どれが本当の自分だか分からなくなることがあるよね。

明るい自分と暗い自分
前向きな時と後ろ向きな時
人の幸せを願っていつつそれを妬む自分

私達はつい【ネガティブな自分】にスポットを当てて、それを責めがち。逆ってあまりないかも。

そもそも、【いい子であること】を強要される社会かもしれないね。そして、それを【当然なこと】として見られてしまう。好きなものを食べ続けると飽きてきて食べたくなくなる。嫌いなものは食べたいとも思わない。ちょっとそれに近いかな。

【いやなこと】があるから【すきなこと】ができる。こころの中にはいろんな感情が同居していて、相反する感情は常に喧嘩している。表にでてくるのはたまたまそのときに勝っただけ。だから、相反する気持ちが生まれるのは当然。

【ポジティブな自分】にスポットを当てたらどうなる?すごく自分が好きになるだろうね。あまりに好きになっちゃったら、【ネガティブな自分】も受け入れられるかもしれないよ。

大好きなハンバーグの中に嫌いなニンジンを細かく切ったら食べちゃったっていうことがある。後からそれを知らされたら、その後ニンジンを食べられるようになったりしてね。

嫌いな自分がいるとすれば、きっとそのすぐ横には好きな自分がいるよ。それを見つけてあげよ。

あなたのこころのなかがのぞけたら
どんなにいいだろう


さきまわりして
きもちをさっして


もっとちがうことができるかも


こころのなかがわからないから


しっとしたり
ふあんになったり
せんさくしたり


そんなこともなくなるよね


でも


のぞけてしまったら
こころのなかをしってしまったら


なにもできなくなるかもね
うごけなくなるかもね


のぞけることがしあわせとはかぎらない

分かろうとすると分からない。

追っていくと逃げていく。

何かに当てはめようとしても当てはまらない。


【人のこころ】ってそんな感じだと思っています。カウンセラーがこんなことを言っていいのかと言われそうですが。 だからと言ってあきらめるということではありません。実際には自分のもてるありとあらゆる力を使っていますから。


結果的に逆のことをしているのかなと思います。

分かろうとしないときに見えてくる。

立ち止まったときに寄り添ってくれる。

その人自身だけを見て受け入れたときに何かに少し当てはまる 。


禅問答みたいですが(笑)。


そのままを感じる。相手はいろんなところからメッセージを発している。それを自分の中に受け入れる。このあたりはうまく説明できないところですが、あえて表現すると「目で見るのではなくてこころで見る」かな。


【こころにはこころでしかつながらない】。そんなことを最近よく感じるようになってきました。

ちょっと気分が落ち気味です。死にたいとか、消えたいとかそういう感じではない。前回の京都で自分の【生きる価値】を再確認したので、そのあたりは問題ない。

たぶん、【寂しさ】から来るものかな。今週は昔の会社の人や、僕が大学生で彼女が高校生の頃から知っていて今や一児の母となっている友人、病気を何とか乗り切って最近職場復帰した友人、離婚して子供二人を必死に育てている友人等と会える機会が重なって、いろんなことを思い出しちゃった。
特に人関係のことで。そのせいなのか、さっきうたた寝していたら夢に出てきました。きつかった。

せっかくなので、少しその気分に浸ることにします。最近は辛さで悶々とする自分も大分好きになってきました。

でも同時に今週はいろんな人に会えたのがすごく幸せでした。上記だけでなく、初めて会うことが出来た人もいたし、ここ数ヶ月会えなかった人とも話ができたし、「忘れられないように」って電話をかけてきてくれた人もいたし。

よくもわるくも人と出会えるのは素敵なこと。来週はどんな人に出会えるんだろう。実際は人見知りなんですが(笑)。

年に1~2回、自分を本当に大切にする時間を持ちます。それは何かというと、京都のお庭に行くこと。徹底的に自分に向き合い、無の状態で問い直して、これからの生き方を明確に定める。その際にお庭の力を借りているように思います。一種のセルフカウンセリングかな。

竜安寺の石庭に行くことが多いのですが、今回は光明院というところに行きました。昨年の今頃タクシーの運ちゃんに紹介されて行ってみたら結構静かでいい雰囲気だったので、今回の場所に決めました。

考えたいことがいくつかあって、縁側に座ってぼーっと。最初はいろんなことが頭を駆け巡る中、ふと耳を澄ますと水のせせらぎの音や小鳥のさえずりや風の音、風でなびく草木の音が聞こえてくる。なんだか気持ちよくて、自然に答えが浮かんでくる。なんだかお庭と対話しているような感覚になりました。そういえば、カウンセリングをやることを決めたのも竜安寺の石がささやいて背中を押してくれたからだったな。

ここのお庭はお釈迦様の一生が描かれていて、人生の流れが凝縮されていると聞きました。それを眺めていると、なんだか今悩んでいても、人生の中では流れていけそうな気がして。何だかすっきりした。向かっていく覚悟ができたかな。

行ってよかった。

かんがえてもかんがえても

きもちがついていかない


もしかしたら


かんじょうをかくすために

かんがえるのかもしれない


おもいうかぶこと


それがあなたのこころのさけび


かんがえること


それがあなたのこころのから


きっとほんとにつらいのは


かんがえることかもね

京都の紅葉の時期に来るのもこれで三年目。今回もお庭を見に行こうと思います。


石庭が好きです。そこでひたすらぼーっとします。特に行き詰ったときに行ってぼーっとすると、こころの中から答えが浮かんでくる。答えを探すというよりは、こころの中にあるものを引きだしていくという感じかな。【こころに聴く】、自問自答っていう感じ。


今回は時間的に行けて二ヶ所かな。いくつか考えたいことがあるので、ちょうどよかった。

1日で終わるかなあ、というのがちょっと不安なところです。でもそれはそれで仕方ない。

自分に自信のある人なんていません。 「えっ、あの人はいつも自信満々だよ」っていうかもね。自信満々に見えるだけです。あるいは、そう見せているだけ。


人の言葉はどうやったって気になります。なぜなら、自分の自信は【相対的なもの】で作られることが多いから。「あの人より自分は優れている」という優越感。そして、その優越感を確信できるのは、人に褒められること。認められること。


私達は子供の頃から常に誰かと比較されているように思います。兄弟、同級生、親戚等々。そして、褒められたときにその優位性を確認できて、自信になる。比較されるほどに、褒められることを一番に考えちゃうよね。だから頑張っちゃうし、いい子でいたいと思う。だから疲れちゃう。


人と比べることをやめることはなかなかできません。だけど、それまでの自分と何かができたときの自分を比べることってあまりしないんじゃないですか?比べたとしても、それを単なる【自己満足】【驕り】として、すごく【ささいなこと】として捉えていませんか?


外から見ると、あなたがどう変わったかってなかなか分からない。でも、もしかしたらあなたにとってはすごいことかもしれませんよ。あなたにしか分からないあなたの中の変化。本当はそれで十分なんじゃないかな。人は【褒められる】と自信になる。だったら、自分を【褒めて】あげよ。


【自分を褒めたとき、またひとつあなたは強くなる】

あいてのきもちをおもったとき


じぶんのことばがこわくなる


きずつけることがこわくなる


こころのなかにしまってしまえば


あいてはなにもきづかない


あなたはだれですか


あなたはあいてですか


あなたはあなた


あなたがきずついてたら


あなたがかわいそう


たったひとりのあなたなんだから

きらいなところをなおして
つよいじぶんでいたい


いやなことをわすれて
かがやくじぶんでいたい


でもなかなかそれってできないね


そりゃそうだよ


なおせないじぶんも
わすれられないじぶんも


じぶんなんだから


そんなじぶんをゆるしてあげたとき


いまよりもっと


すてきなじぶんになるよ