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dramatic —愛おしき日々に感謝の意を。

ほかのひとには真似できない人生を、ありがとう。

傷だらけだった10歳の私を救ってくれた恩師へ。
ことあるごとに私を支えてくれたすべてのかたへ。
そして、私を傷付け続けていた、あなたへ。

幼稚園での生活は楽しかった。

団地の集合住宅に住んでいたので、違う棟に行けば仲良しの友達の家があったりした。

通園には8人ほどの近所の子で二列に並んで,毎日保護者や地域の方が

交代制で送り迎えをしてくれていた。

どのお母さんも優しい人だったけれど,中でも私の母はとりわけ評判がよかった。

「ありめちゃんのおばちゃん,やさしくていいなぁー」
こんなセリフを何人もの子から、そしてお母さん方から聞いた。


確かに母は優しかった。

毎日のお弁当作りは決して手を抜かなかったし,毎朝かかさず髪を編みこんでくれ、

様々な飾りのついた数え切れないゴムの中から「どれで結ぶ?」と私に選ばせてくれた。

娘の私が言うのも何だけれど,母はルックスも悪いことはない。

確かに周りから見れば,これ以上文句の付けようのないくらいだった。

誰にでも愛想よく接していたし・・・。

その日も団地前に着くと,母はまなちゃんのお母さんと他愛のない話をしていた。

別にどうってことはない。よくある風景だ。

しかし,私はこわかった。

「やぁねー,もう!」と,たかたか笑っている母が,母の口から出る言葉のひとつひとつが,

こわくて仕方なかった。

このままずっと話が終わらなければいいのに。

それなら家に帰らなくて済むのに。

家の中に入り,ドアを閉め,完全に外の世界からシャットダウンされた途端,母はこう言い放つ。
「・・・まったく,どいつもこいつも程度の低い連中め!」
 さっきまであれほど楽しく話をしていた人たちのことを,それはものすごい勢いで罵り始めるのだ。

私はまだ幼かったが,母が少なくとも他人を良く思っていないことはわかった。

外と家の中では,母はまるで別人のように違った。


どうしてこんなにも表情を,そして態度を変えられるのだろうか。

大人だから?

だったら母だけではなく,ほかの大人

――幼稚園の先生や送り迎えをしてくれる全てのお母さん方――

もそうなのか?

表面だけ繕ってニコニコして,一方影では非難しているの?

わずか5歳ながらにして,私の中には大人に対しての不信感が充分に積もっていった。

それだけでなく,その不信感は現在に至るまで私自身を蝕み続けている。

「信じちゃいけない,本当はどう思われているかなんてわからないんやから」
 

もはや一種のトラウマなのかもしれない。


この頃はまだ,母は私に「完璧」を求めていた。

母は自分のことを完璧な人間だと言っていたし,そしてこの「自称完璧な人間」の子供は

やはり完璧でないといけないようだった。

きっとまだ,私が普通じゃないということに気づいていなかったのだろう。

いや,気づいていたとしても,そう思いたくなかったに違いない。

母にとって,自分の子どもが普通ではないということは,あってはならない過ちなのだから。


つまり、その頃の私は母に期待される存在であった。

現在では考えられなくなった、重圧ともいえる過度な期待を。



1989年。
平成の世になってまもなく,私は大阪の病院で生まれた。
“在芽”という名前は母が付けた,ということを幼稚園の頃に本人から聞いたことがある。


生まれてからの約3年間を大阪で過ごしたあと,

私たち一家は弟ができたのをきっかけに奈良へと引っ越した。

そして私は町立小学校の付属幼稚園に通った。


小麦粉粘土でおままごとをしたり,ビニール袋で作ったスカートを穿いて

セーラームーン(当時の私の憧れ的存在だった)ごっこをしたり。

ほかの子とは何ら変わりはなかった。まだ,この頃は。


私の母親は類を見ない完璧主義者で,私に対しては少しのミスも決して許さなかった。
口癖は「なんでこんな簡単なことができへんねん」。

よく近所の同じ年の子とも比べられたりもした。

少しでも私の劣っている所を見つけると必ず「もっと努力せんと」というようなことを言われた。

そして,……時には手もでた。


私の中での一番古い記憶は,母親に殴られながら,罵りの言葉を聴かされている場面だ。

何年も何年も私は耐え続けた。


必死だった。


抵抗する体力も気力もなかったから。
治っていく体の傷と引き換えに,心に傷が生まれ,それは今でも消えることはない。
それどころか,次から次へと増え,静かに蓄積されていっている。

 「なんでこんなこともできへんのやぁぁ!!!」
家の中で,ヒステリックに喚き叫ぶ母の声を聴き,痛みを堪えながら,私は必死に祈った。

早くこの状況がなくなりますように。お母さんがこれ以上怒りませんように。

痛いとも,やめてとも言えなかった。

言ってはいけないような気がした。

私は殴られるほどの悪いことをして,だから今その報いを受けているんだ,と

幼稚園児なりに考えたりもした。

母は昔からよく「お願いやから普通になって」と私に懇願していた。

それは現在でも変わらない。ずっと母にこんなことを言わせてしまう自分を,呪った。


普通になりたい。これは私の一生涯の願いだ,きっと。


はじめまして,エッセイストarimeですはーと


心の準備が整ったので,書いていきたいと思います。


つたないかもしれない。


うまく表現できないかもしれない。


でもありのまま


みなさんに伝えられたらいいな と思います*


これからよろしくお願いいたします。



2011*2*14 arime.