母の前では泣くことさえも許されなかった。
泣くと必ずといっていいほど「泣くなぁ! 黙れ! うっとおしいんじゃあぁ!」と叫ばれ
まるめたティッシュを何枚も何枚も詰め込まれていた。
窒息しそうになり、私は嗚咽を繰り返す。
当時,私は公文式に通っていた。
小学校低学年程度の読み書きや文章の読解力,筆算は私にとって余裕でこなせるものになっていた。
それは小学生になってからすごく助かったので
私が困らないようにと習わせてくれたのには感謝している。
ただ,一問でも間違えれば、先生よりも母に怒られた記憶の方が圧倒的に多い。
「なんでこんな簡単な問題がわからんねん! お前の頭はいったいどうなってんねん」
私は必死だった。母を怒らせないように。
もちろん怒鳴られるというのが嫌だったのもあるし,自分のせいで母を不快な気分にさせてしまう,という
申し訳なさも子供心にして持っていた。
そしてできれば・・・・・・できれば、母にほめてもらえるように。
私は精いっぱいの努力をした。けれど、努力だけではどうしようもないことがあった。
発音。
生まれつきなのかどうかはわからないが,昔,私はうまくしゃべることができなかった。
とにかく発音ができなくて,当時のホームビデオなんかを観ても,ただでさえ聴き取りづらく
早口でしゃべる部分は自分でも何を言っているのか全然わからなかった。
母は「ちゃんとしゃべれぇ!」と怒鳴った。
それでもしゃべれずにいると手をあげた。
「なんでしゃべられへんねん・・・なんでほかの子と同じようにできへんねん・・・!」
母も悔しかったに違いない。
自分の子供が他人より劣っているなんて認めたくなかったのだろう。
「わざとか?」と言われ,私はほとほと困った。
それでも,テレビの画面に映る幼い私は,必死にしゃべっていた。
自分の思っていることを,相手に上手く伝えられない・・・それがどれほどもどかしかったことか。
家では注意されるのであまり口を開くことはなかったけれど
園ではむしろ誰よりもおしゃべりだったんじゃないかと思う。
母はよく私に「余計なことをしゃべるな」と言っていた。
私を怒る理由のだいたいはこれが原因だったが,私自身,自覚はしていなかった。
だって,どこまでが余計なことじゃなくて,どこからが余計なことなのかなんて
幼稚園児に分別がつくわけがない。
なので「『昨日の晩ご飯はカレーやってん』は言ってもいいけど
『昨日お母さんがあいちゃんのおばちゃんの悪口言ってたよ』は言ったらあかんで」と
ちゃんと教えてくれていればよかったのに,と思う。
それなら私だって怒られずに済んだ。
そもそも,外で言われると困るようなことを言わなければいい話ではないか。
「また余計なことしゃべりやがって,この口は・・・まともにしゃべれへんくせに!」
怒鳴られる原因もわからないまま,私は暴力に耐えた。