ふと手に取ってみた本に、自分の気持ちを言い表すようなフレーズを見つけることがあります。
私にとってはこちらの詩がそうでした。
「胸の泉に」塔和子
私にとってはこちらの詩がそうでした。
「胸の泉に」塔和子
かかわらなければ
この愛しさを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった
この大らかな依存の安らいは得られなかった
この甘い思いや
さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
子は親とかかわり
親は子とかかわることによって
恋も友情も
かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない
ああ、自分の書くことの源泉にあるのはこういうことだなぁ、と思いました。
作者は若くしてハンセン氏病に罹られたそうで、当時どれだけの差別と無理解が彼女を打ちのめしたのか、想像するのも怖いほどです。
それでもこれほど人と関わることを欲することができるのかと、その強さに震えます。
編者はこの詩を「貪欲な詩」と評しています。
どれだけ傷ついても、路傍の人として行き過ぎるのではなく、関わりたい。
どれだけ傷ついても、その人と関わったことを後悔しない。
それを貪欲と呼ぶのなら、その貪欲さには、とても共感できるのです。
胸の泉に落ちるのが枯れ葉でも花でも、みなもを揺らすことに変わりは無い。
花だけを落としてくれる都合の良い人はいない。
静まり返ったみなもが揺れることそれ自体が得がたく尊い。
時に思いを寄せた相手から投げ込まれるのが石だとしても。
貪欲でありながら、とてもひたむきな詩だと思いました。
ひたむきだから貪欲なのか。
誰かと関わるとき、
・この人が自分に何をしてくれるか。
・自分がこの人に何をできるか。
後者を思える自分でいたいと思います。できるだけ。
後者を思える自分でいたいと思います。できるだけ。
まあ、この心持ちでいると損することも多いんですが。
損してもかまわないと思える人と、いっときでも関われた幸運を思おう。
「何というポリアンナメソッド…!」
と編集さんに慄かれる力尽くの前向き。
私は人格の基本設定が後ろ向きなので、ぐるぐる悩んで一周回ってもやっぱり後ろ向きで、そっから前を向くにはもう半周要ります。
私は人格の基本設定が後ろ向きなので、ぐるぐる悩んで一周回ってもやっぱり後ろ向きで、そっから前を向くにはもう半周要ります。
けど、無理矢理でも力尽くでも、一周半回れば、後ろ向きからでも、どうにか前向き。
貧乏くじ引いて損するのが分かりきってても、
貧乏くじ引いたからって死ぬわけじゃない。
自分が引いたら他の誰かは引かずに済む、だったら引いとけ。
力尽くのポリアンナメソッド、倒れるときは前のめりで。
ランダムにいろんな人の作品を集めた詩集はを読んだのは初めてですが、
思いがけない出会いをくれるという意味で大変面白いなと思いました。また色々読んでみよう。
※今回から注意書きを末尾に移しました。
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