お堅い仕事選び
ある音楽業界の方と、たまたま
話しをする機会があって、その会話
の中でのこと。。。
先方が発した、ある一言が、とても
印象に残った。
「私らの仕事は、戦争が始まったら、
一発でなくなる仕事ですから・・・
いわゆる不安定職種ですよ!」
って、また、そんな極論を!
娯楽に関わる産業であるが故、謙遜の
意味も含めて、その方は言われたと
思うのだけど、、、
戦争が始まったら、無くなる産業だ!
なんて。
そんな、戦争の影響を受ける企業なんて、
第三次産業が中心の今の時代、ほとんどが
そうなんじゃないか?!
などと、不謹慎にも、そう思った。
他にも、これに似た話しがあるのだけど、
よく、親が子供に言う話しで
「しっかりした企業に勤めてほしい!」
と、、、
まあ、わが子を想う親なら、
誰でも言いそうなフレーズだが、、、
その心理的背景に、戦争が起きた時に
までも大丈夫な会社を職業選びの前提
にして、子供に企業を薦める人もいるが、
特に地方に行けば行くほど多くいるの
だが、、、
それも、どうかね・・・
今の時代に、時代錯誤では?!
などと、
平和ボケに聞こえるかもしれないが、
そう思えてしまう自分は非国民かいな?!
本物と偽物の違い
仮に!の話しなんだけど、、、
いわゆる思考実験なのだが、、、
ウルトラマンと偽(ニセ)ウルトラマンが
いて、その両者が戦わなければならない
設定だとした場合、
まずは、どうして、偽ウルトラマンは、
ウルトラマンになろうとしたかと言うと、
もともと、ウルトラマンが大好きで、その
全てを尊敬し、何から何まで、模倣(モホウ)
することで、憧れのウルトラマンに近づき
たいと、、、
常々、そう思っていた。
そして、偽ウルトラマンは、ウルトラマン
に近づけるようにと、懸命に努力をして、
ついに、その努力の甲斐もあって、
ウルトラマンと戦えるチャンスを得て、
戦い、結果としては、ウルトラマンとの
戦いに引き分けることができてしまった。
仮にそうなった場合に、
その戦いに引き分けた偽ウルトラマンは、
ウルトラマンになれたと言えるのだろうか?
本物のウルトラマンは、何もしなくても
ウルトラマンである。
そのウルトラマンに比べて、なんら
遜色(ソンショク)ないレベルにまで達した
偽ウルトラマンは、、、
本物のウルトラマンになれたと
言えるのだろうか?
直感的に思うことは、
偽ウルトラマンは、いつまで経っても
本物のウルトラマンにはなれない!
なぜならば、
ウルトラマンを模倣する以上、それが
決める全てを迎合(ゲイゴウ)しなければ、
ウルトラマンという存在としては、係(カカワ)り
続けられないから。
すなわち、
自らが「主体」として判断できないから。
それが、本物のウルトラマンになれない
最大の理由だ。
しかし、偽ウルトラマンは、、、
ウルトラマンに替わる新しい何かの存在、
もっと言えば、素晴らしい存在になれる
可能性は秘めている。
それも、ウルトラマンに引けもとらぬ
素晴らしい存在として!
それは、、
本物のウルトラマンがもつ、剰余価値に
憧れる気持ちを捨て去り、自らが考える
主体性を取り戻すことができたなら。
それによって、、、
偽ウルトラマンは、オリジナルな
何かに、きっと生まれ変われるはず!
昨日のサッカー・アジアカップの試合
結果を観て、、、
「自分の頭で考えろ!」
オシム監督の言葉が身にしみる・・・
あ~あ、日本、引き分けちゃったね(><)
何かを下す
主語の無い、とりとめもない話だが、、、
人は皆、何かの問題が発生した場合、
それに対して、何を下すと言うのか?
「答え」か?
それとも、
「判断」か?
自分の直感に頼るならば、その意味は、
「答え」は、腹の底に落ちてきたときに
下すもので、、、
「判断」は、納期制限がある案件で、
それまでに決めなければならない場合、
その納期時点での思考を基に出すもの
だと考える。
実際に、調べてみると、
なになに、、、
【答え】(コタエ)※1
①他から作用を受けて示す反応。反響。
②問いに対してことばで応ずること。
返事。返答。回答。
③問題を解いた結果。解答。
④挨拶。断り。
⑤むくい。応報。
【判断】(ハンダン)※2
①真偽。善悪。美醜などを定めること。
ある物事について自分の考えをこうだと
きめること。また、その内容。判断。断定。
②うらない
③〔論〕概念・推理とともに思考の根本形式。
幾つかの概念または表象の間の関係を肯定したり
否定したりする作用で、「SはPである」「Sは
Pでない」形式をとる。判断は概念を前提するが
概念はまた幾つかの判断の結果作られ、また二つ
以上の判断によって結論を導きだす推理が成立
する。⇒命題。
と記されてある。
なるほど、、、
「答え」とは、
返事・返答・回答・解答などのほかに、
「むくい・応報」の意味が含まれる。
すなわち、
過去から今日までの経緯を重要視して
一つの結論に辿り着いて行く。
他方、「判断」とは、
きっぱり決めることなどのほかに、
「真偽・善悪・美醜」など、二元論に
物事を留めて結論を出していく。
すなわち、
社会を単純化して、割り切れる数に変換
して、それから一つ結論を選び出す。
無理矢理、
選び出すと言っても過言ではない。
今日、分業化した消費社会の中では、
我々は、時間と言う制約下のもとで、
最大限の効果を競い合って生きている。
あぁ
いったい、我々は今、その中で、いったい
どれだけの物事に対して「答え」にまで、
辿り付けていると言うのだろうか?
あぁ
忙(セワ)しい世の中で、今日と言う日は、
いったい何を下さなければならない一日と
成りうるのだろうか。。。
(※1~2引用 広辞苑第5版 岩波書店)