幼稚園での生活は楽しかった。
団地の集合住宅に住んでいたので、違う棟に行けば仲良しの友達の家があったりした。
通園には8人ほどの近所の子で二列に並んで,毎日保護者や地域の方が
交代制で送り迎えをしてくれていた。
どのお母さんも優しい人だったけれど,中でも私の母はとりわけ評判がよかった。
「ありめちゃんのおばちゃん,やさしくていいなぁー」
こんなセリフを何人もの子から、そしてお母さん方から聞いた。
確かに母は優しかった。
毎日のお弁当作りは決して手を抜かなかったし,毎朝かかさず髪を編みこんでくれ、
様々な飾りのついた数え切れないゴムの中から「どれで結ぶ?」と私に選ばせてくれた。
娘の私が言うのも何だけれど,母はルックスも悪いことはない。
確かに周りから見れば,これ以上文句の付けようのないくらいだった。
誰にでも愛想よく接していたし・・・。
その日も団地前に着くと,母はまなちゃんのお母さんと他愛のない話をしていた。
別にどうってことはない。よくある風景だ。
しかし,私はこわかった。
「やぁねー,もう!」と,たかたか笑っている母が,母の口から出る言葉のひとつひとつが,
こわくて仕方なかった。
このままずっと話が終わらなければいいのに。
それなら家に帰らなくて済むのに。
家の中に入り,ドアを閉め,完全に外の世界からシャットダウンされた途端,母はこう言い放つ。
「・・・まったく,どいつもこいつも程度の低い連中め!」
さっきまであれほど楽しく話をしていた人たちのことを,それはものすごい勢いで罵り始めるのだ。
私はまだ幼かったが,母が少なくとも他人を良く思っていないことはわかった。
外と家の中では,母はまるで別人のように違った。
どうしてこんなにも表情を,そして態度を変えられるのだろうか。
大人だから?
だったら母だけではなく,ほかの大人
――幼稚園の先生や送り迎えをしてくれる全てのお母さん方――
もそうなのか?
表面だけ繕ってニコニコして,一方影では非難しているの?
わずか5歳ながらにして,私の中には大人に対しての不信感が充分に積もっていった。
それだけでなく,その不信感は現在に至るまで私自身を蝕み続けている。
「信じちゃいけない,本当はどう思われているかなんてわからないんやから」
もはや一種のトラウマなのかもしれない。
この頃はまだ,母は私に「完璧」を求めていた。
母は自分のことを完璧な人間だと言っていたし,そしてこの「自称完璧な人間」の子供は
やはり完璧でないといけないようだった。
きっとまだ,私が普通じゃないということに気づいていなかったのだろう。
いや,気づいていたとしても,そう思いたくなかったに違いない。
母にとって,自分の子どもが普通ではないということは,あってはならない過ちなのだから。
つまり、その頃の私は母に期待される存在であった。
現在では考えられなくなった、重圧ともいえる過度な期待を。
