平日の映画館は、そこだけ世界から取り残されたかのようにガランとしていた。
繁華街から距離のある古びたミニシアターで、10年前の映画のリバイバル上映だから当然の話なのだが、人の多さに慣れ過ぎた僕にとっては異様に映った。
わざわざ高い金を払って昔の映画だなんて、余程暇を持て余してるか、その映画の魅力に取り憑かれているか、その映画を通した記憶に思いを馳せたいか、そんなごくごく限られた人間だけ。
そう結論づけながらも、ちょっとばかり緊張した面持ちで、オレンジの薄灯りに照らされたシアタールームを歩く。灯りまでレトロとは、随分雰囲気重視の映画館だ。
前の席の若いカップルを一瞥し、余程暇を持て余しているんだな、と思う。あとはちらほら男の客がいるくらいで、これは判別に迷う。
普段と違ってほぼ無人な前席を確認しながらも、普段と同じように後ろから二番目の席につく。今も昔も変わらない。それが自分の楽な立ち位置だ。
スーツを雑に畳んで、時間にたっぷり余裕があることを確認する。取引き先との商談が早く済んだので、どこか時間を潰せそうなところを探していたら、ここの看板が目に止まったのだ。
「17歳の庭」
田舎の高校を舞台に、ティーンエイジャーの揺れやすい心と成長を描いた作品だ。
そういえば当時もミニシアターでしか上映していなかった気がする。
そんなものをなぜリバイバル上映するのだろう?
支配人が余程のマニアなのかもしれない。もしかしたらさっきの3つに全部該当するスーパーレアな人間かもしれない。
ベルが鳴り、幕が上がる。
どうやら僕が最後の客だったようだ。
旅番組のような田畑の続く田舎の穏やかな風景から、主人公たちが畦道を歩くシーンに替わり、何気ない会話劇が始まる。
何組の男子と何組の女子が怪しい。とか、結婚したばかりの担任の男性教師がずっと頬に絆創膏貼ってて、奥さんに引っかかれてるんじゃないか、とか。
「あのさ……」
心ここにあらずで、会話に入ってこなかった主人公がようやく口を開いた。
「卒業したらどうする?」
皆の顔つきが変わる。
熱が引いたような、夢から覚めたような……これは言い過ぎか。単に現実に引き戻されただけだろう。彼らが見せた真顔なんて僅かなもので、話題は「卒業したらどうする?」に切り替わる。
進路の話とか、将来についてとか、そういったものへの憧れや不安が吐露されて−−−−
「卒業したらどうする?」
郁也の乾いた声が、右半身をなぞった。昔は早く大人になって、親から離れて、ひとり立ちして、自由にのびのび暮らしたい。そんな思いが強かった。
だけど、高校生になって、郁也と出会って、退屈だった日々に晴れ間が差すように……つまり恋してから、子供じみた願いを抱くようになった。
この時間にとどまっていたい。放課後や土日に、郁也が必ずいるような生活がもっと続けばいいのに。
ひとつ付け足すと、親から離れられたら……まあそれはいいか。
「どうするって……別に……」
「なんかあるだろ?ここ離れて東京で働きたいとか言ってたじゃん」
「まだなんも考えてない。郁也はいいよな、大学があって」
前の席からゴホンと咳払いがして、僕らは口をつぐむ。映画の彼らは、進学組と就職組で、諍いを起こしている。
僕の家は経済的に苦しいから、大学に進学出来る郁也が羨ましかった。
まだまだこんな日が続くのだ。
無責任で無計画で、あまり道理に外れることをしなければ、ほぼほぼ自由でいられる日々が。
郁也に言ったら鋭い目つきで「親に期待されて大学行かなきゃいけない奴の気持ちなんかお前にわかんねーだろ?」とか返されてしまうけど、それでも羨ましい。自由でいられることも。そういう形で期待をかけられることも。
「ここにとどまるつもりだよ」
共感性羞恥に充分な、ヒロインとのキスシーンの途中、羽音のような、か細い声で言った。
「ふうん」
「……郁也と離れたくないから」
また少し間が空いた。周りを気にしてかもしれない。自分の勇気を後悔する。勇気を出すなら、もっと他のことにすればいいのに。
そんな後悔を郁也は察したようで。
「俺も一緒。映画観ようぜ」
剣道の竹刀で豆だらけになった手が、白く柔な手を掴んだ。僕は目を閉じた。映画館ではあるまじき行為だけど、時間の流れを感じたくなかったのだ。耳も塞いでしまいたかったが、それじゃ手を繋げない。
1秒でも長く続け‐
‐しかし、そんな純粋な(?)願いも虚しく、郁也との恋は、それからあっけなく幕を閉じた。
理由は単純。受験勉強に勤しむためだ。余計なことは考えたくないし、余計なことに時間を削ぎたくないんだってさ。
みっともないほど縋ればよかったのか。
それをしなかった僕も、郁也と同じだったと思う。
一時的な熱に浮かされただけ。
ラストシーンは始まりと同様に、主人公たちが畦道を歩くシーンだ。清々しい顔で颯爽と歩く姿は、ほんの少し大人になっていて、それはそれは美しい光景だ
が、あのとき観たものより、僕の目にはだいぶ霞んで見えた。
主人公視点のままでいるには、10年は長過ぎたのかもしれない。
それでも、エンドロールが流れ、他の客が日常に戻っていっても、僕は席を立てなかった。
隣には、確かに郁也がいた。
僕の手をギュッと掴んで、スクリーンに向かう郁也が。
10年という歳月、僕はだいぶ変わってしまったけれど、恋を懐かしむ余裕は、センチメンタルに浸る無垢は、まだあるらしい。
彼らが選んだように
郁也が選んだように
顔を上げた僕は、僕が選んだ世界線を再び歩き出していく。
幕が、上がった。
(終)

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