した
元FM大阪DJの
若宮テイ子さん
との「ご縁」です。



テイ子さんを
直接ご紹介くださったのは

南女の大先輩の藤井晶子さんです。
 
※晶子さんのブログ→コチラ
 


3ヶ月前
甲南男子の
今年63歳になる皆さんの
プチ同窓会に
誘っていただき

その集まりで
初めてお会いしました。




私を含め
アラフィフ世代は
FM大阪を聴いていた人が
多いと思います。

ですので
テイ子さんのことは

お顔は存じあげませんでしたが
お声を聴くと

おおー!本物のテイ子さんだ!

とすぐわかりました。


私世代で
知らない人はいないくらい
有名な方だと思います。



ただ
ここ数年
あることがきっかけで

FM大阪を聴く機会が
なくなっていました。



写真出典


写真出典

この写真の女性
誰だかわかりますか?



テイ子さんと同じく

声は知ってても
顔は見たことない
かもしれませんね。



元FM大阪のDJ
「樹原マユミ」さん

きよぴーさんというDJの方と
日替わりで
確か
「アフタヌーンカフェ」
という番組を担当していました。


声は
聴いたことある方も
いらっしゃるかもしれません。



彼女は
甲南女子の中学高校6年間
私と
同じ「演劇部」で 

ほぼ毎日一緒に過ごした
仲間になります。







「テイ子さん
樹原マユミってご存知ですか?」

初対面の時
そうお聞きすると

テイ子さんの顔色が変わりました。



「とっても仲良しでした。」




「テイ子さん
私、マユミちゃんと
6年間演劇部で一緒だったんです。」



この「ご縁」は“偶然”じゃないな。

そう思った瞬間です。


中学1年の時

彼女と一緒に
スケートをしにいった時の
写真です。

「樹原マユミ」さんは
学生時代
あだ名が“きーやん”でした。



ずっこけてる
黄色い服の子が私で

対照的に大人っぽい服の子が
“きーやん”です。



彼女は出会った時からずっと
とても同い年とは思えないくらい

中身も外見も
“大人”でした。


1つ上の学年の先輩が
中3の時
全員やめてしまったため

彼女は
異例の高1と高2
2年続けて「演劇部部長」でした。


とにかく
しっかりしていて
“リーダーシップ”の塊のような子でした。


グリーンのドレスを着てるのが私で
私の向かって右後ろが
恋人役の彼女。


羨ましいくらい
日本人離れした
“グラマラスボディ”で

高校生ながら
こんなセクシーな“役”も
立派にこなしていました。



女子校の「演劇部」は
さながら“ヅカ”のような世界です。

※実際、演劇部の同級生が1人
宝塚歌劇団に入団なさいました。

後輩の女の子たちから
晴れ舞台の「文化祭」では
こんな風に
たくさんの花束をもらっていました。



恥ずかしくて
今ではほとんど「黒歴史」として
封印してましたが

私の中高時代
「演劇部」で過ごした時間は
かけがえのない時間です。


“きーやん”は
友達というより
かけがえのない「仲間」でした。




彼女とは
卒業してから

数年に1度
演劇部のOG会で
会うくらいでした。


FM大阪のDJになった彼女は
遠い存在になった気がしましたが

会うと
飾らない
昔どおりの“きーやん”でした。


2006年の写真。

今から12年も
前になるんですね。


ちょうどこの時は
料理好きが高じて
「フグの調理師資格を取るから」
と嬉しそうに
話してくれていました。





彼女が
ラジオの世界から姿を消したのは

ちょうどこの直後だったと
思います。




鼻の重い病気になったので
北海道で手術を受け
しばらく入院する。
お見舞いもこなくていい。



そう私たちにも連絡があり
再会したのは
2008年でした。


「手術の後遺症で
よだれがたれるかもやけど
気にせんといてー!」


そう
いつも通り
病気のことも
明るく話してくれました。

後遺症で
耳にも障害が残ったため
DJのお仕事は
続けられなくなり

ネットショップを
やりだした
と話していました。





ラジオで
彼女の声が聴けなくなってから

なんとなく私も
FM大阪を
聴くことがなくなってしまいました。






彼女の訃報を聞いたのは
2011年の確か9月



亡くなってから1ヶ月以上たち
お葬式も
密葬で終わった後でした。



まだ
彼女の死を
受け入れられない
お母様のご意向で


公にはしないでほしい。


そういわれ

私を含め
演劇部の数人と
亡くなる直前
親しくしていた数人以外

学校の同級生にも
秘密になりました。




お参りにも
来ないでほしい
そういわれ
いけませんでした。






記憶が
定かではありませんが


確か
彼女が亡くなってから
1年後くらい




「南女」の同窓会報誌に
彼女の訃報が
掲載されました。





お母様が
お亡くなりになって
お父様が
公になさったのでした。






彼女が亡くなる
ちょうど1ヶ月くらい前

私は彼女と頻繁に
連絡をとっていました。

その年の5月に
私がアロマの自宅サロンをオープンし

彼女のネットショップから
「アロマ商品」を
卸してもらったからでした。



送られてきた商品には
自筆の手紙が添えられておりました。


「トモ、本当におめでとう!
今すぐお祝いに駆けつけたいくらい
すごくすごく嬉しいです!

そしてうちの商品を扱ってくれて
本当にありがとう。

トモとアロマで繋がれて
本当に嬉しい!

実は今、ちょっと親戚が入院してて
看病とかで忙しくて
落ち着いたら必ず必ず
サロンにいかせてもらうからね。

待っててね!」








病気はすっかり
完治してると

思い込んでいました。





彼女との突然のお別れを

なかなか
受け入れられませんでした。



ずっとずっと
気になりながら

向き合えて
いませんでした。






思い出してほしかったのかも、、

会いに来てほしかったのかも、、、





テイ子さんとの出会いで
そんな気がしてきました。




この「ご縁」は
偶然じゃないと
思うのです。






近々
演劇部の仲間と

お参りに
いかせてもらおうと
思っています。



テイ子さんに
出会わせてくれたお礼も
いいたいです。




“きーやん”
待っててね。