第5話 ボロボロなカラダ | 第6話 カラダが教えてくれたこと |第7話 出会い |
第8話 劣等生 | 第9話 苦手意識を克服せよ |
第10話 ピラティスインストラクターになりたい(この記事)
■ピラティスインストラクターと名乗れなかった私
2003年の秋、私は晴れてSTOTT PILATESの認定インストラクターになることができました。
翌年、ティップネスの関西の店舗では、京橋店と石橋店に「リフォーマー」が導入されました。
まだパーソナルトレーニングが一般的ではなかった時代。
しかもピラティス自体の認知度も低い・・・
当然、最初からプライベートセッションを受けてくださる方がいらっしゃるはずもなく、
なかなかお客様にピラティスを提供する機会には恵まれずにいた私。
一方、同期の仲間たちには少しずつクライアントが付き始めました。
人気エアロビクスインストラクター男子たちが多かったということもあると思いますが、
決定的な違いは自分自身をピラティスインストラクターだと認めているかどうか、
だったのではないかな、と。
その頃の私は「ピラティスインストラクター」と名乗ることができなかったんです。
「ピラティスもできるフィットネスインストラクター」としか言えなかった
実はその原因はあのときと全く同じところにありました。
あるとき担当させていただいたお客様が私よりずっとずっとカラダの知識に長けたプロで、
苦手意識のかたまりだった「姿勢分析」をさせていただいたときにちょこっと突っ込まれ、
その瞬間からココロが負けてしまって・・・
当然、お客様を満足させられるセッションはできませんでした。
でも、あのときと1つだけ違っていたことがありました。
ピラティスをやめてしまうかも、とは一度たりとも思わなかったんですよね。
それは、ピラティスの素晴らしさを何より自分のカラダで感じていたから。
腰椎すべり症でまともに歩けなくなるという経験をしてから、ずっと腰に不安を抱えていた私が、
ピラティスとの出会いでその不安から解放された。カラダがどんどん快適になっていった。
本来あるべき機能的なカラダを取り戻すことができれば、
こんなにも快適でいられるんだと知ったから――
私はどうしても
ピラティスインストラクターになりたかった!
■いったん休業、という選択
その頃、私にはもう一つどうしてもなりたいものがありました。
それは「ママ」。
ピラティスを学び始めたのと同じ2003年、34歳で夫と結婚した私。
2004年の秋に36歳を迎えた頃、子どもを産むならそろそろ限界かも・・・と、
それまで週10本担当していたレギュラーレッスンから抜けることを決めました。
なぜなら、絶対にインストラクターとして復帰したかったから。
他の仕事とは違って、年齢が上がれば上がるほど産後復帰が厳しくなる、
と思ったんですよね。
幸運なことにレッスンを抜けてから4ヶ月後には妊娠することができました。
そして、1年後の2005年10月に娘を出産。出産から5ヶ月後の2006年4月に現場復帰。
でも、現場を離れてからの1年半は復帰への不安でいっぱいでした。
そのときのことを、以前掲載していただいた業界紙「NEXT」の中でこんなふうに語っています。
「仲間のインストラクターが成長していくのに、自分はデスクワークしかできない。最新情報にどんどん疎くなっているかも、指導技術が落ちているかもと、どんどん取り残されていく気分になるんです。妊娠中はマタニティスイミングに通ったり、ピラティスを受けに行ったりと、身体を動かすことで不安を取り除こうとしていた気がします。それでも体重は出産までに13㌔も増えてしまって。産後3ヶ月後から徐々にトレーニングを再開し、5ヶ月で現場復帰してからは、レギュラーレッスンのない日も子どもを保育園に預けて、ピラティスの養成コースに通い直したり。とにかく勉強していないと落ち着かない日々でした」
そうなんです。
実は私、産後復帰した後に、もう一度ピラティスの養成コースに通い直したんです。
子どもを産もうと決めたとき、私はエアロビクスインストラクターを引退することを決めました。
そして、得意だったし周囲からも求められていると感じていたアクアエクササイズと、
どうしてもなりたかった「ピラティスインストラクター」、この2本柱でやっていこうと決めたのです。
ところが、ほとんど指導経験を積まないまま1年以上現場から離れたピラティスは、
休業以前にも増してインストラクターとしてやっていく自信がなくなってたんですよね。
「もっともっと勉強したい・・・勉強しなければ・・・」
そうは思ったものの、当時STOTT PILATESの次のレベルのトレーニングコースは
東京でしかやってなくて。
さすがに乳飲み子置いて東京に勉強しに行くわけにはいきません。
そんなとき関西で別のピラティス認定資格団体の養成コースがあることを知り、
再度養成コースに通い、マット~キャデラックまでが指導できる資格を取得しました。
スタジオ ビーキューブ に出会ったのは、ちょうどそんな頃でした。
つづく・・・