長編小説「日陰症候群は蒼を知らない」 39~不穏が潜む浴室~ | 「空虚ノスタルジア」

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40話はこちらから

 

 

 

 

「ねえ、昨日話したショーの件だけどさ…」

 

 

瑛斗くんお手製のカレーは素朴ながらも意外に美味く思わず3杯もおかわりしてしまった。勿論、盗聴に対する複雑さが払拭されたわけじゃないけど食事の時間くらいは呑気にならなきゃ憂鬱に呑み込まれてしまいそうだ。

 

 

 

「ショー?ああ、俺とお前の絡みを見せるってやつだな」

 

「そうそう。顧客に話したら「土曜日に一度会えないか?」って言われたんだけどいいよね?」

 

「構わないけどまずはその客の前で絡むんだったよな?」

 

「うん。昨夜のような感じでセックスすれば問題ない」

 

 

昨夜のような…か。別に忘れていたわけじゃない、それでも今の今まで遠い出来事と化していたのは密度の濃い「今日」のせいか、それともセックスに対してある種の割り切りを持ったせいか…洗った食器を拭き取りながら昨夜のセックスを辿ると、隣から小刻みな振動が足元を伝った。

 

 

 

「あ、あの…お2人はそういうご関係なのですか?」

「へ?おい!もしかして昨夜の事、話してないのか?」

 

 

 

食器洗いに勤しんでいた瑛斗は俺とテーブルに付いて携帯ゲームを優雅に行うナギを交互に眺めては明らかな同様の顔を見せた。

 

 

「別に話す程の事でも無いでしょ?瑛斗くん、ビジネスだから勘違いしないでね」

「は、はあ…」

 

 

…瑛斗くんの反応の方が正常なのだろう。あまりにも世間話的な感覚でナギが言うもんだから俺も世間話的な返しをしたけど、世間ズレなのは明らかに俺らだ。とはいえ、俺だってここに来るまでは人前でセックスなど話題にしたこともなければ、中高生男子にありがちな下ネタさえも毛嫌いしていた。

 

 

そりゃ、性に対する様々な疑問符はあったけど「夏休みの間に童貞を卒業する」だの「金貯めて包茎手術を受ける」だの、女子たちも居る教室内で堂々と宣言する輩に加わることは断じて無かった。下品な下卑た連中、そういう見下しもあったのだと思う。

 

 

…そんな俺が堂々とセックスを話題に挙げるのだからたった数日とはいえ、ここの空気に早くも馴染んでしまったのかもしれない。ある意味、俺より長く居るのに恥じらいを隠せない瑛斗くんが羨ましいとさえ感じる。

 

 

「そうだ!今日は3人で風呂入ろうよ!親睦が深まるかも」

 

 

あながち悪くない提案だとも思ったが、俺は瑛斗くんより先にNGを突き付ける。明日の小久保真里との一日について1人でじっくりと考えたい気分なのだ。それに疲弊した身体を癒すには1人の方が最適だろう。

 

 

浴槽に腰を下ろした俺は思わず「あー」っと唸りそうになるのを堪えて周囲に目を向けてみる。まさか浴室にまで盗聴器など有る筈は無い、そう言い聞かせたところで一度抱いた猜疑心は図太く俺の中に留まる。ここじゃ「常識」や「固定観念」の一切は通用しないってのは分かり切った話だし楽観視は時に命取りにもなる、浴室だろうがトイレだろうが玄関先だろうが或いはマンション内の廊下だって幾多の盗聴器の棲家かもしれないのだ。用心するに越したことはない。

 

 

…盗聴に関しては一旦置いておくとして、俺が最も向き合わなければならないのは小久保真里だ。

 

 

零にも誰にも頼れない状況下に追い込んだのは紛れもない俺自身、彼女の日陰という役目を果たせなければ…いや、果たすのだ、それ以外の道など無い。

 

 

結婚した半年後に相手が自殺…情報としては少な過ぎると思っていたが熱い湯に脳が活性化されたのかある疑問が頭に浮かぶ。

 

トップモデルとして華々しい世界に君臨した彼女の事実上引退、そして結婚、その重なりは偶然だろうか?

 

それに九条マリアが表舞台から姿を消すことを周囲の人間があっさり認めたとは思えない。雑誌なんかで彼女の身に着けたものは即完売になるほどの影響力、専属モデルを務めていた雑誌の出版社や所属事務所は九条マリアが消えたことによって確か株価も大幅下落したっけ。マスコミやネットじゃ連日のように彼女について取り上げて大変な騒ぎだった。

 

 

九条マリアから小久保真里に戻る。それは俺の想像じゃ到底及ばない波乱があったに違いない。だとすると半年後の自殺も何か関係が?

 

 

…ここから先は彼女に話してもらう他に無いか。そう簡単にはいかないだろうけど。

 

 

「失礼します」

 

 

思い耽っていたこともあり、突然ドアが開き瑛斗くんが顔を覗かせると俺は「わぁ!」って悲鳴にも似た声を発した。リアルタイムかどうかは不明だがこのけたたましさを前に音声をチェックするキョウコの表情は確実に曇るだろう。これだけ毎日のように悲鳴を上げる奴なんて俺くらいだ、きっと。

 

 

「お背中をお流し致します」

「いや…別にそこまで気を遣わなくても…」

 

 

とはいえ、腰にタオルを巻き付けただけの洗う気満々な瑛斗を前に無下に断るわけにもいかず俺は渋々ながらも了承する他に無い。それに鍛え上げられたレスラーみたいな彼の体格は変な意味じゃなく思わず見惚れてしまう。貧弱な人間にとってその様は神々しく憧れの象徴なのである。

 

 

「瑛斗くんって何かスポーツとかやってたの?」

「はい。昔に柔道を。今は家で筋トレくらいですが」

「筋トレか。俺もやってみようかな」

「ある程度の運動は必要ですからね、何なら自分がお手伝いしますよ」

 

 

曇ったガラスの向こうに浮かぶ瑛斗くんの笑顔は「ここまで頼ってしまっていいものなのか?」そう悩ます純真無垢さがあり、俺は息を付いて「次は俺が流してやるよ」と、薄く笑った。そりゃ、こういう世界に身を置いた時点で「純真無垢」などというのは明らかな矛盾を感じるけど仮にこれが全て演技ならばナギをも越える役者っぷりだ。

 

 

「すみません。自分なんかの背中を流させたりして…」

「何言ってんの?お互い様、瑛斗くんは気を遣い過ぎなんだよ」

 

 

瑛斗くんの広い背中はどこか父さんを彷彿とさせる懐かしさがあって、それはどこかに棄てたはずの俺の感傷を掬い上げた。子供の頃は一緒に風呂ってのが日課でさ、小さな俺からすれば父さんの背中はあまりにも広くて…逞しかった。

 

 

「気持ちいいですね。ガキの頃を思い出します、弟といつも一緒に入ってたので」

「弟が居るの?」

「はい。と言ってもずっと前に交通事故で亡くなりましたが…」

「…そっか」

 

 

何か言うべきなのだろうけどこの空気の中に相応しい言葉が見当たらず俺は泡塗れの背中をシャワーで流すと「前は自分でね」って呟き再び浴槽に浸かる。まだ漂い続ける感傷に従って俺の境遇を話そうともしたが、言葉にすれば俺自身の今を保てなくなる気がして「ってか、何でずっとタオル巻いてんの?」などとデリカシーの欠片も無い毒を発するのだった。

 

 

多分…ナギの影響だろう。と、責任転嫁した直後、ドアが荒々しく開きナギが不機嫌そうに顔を覗かせた。俺の心が読めるのか?なんて非科学的なことを真剣に思わせるタイミングにただただ呆然となる。

 

 

「いつの間に2人で入ってんだよ!罰として俺の身体を洗え」

「何が罰だよ…つーか、3人は狭いんだけど」

 

 

そんな主張も既に全裸のナギに届く筈も無く、瑛斗くんの前に陣取った彼は両腕を横に伸ばして「洗ってよ」と、どっかの国の王様みたいな態度を取った。勿論、本気の怒りじゃないけど素直に従う瑛斗くんを前にやらないってわけにもいかない。結局は大した考えもまとめられないまま疲労困憊の夜は明日へ確実に針を進めるのだった。

 

 

…だが、呑気に入浴していたのは俺だけ。ナギと瑛斗くんのそれぞれ違った思惑がこの空気に不穏をもたらしていたのを俺はずっと先に知る事となる。

 

 

「周囲を疑え」

 

 

零のあの言葉の意味と併せて、思い知るのだ…

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

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