採用支援総合サービス・アークパワー社長池邉のブログ「どうとくか」 -337ページ目

パドックより

『モノとカネの動きから蚊帳の外に

される日本』1

そんなタイトルに目が奪われた。

なになに、、、

『日本、米国、アジアなどの企業が次々と

中国で生産拠点を増やし、そこで組み立て

加工した製品が米国に輸出される。

中国に輸出代金が流れ込むが人民元の急速

な上昇を嫌う中国当局は巨額なドル買い介入

を繰り返す。その結果、中国の外貨準備は

3月末現在で1兆2千億ドルという規模に

膨れ上がった。』2

こりゃ、一昔前(80年代)の日本だわ。

『そのマネーは米国のカネ余りの元ともなり、

株式や不動産のバブルの火種となっている。』3

バブル、バブル、バブルが発生!

さあ今日も、勢いよくパドックから出走馬が

走り始めました。

『最も足の速い投資資金であるヘッジファンド

は日本株での運用から足を抜きつつある。』4

ほら、きた!!!!

『日本経済が2%程度の安定成長に戻ったこと

を政府も企業経営者も喜ぶが、世界投資資金の

目は10%成長の中国や8%成長のインドに向かい

日本などお呼びでない。』5

きた、きた、きた!!!!!!!!

『米欧では国境を越えた企業の再編が加速し、

〔・・・〕企業価値が高まることを期待して株価

が押し上げられている。』6

本日のレースも終盤、いよいよ

最終コーナーにさしかかって、、、、

『このところの米国株の上昇の半分は、業績

向上によるものではなく、再編期待によるもの

という試算もあり、錬金術の臭いもしてくる。

〔・・・〕「投資家や経営者をワクワクさせる

舞台が日本には何もない。」米国ファンド

マネジャーたちの本音である。』7

って、ギャンブルそのものだね。

まあ、当たり前なことだけど!

でもさ、、、、

なんか引っ掛るんだよね・・・

ビジネスの評価って、それだけかなって?!

まあいいや、青臭いこと言うのは!

コツコツやろう。。。


(※1~7引用:P18-19『WEDGE 7月』ウェッジ2007/06/20)


道徳教育

『道徳、どう教える』1

 

そんな新聞の見出しに目がとまった。

 

なになに、、

 

『道徳の時間が始まって50年目。「正式

な教科に」との声も出る。では、道徳の

授業で何を教えているのか。』2

 

確かに・・・

 

道徳の時間に、子供たちが何を教わって

いるのか知らない。

 

まとめた表が掲載されていたので、それを

じっくり見てみると、、、

 

道徳教育は、なにやら戦前、戦後で違うようで、

 

1872年~1945年までは、「道徳」のことを

「修身」(シュウシン)と呼び、、、

 

「孝」、「恩」、「務」、「迷」を軸に指導した。

 

要は、何を教えていたかと言えば、、、

 

「孝」 親孝行、勤勉、学問に励むこと

「恩」 恩を忘れるな

「務」 国家防衛・納税は国民の務め

「迷」 迷信に惑わされず、文明の力を信じろ

 

を教えていた。

 

 

しかし、1958年以降になってくると、

ようやく「道徳」の時間と言う呼び名になり、

 

「希」、「友」、「命」、「論」を軸とした指導になる。

 

要するに、、、

 

「希」 希望、勇気、不屈

「友」 友情、信頼、助け合い

「命」 生命尊重

「論」 討論することに慣れる

 


ことが、今の「道徳」の時間らしい。

 

そもそも、

 

「道徳」の授業が注目されるきっかけと

なったのは、、、

 

政府が、現在の学校教育の在り方について

教育再生を考える中、教育再生会議が道徳を

強化することで、規範意識の低下などの問題

に対応しようと、道徳の名前から「徳育」に

変えて、教科に格上げしようとしたことにある。

 

ところが、現場は冷ややかなもので、、、

 

『中央教育審議会の初等中等教育分科会は昨年

9月の報告で、「形式化し、実行が上がって

いない」「学年が上がるにつれて児童・生徒の

受け止めがよくない」と指摘した。〔・・・〕

授業内容が予定調和的で子供がしらけてしまう

ケースがあるほか、「そもそも道徳は教えられる

ものではない」と考える教師も少なくない。』3


など、なかなかのネガティブ状態。


 

他方、メディアの表現方法にも影響があり、、、

 

『NHK教育で放送されている小学校高学年向け

15分番組も、昨年からドキュメンタリー形式

になった。〔・・・〕これまでは同年齢の子役が演じ

るドラマが中心だった。田中瑞人チーフ・プロデューサー

は「いまの高学年はドラマでは興味がわかない。

ドキュメントだと多様な見方があり、いろいろ

意見が出る」と話す。』4

 

以上、だらだらと記事を書きとめたが、、、

 

要するに、教師に「道徳」の指導責任を

押し付けたところで、無理がある!


ましてや、テレビを見せて、道徳の授業

「ハイ、終わり」では、道徳など育つはずもない。



そもそも、、、

 

「道徳」って、学校でも、家族でもなく、

社会全体が育(ハグク)むことじゃないのかな?

 

もっと言えば、

 

地域社会と学校が連係して道徳を育てる仕組みを

一緒になって作りあげなければ、本当の意味での

「道徳」は根付かない。

 

ただ、それが言いたかっただけである。

 

それにしても、

 

なんか、今日は堅いテーマだな・・・

 

 

(※1~4引用 朝日新聞 2007/06/17)

拘り

何か最近、音楽を聴きながら、

 

音楽に拘りなくなったな・・・

 

そう思う自分に気が付き、驚いた。

 

昔は、

 

やれ、ジャンルはどうで、レーベルはどこで、

誰のプロデュースで、どこそこのフレーズが

格好良い!!!

 

などと、よく言っていたような気がする。

 

しかも、

 

こう何て言うかな、、、

 

尖(トガ)った音楽、良く言えば、個性的な

音楽ばかり、聞いていた。

 

特に、実家に居たころは、それは顕著で!

 

それが今では、

 

思い出に浸(ヒタ)れるようなメローな音楽とか、

まったりするような和(ナゴ)み系の音楽以外は、

 

垂れ流し?!

 

と言った表現が、正しいのかもしれない。

 

要は、聞いてない。音楽に埋もれている。

 

だけど、

 

決して、音楽が嫌いになった訳ではないし・・・

 

ただ、拘りがなくなっただけである。

 

何故だろう?

 

歳の所為?!

気力の所為?!

この街の所為?!

 

それにしても、

 

いったい、何だったんだろう。

 

あの情熱的な拘りは!

 

気になったので、言葉の意味を調べてみた。

 

【拘り】(コダワリ)1

こだわること。拘泥(コウデイ)。

 

【拘泥】(コウデイ)2

小さい事に執着して融通がきかないこと。

 

 


 

 

 

なるほどね・・・

 

いい意味でも、悪い意味でも、

ある時を境に、大人に成って行くのね!

 

ならば、、、

 

つまらない大人だけには成らない様、

気をつけて生きて行こうっと!

 

 

(※1~2参考 広辞苑第5版 岩波書店)