1989年。
平成の世になってまもなく,私は大阪の病院で生まれた。
“在芽”という名前は母が付けた,ということを幼稚園の頃に本人から聞いたことがある。
生まれてからの約3年間を大阪で過ごしたあと,
私たち一家は弟ができたのをきっかけに奈良へと引っ越した。
そして私は町立小学校の付属幼稚園に通った。
小麦粉粘土でおままごとをしたり,ビニール袋で作ったスカートを穿いて
セーラームーン(当時の私の憧れ的存在だった)ごっこをしたり。
ほかの子とは何ら変わりはなかった。まだ,この頃は。
私の母親は類を見ない完璧主義者で,私に対しては少しのミスも決して許さなかった。
口癖は「なんでこんな簡単なことができへんねん」。
よく近所の同じ年の子とも比べられたりもした。
少しでも私の劣っている所を見つけると必ず「もっと努力せんと」というようなことを言われた。
そして,……時には手もでた。
私の中での一番古い記憶は,母親に殴られながら,罵りの言葉を聴かされている場面だ。
何年も何年も私は耐え続けた。
必死だった。
抵抗する体力も気力もなかったから。
治っていく体の傷と引き換えに,心に傷が生まれ,それは今でも消えることはない。
それどころか,次から次へと増え,静かに蓄積されていっている。
「なんでこんなこともできへんのやぁぁ!!!」
家の中で,ヒステリックに喚き叫ぶ母の声を聴き,痛みを堪えながら,私は必死に祈った。
早くこの状況がなくなりますように。お母さんがこれ以上怒りませんように。
痛いとも,やめてとも言えなかった。
言ってはいけないような気がした。
私は殴られるほどの悪いことをして,だから今その報いを受けているんだ,と
幼稚園児なりに考えたりもした。
母は昔からよく「お願いやから普通になって」と私に懇願していた。
それは現在でも変わらない。ずっと母にこんなことを言わせてしまう自分を,呪った。
普通になりたい。これは私の一生涯の願いだ,きっと。