![](https://stat.ameba.jp/user_images/20161018/22/ariku-pilates/a2/50/j/o0960072013776310278.jpg?caw=800)
以前、「頑張らないほうがうまくいくよ」
という
私のFacebookでのつぶやきをきっかけに集まった
「頑張らないカラダを語るお茶会」。
写真は先日そのとき出会ったメンバー3人でお茶したときのもの。
ちゃんとおすましして正面向いてる写真もあるのですが、
ゆるっとしたこっちのほうが今日のテーマに合ってるのでこちらを。
![ニコ](https://emoji.ameba.jp/img/user/ui/ui8/271513.gif)
私たちは無意識のうちに過剰に“頑張り過ぎて”いるときがあります。
その仕事、出力を今よりぐんと減らしてみても、
同じパフォーマンス(成果)を発揮できたりしないかな?って、
ちょっと観察してみると、意外と“頑張り過ぎて”いることに気付いたり。
少し専門的に書いてみると、そういうときのカラダは
「グローバルモビライザー」と呼ばれるアウターマッスルたちが
過剰な出力で頑張ってしまっている状態。
でも本来は、骨格を支えたり(ローカルスタビライザー)、
動きを調整したり(グローバルスタビライザー)する筋肉たちとの共同作業で、
もっと小さな出力でも同じ仕事をこなせちゃったりする場合がある。
そういうのをファンクショナル(機能的)と言ったりするわけなんですが、
ならばそのスタビライザー(安定筋)たちを鍛えればいいのね、ってことで、
いわゆる体幹トレーニングとか、インナーマッスルを鍛える、とか、
そういう方向に向かってしまうと、やっぱり「頑張り過ぎる」状態を
生み出してしまうことも多かったりするんですよね。
「鍛える」って言葉には、その成り立ちや意味合いからどうしても
「強い」「弱い」というニュアンスがついて回りがち。
でもスタビライザーたちの出力って、結構ゆる~い力加減だったりするんです。
ローカルスタビライザーなんかは25%以下くらいの出力と言われてたりする。
だから、「強い」「弱い」というよりも「働く」かどうか、
インナーマッスルは【鍛える】よりは【スイッチを入れる】、
こっちのイメージのほうが本来の機能的なカラダに近いんじゃないかな。
以前「頑張り癖の対処法」という記事の中でご紹介した
力を入れずにその仕事をやってみる、に取り組んでいくと、
自然と安定のための筋肉たちにスイッチが入ったりするものなので、
あえて一生懸命鍛えなくてもいいんじゃないかなー、って思うんです。